今回紹介するのは・・・







達川光男 捕手・監督






達川と言えば、珍プレー特集の番組でのデッドボールのアピールを連想する人が多いと思うが、俺が連想するのはその現役時代ではない。


『達川晃豊』の時代である。


晃豊って誰だ??? と思った世代もいるかもしれないが、古葉→阿南→山本→三村の次に広島監督を任されたこの達川光男、監督時代、『達川晃豊』と改名していた。


この頃、広島の宿舎が近く、よくサインを貰いに行っていたのだが、外出から帰った達川晃豊がファンに囲まれ、快くサインをしてくれる、と思ったら、突然達川は、買い物の袋を置き、屈伸を始めたのだ。


俺を含むファンはたじろいだが、達川は何もなかったようにサインを始めた。


すぐにわかった。持っていた紙袋は薬局の袋だったのだ。おそらく、胃薬が入っていたのだろう。


この頃の広島カープは低迷期。胃も身体も悪くなるだろう。低迷期のチームの監督の苦労と言うものを目の当たりにした出来事であった。


達川退任後、山本浩二の復帰、意外なブラウン、野村、ときて強くなり話題になり、現在は緒方監督に優勝が期待されている。


カープ女子の流行語を生んだ強いカープであるが、あの日の達川晃豊を忘れないでいたいものだ。







(敬称略)


今回紹介するのは…









小川淳司 監督  元外野手




いつのまにか出ていた名勝負のカード、阪神タイガース優勝決定試合。小川淳司があったのでバラで手に入れてみた。もちろん貰えた。



ちなみに最近、インパで待っていた二人組の一人がこの名勝負カードのボックスを買って来ていて、開封していた。阪神のスター選手の直筆サインが出たと聞こえてきて、羨ましく思ったものだ。



俺はクジ運が悪く、現役選手を期待したノーヒッターのボックスで引退選手、巨人阪神勝った方が優勝のボックスで阪神選手のフォトカード、と、いつもガッカリなのだ。





さて。



2013年シーズンで監督から退く、小川淳司監督。



TTMでも成功し、インパーソンでも断られたことも、断っているのを見たこともない、優しい優しい監督。


インパで監督が移動する時は、マスコミが多数たかってしまって貰いづらいけど、小川監督は絶対に断らない。



監督としての能力にも長けていると思うのは俺だけだろうか。近年の不振は監督の責任ではないだろう。


また、サインを断らない監督として戻ってくるのではないか。









(敬称略)

今回紹介するのは…





福田聡志 投手






この福田が入団した時は、東北福祉大の大先輩、佐々木主浩と同じ22番であった。


しかし、期待通りの活躍とは言えず、やがて背番号22は剥奪。中継ぎの顔となった越智大祐の番号となる。


福田の背番号は59。背番号が大きくなるということは、もう期待してませんよ、と宣告されたようなものではないか。


過去に、ジャイアンツ球場で橋本清に貰った時のこと。橋本は背番号30の自分のカードに30番を書かなかった。 ?と思っていたら、ジャンパーの袖に92とある。知らないうちに、背番号が変わっていたのであった。


このことは、橋本本人もすぐに知らされなかったと、何かの記事で読んだ。翌年には、橋本が、「今年はやるから、背番号を少しでも軽くしてほしいと直訴した」という記事も読んだ。


橋本は結局92のままで巨人からダイエーへ移籍。新天地で活躍したという話は聞かなかった。


橋本だけでなく、上宮高の先輩・元木大介が入団時につけていた37を貰った山田真介も、37剥奪後はカードに背番号を書かなかった。


入団時の19を剥奪された故・水沢薫、その19を貰ったものののちに剥奪された吉田修司、西本の26を貰ってその後剥奪された松谷竜二郎、山倉の15を貰ってその後剥奪された小原沢重頼など、番号が大きくなってからの成績が、期待の番号の頃の成績を上回ってはいないはず。(吉田は巨人から移籍後花開いたが)


やはり、背番号へのこだわりとモチベーションは大きいのだ。背番号が重くなった選手が発奮して大活躍したり、再度期待の若い番号へ昇格したという例は聞いたことがなかった。


しかし、22→59の福田聡志は例外だった。59の2012年に8勝。背番号は29へ。


しかし次の年は不調。TTMにも書いたが、不調だったのは29になったからでは?と思ってしまった。


剥奪後の活躍。個人的には、59のままでいってほしかったなあと思うのだ。









(敬称略)