普通なら、1977、1987という順番でタイトルを付けるんだろうけど、俺は1987の方をまず持ってきたい。


1977年のことは記憶にないからだ。野球の存在を知ったのが1981年。ここで巨人が日本一になった。意外にも1980年以前の世界の王さんの時代のことは記憶にない。知ってはいたんだけど、この頃はテレビで野球を見ていなかったのだろう。というか、親が見ていなかったのかもしれない。裏番組を見ていたのだろうか。


それでも、巨人というチームに王さんと言うすごいスーパースターがいる、ということは小さいころから知っていた。800号記念に読売新聞購読者にバスタオルが配られ、クラスのほとんどが持っていて、夏のプールの時間にはフェンスに800の文字が並んだ。俺も使ってた。


のめりこんだのは1987年。我らが巨人軍は、桑田、江川、槙原、水野と10勝投手が4人。クロマティ、原、篠塚、中畑、吉村と3割打者が5人。これで西武になぜ負けたんだ?



さて、そんな俺のためにあるようなシリーズ・OBクラブ1987年。


こないだ初めて1パック買ってみたら、さっそく巨人が2枚引けた。


篠塚、槙原。ほかは小早川、宇野、後楽園球場。 ミニカードは古屋。


よし、次は中畑か原か衣笠が引けるに違いない、と、今日買ってみた。鈴木啓示あたりも出るだろうと勝手に予想して1977も1パック。


しかし…




1977をまず開けると、


小林繁(故人)

新浦寿夫

基満夫

平松政次

藤田平



我らが1987は…



石毛宏典

大石大二郎

山沖之彦

高沢秀昭

新浦寿夫

ミニカード 仲田幸司




俺は新浦に愛されているぞ!


しかし俺は住所を知らない!



というわけで上記住所交換大募集!(平松、小林以外)


カードトレードも。




ふと、思い出してみた。


今年になって力を入れているTTM。今年になって、ということは、前にもやったことがあるということ。


初めて成功したのは誰だったのだろう?



初めて送ったのはたしか00年、巨人・上原、二岡、西武・松坂に送った記憶がある。


でも、来なかった。一緒にやった友達は上原から来たと聞いた。何が違ったんだろう。今になっては分かるけど。


多分、封筒に差出人名を書かなかったからだと思う。当時はその方がいいだろうと思い込んでいた。



記録をつけてやるようになったのが2005年。


何人かに送って結構返ってきた。生まれて初めて返ってきたのは…














楽天・田尾監督。


この年のBBMルーキーエディションに、新監督の新人時代みたいな特集のカードがあって、それを送って返信してもらえた。


というわけで、生まれてはじめてのTTM返信は田尾安志、なんだけど、プロ野球のTTMで生まれて初めての成功が田尾で、ジャンルを問わない場合、生まれて初めてのTTM成功の人物は田尾ではない。



時は1994年。俺は大仁田厚率いるFMWの大ファンで、野球以上にプロレスを見に行っていた。


ミーハーな俺は、のちに野球でも同じことをしたように、来日外国人の宿泊先にも行っていたのであった。


その中に、ドクター・ハニバルというレスラーがいて、ロビーで気さくにサインに応じてくれたほか、向こうから積極的に話かけてくれたのである。片言の英語の俺に合わせるように、ゆっくりとわかるように話してくれた。ほかにも、ここでは書けないような思い出の品物を俺にくれた。

それから来日のたびにホテルに出かけて話していたのだが、ある試合で首を大怪我したというニュースがあった。次のシリーズでは来日メンバーに無く、ほかの外国人選手に聞くと「メイビーダイジョーブ」と返事が返ってきて、それが本当なら命には別条はないだろう。


それから、FMWは路線を変え、俺の方は大仁田の復帰もあり(復帰反対派だった)足が遠のいていった。


でも、ハニバルのことはずっと気になっていた。ずっと待ち続けた。


ハニバルはリッキー・フジというFMW所属の日本人レスラーと仲がいいはずだった。ならばリッキーに聞いてみよう。


FMWの事務所に手紙を書き、俺の住所を宛先に書いたハガキを入れた。あまり期待していなかった。



でも来た。「彼が何をしているのかわかりません…」という返事だった。サインも入っていた。


長くなったが、これが俺の生まれて初めてのジャンルを問わないTTM成功の日であった。









2000年。WARにハニバルが来日するという情報を知った。6年待ってたぞ。死んでも行くしかない。


後楽園ホールの試合後を狙って帰りを狙った。出てきた。ファンのサイン攻めが去ったあと、話かけた。「オー ハワユー」と思い出してくれた。いつかあげようと思ってとっておいた品物をあげることができた。サインはもらわなかった。サインが目的じゃない。


車に乗り込んで去っていくハニバル。サインを貰った人たちはもういなくなっていて、俺は一人でハニバルに「グッバイ!」と手を振った。





1994年。そう、あの、10.8決戦のあった年。


夏ごろ、ジャイアンツ球場に一軍の練習を見に行った。+サインを貰いに行った。


わかる人にはわかる、歩く歩道があった頃。選手がグラウンドに入るまでの道に、ファンが入れた頃。



選手がほとんど去っていったグラウンドでは、川相がバントのポーズで撮影を受けていた。


ダラダラとフェンス前に残っていたのは大久保博元。川相に「ヘイ ナイスバーン(ト)、ナイスバーン!」とヤジを飛ばしている。


巨人は外様に冷たいとよく聞くが、西武から移籍のこの大久保は馴染んでいるようだ。


川相、ムッとしながら「うるせえよ」


それでも大久保は「ナイスバーン!」と、ヤジを飛ばしまくる。そのうちに「あんまり言うと本気で怒っちゃうからな」とからかうのをやめ、用具を片づけはじめると同時に、俺を入れて10人ぐらい居たフェンス越しのファンに聞こえるようにひとりごとを言い始めた。


「今日、Jリーガーが来るんだよ。ベルマーレ平塚の渡辺」


前年度にブームを迎えたJリーグは俺も見たりサインを貰いに行ったりしていた。



「渡辺卓(たく)さんですか?」と俺。


「そうそう!渡辺卓」と大久保。


「君、●●(聞きとれず。多分、知ってるねぇ)ねぇ」


それから少し会話が続いた。


その大久保。


「このミットあげようかぁ~」 冗談とは思うけど、「ハイ」と手を挙げた。


「はい、あげた~」と、ミットを上に上げる大久保。


「やったね~小学校の時ね~」


明るく気さくなデーブであった。



巨人ファンなら知っての通り、引退前年のこの94年は、正捕手ではなかったものの、劇的アーチを連発して強烈な印象を残した大久保博元。


のちに西武でコーチになったのは少し意外に思ったのは俺だけだろうか。