ふと、思い出してみた。


今年になって力を入れているTTM。今年になって、ということは、前にもやったことがあるということ。


初めて成功したのは誰だったのだろう?



初めて送ったのはたしか00年、巨人・上原、二岡、西武・松坂に送った記憶がある。


でも、来なかった。一緒にやった友達は上原から来たと聞いた。何が違ったんだろう。今になっては分かるけど。


多分、封筒に差出人名を書かなかったからだと思う。当時はその方がいいだろうと思い込んでいた。



記録をつけてやるようになったのが2005年。


何人かに送って結構返ってきた。生まれて初めて返ってきたのは…














楽天・田尾監督。


この年のBBMルーキーエディションに、新監督の新人時代みたいな特集のカードがあって、それを送って返信してもらえた。


というわけで、生まれてはじめてのTTM返信は田尾安志、なんだけど、プロ野球のTTMで生まれて初めての成功が田尾で、ジャンルを問わない場合、生まれて初めてのTTM成功の人物は田尾ではない。



時は1994年。俺は大仁田厚率いるFMWの大ファンで、野球以上にプロレスを見に行っていた。


ミーハーな俺は、のちに野球でも同じことをしたように、来日外国人の宿泊先にも行っていたのであった。


その中に、ドクター・ハニバルというレスラーがいて、ロビーで気さくにサインに応じてくれたほか、向こうから積極的に話かけてくれたのである。片言の英語の俺に合わせるように、ゆっくりとわかるように話してくれた。ほかにも、ここでは書けないような思い出の品物を俺にくれた。

それから来日のたびにホテルに出かけて話していたのだが、ある試合で首を大怪我したというニュースがあった。次のシリーズでは来日メンバーに無く、ほかの外国人選手に聞くと「メイビーダイジョーブ」と返事が返ってきて、それが本当なら命には別条はないだろう。


それから、FMWは路線を変え、俺の方は大仁田の復帰もあり(復帰反対派だった)足が遠のいていった。


でも、ハニバルのことはずっと気になっていた。ずっと待ち続けた。


ハニバルはリッキー・フジというFMW所属の日本人レスラーと仲がいいはずだった。ならばリッキーに聞いてみよう。


FMWの事務所に手紙を書き、俺の住所を宛先に書いたハガキを入れた。あまり期待していなかった。



でも来た。「彼が何をしているのかわかりません…」という返事だった。サインも入っていた。


長くなったが、これが俺の生まれて初めてのジャンルを問わないTTM成功の日であった。









2000年。WARにハニバルが来日するという情報を知った。6年待ってたぞ。死んでも行くしかない。


後楽園ホールの試合後を狙って帰りを狙った。出てきた。ファンのサイン攻めが去ったあと、話かけた。「オー ハワユー」と思い出してくれた。いつかあげようと思ってとっておいた品物をあげることができた。サインはもらわなかった。サインが目的じゃない。


車に乗り込んで去っていくハニバル。サインを貰った人たちはもういなくなっていて、俺は一人でハニバルに「グッバイ!」と手を振った。