南蛮の 越し跡のこる 西のはて
暴風が吹き荒れるかと思うと、快晴の青空模様。毛布の片付けはまだ先かな?
晴天なり、朝からヒャッホー休日如何に過ごす?と(何の計画性もなく)平戸までふらり日帰りの旅をして参りました。
平戸には我が家の墓があるのですが、春先に気合いを入れて掃除をしていたので、今回はほっておいて(ひどいな・・・ご先祖様ごめんなさい)あまり時間もないし、ちょっと寄りたかった所があってねっ・・・と、そちらを優先させてもらいました。
先ず、この季節、薔薇が美しく咲く「崎方公園」へ足を延ばしました。平戸オランダ商館より山手にあるのですが、眼下に海が開けるとても見晴らしの良い公園なのです。
確かこの道を曲がって・・・と数年前の記憶を頼りに駐車場へ到着。
ここには三浦按針ことウィリアム・アダムスの墓があります(徳川家康の外交顧問兼通訳として歴史の教科書で聞いた事があるのではないでしょうか)異国人なのに武士(旗本)に取り立てられたという。彼にちなんで、バラ園が整備されていて、今が丁度見ごろの時期なのです。
淡黄や深紅、彩とりどりの薔薇が青空に映えて目の保養になりますな。
早速、按針の墓・・・ではなく・・・「帝國海軍 柳本柳作少将」の墓へ。
ご先祖様には参らんでか?と突っ込まれそうですが、ここに来たら、参らずにはおられないのです。彼は、ミッドウェイ海戦にて、空母蒼龍と命を共にし、壮絶な戦死をされたのですが、「海軍の乃木」とも云われた程のかなりの堅物だったそうです。身分制度が色濃く残る平戸藩の士族の出身でしたので、軍人の道に進まれたのも何となくわかるような気がいたします。墓の詳細については個人様の墓でもありますので控えさせていただきますが、海を見下ろす眺めのよい場所に静かに眠っておられます。
あ・・・今回はちゃんと按針のところにも行きました。
ちょっと・・・葉の枯れとる・・・薔薇ん花の綺麗かけん・・よかな(適当すぎる)
そして今回是非訪ねたかったのが、「松浦史料博物館」・・とお部屋の坂。
松浦史料博物館は、もともと藩主松浦家の屋敷跡。平戸城は当初、藩主松浦鎮信によって日野嶽に築城されたのですが、家康の時代に一度破却されているので(秀吉と関係が深かったもので)、長らくこの場所が藩庁として使われておりました。山を背に海を見渡すこの場所は、海岸通りから少し登ったところにありまして、そこまでの階段が・・・
この・・階段がまた・・(ゼイゼイ)・・・ちょっとだけ休憩・・・
日頃の運動不足を呪いながら・・・これじゃあ火急の際、藩主のもと駆けつけられそうにもない・・・我韋駄天の如く!でもさ道に街灯だってなかろうし夜だったら見えんぞ・・・溝に嵌って・・とか。絶対減禄されて、扶持ち離れ(クビ)されそうだ。
いくら氷河期世代でも、お咎め腹の切腹を云いつけられることはない・・と、この時代に生まれたことに感謝を申し上げながら、頑張って登りましたよ。ちょっと前ならば、これくらい平気のへっちゃらだったのに・・・。
大きな門構えを通り、広い庭先から塀の向こう側を眺めていると、海から吹く風と、裏山からこだまする木々のさざめきに、時を忘れ癒されました。観光客も、シャビエル教会群(寺院と教会の見える坂)のほうが多いので、静かに過ごすには最適でした。
前半は墓の話ば~っかりして、イマドキではない平戸見聞記(ポンコツ中年の無益な呟き・・役立たない度100%)となってしまいましたが、長くなったのでここで一服(続く)。
