うろんころんしてみる隊 -84ページ目

うろんころんしてみる隊

うろんころん・・・って何かって?九州弁でして、標準語に解釈するとウロウロと「散策している」「徘徊している」・・・どちらでしょうかね?
傍から見ると限りなく後者に近いわたくしの、人生の糧にもならないつぶやきを書き留めて行こうと思います。

如何にいますか かあさんよ 呼べどこたえず ははのこえ

 

 

母の日にちなんで、スーパーの窓際には子ども達が描いた様々な「おかあさんの絵」が張り出されていました。二歳児だと顔から手が生えているのはご愛敬。小学校高学年ともなると、中々立派な絵を描いている。思い思いに描かれたその子達にとって一番の「おかあさん」の顔、すべてに共通しているのが

「笑顔のお母さん」

怒らないお母さんなんていないと思いますよ、それでも子ども達がお母さんを思い出して紙に描くのはお母さんの笑顔なんでしょうね。

そういえば・・・倅1号が保育園の課題で描いた「お母さん」はラジカセの絵でした。倅2号は絵が苦手だったのか作成拒否。倅3号の頃は、各家庭への配慮もあったのか絵を描くことはなくなったようですが。

あなた達の心にうかぶ母は如何にあり?

 

わたし自身といえば、義母を看取り、実母も長らく病で疎通ができぬ状態にあるので「かあさん」とお互いに言葉を交わす相手がいなくなり、一抹の寂しさを感じています。

「元気にしとかんばよ」

他愛もないその一言に「はいはい」と二つ返事のように答え、忙しさを言い訳にし、果たして十分な親孝行が出来たのか?・・・母達と話した会話とて、時が経つとともに確りと思い出すことができないでいます。

 

世の理想とするような「母親像」ではなくとも、たとえ全く情愛に薄かったとしても、やはり子どもにとって「お母さん」とは特別な存在なのですよね。ジャイアンだって、かあちゃんには敵わない。

 

貴女の血を巡り温められ世に生まれる

その温もりをこの世のお守りにして

わたしは生きる必死に生きる

この世界が荒波ばかりを打ちつけても

生きる限りはその波にむかいゆくのを

貴女の中で育まれた人間という私が

その誉を胸にこの四肢を必死に伸ばし

生きていく育ちゆく学びゆき人となる

立派になったと威張る頭を持たないが

些細ながらも誰かの役に立てるように

貴女が命懸けで産んで下さった御恩を

愚鈍な私は何とか何とか社会へ返す為

きょうを生きる必死に生きる

わたしの四時(しいじ)が終わるまで

 

かあさん有難う 此の世すべてのお母さん、お疲れ様そして有難う