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うろんころんしてみる隊

うろんころん・・・って何かって?九州弁でして、標準語に解釈するとウロウロと「散策している」「徘徊している」・・・どちらでしょうかね?
傍から見ると限りなく後者に近いわたくしの、人生の糧にもならないつぶやきを書き留めて行こうと思います。

昭和と聞いて思い浮かぶのは?   時代は流れゆく・・・過去から未来へ

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昭和の初期だって、大正生まれの祖父母たちにとっては青春のまっさかり。
明治生まれの祖母たちならば家庭の務めを担い、慶応生まれの祖父には退役後の晩節を想う時。戦中生まれの義父母達、戦後生まれの父母と、高度経済成長の中に生まれた自分たち。
 
わたしの知る昭和は、豊かになったその時代。
子どもの頃はまだ、明治生まれのお年寄りがいて、大正生まれもまだ壮年として第二の人生を謳歌していた。戦争を知らない若い世代と、戦争を知る老いた世代。
 
どの時代が一番に大変だった・・・という不幸自慢は必要ない。
どの時代に生きる人とて、その時代ならではの苦労をしている人たちだから。それでも、何かの奇跡をうけて命を長らえ、生きて働き、老いて逝く。
 
父方の祖母は昭和の初期まで満洲の奉天にて過ごした。
今は遼陽となった地でも奉天駅を目印に台形の道と旧南満医学堂の跡は残っているので、祖母が過ごした場所はわかる。今や立派なホテルが林立しているようだが。
しかし、若くして曾祖母と曾祖父が相次いで亡くなり、知らせを聞いた高祖父が慌てて迎えに行ったそうである。祖母曰く、当時日本人の子どもを現地の人達が欲しがっていたようでそれはならぬと急いできたらしい。それでも、満州人の方達はとても優しかったそうだ。
祖母達が日本に戻って数か月後、満州事変が起こる。曾祖父たちが生きていれば、自分の歴史もまた違っただろう。祖母の初婚の人が戦死しなければまた、父も生まれることはなかったろう。
 
祖父母等から、あの時代さえなければと愚痴めいたことを聞いたことがない。
死別や戦争、貧困・・・様々なことを経験したであろう。それでも、時代が時代だと受け止めてその思いを秘めて歩んできたことはわかる。明治大正昭和と苦も楽も寡黙にしていきた人たち。
 
同じく戦中に生まれた義父母はまた人生の受け止め方が対照的だった。
戦後しばらく軍人恩給がストップして収入が途絶え、僅かな畑を耕し山や海にと食べられるものを探し廻る日々。戦前の教育を受け、敗戦後は親達を律してきた価値観が無惨にも破壊されていく様を見て育った父は、快活ながらも時折虚無の心が見え隠れする。
母は親が教員で戦中は田舎をまわっていた為に食事に困る事はなかった。戦争時はまだ幼い分どこか遠き世界のように感じていた。
 
戦後生まれの両親は、ベビーブーム世代として、戦後復興の中まだ貧困のあとを生きている。
それでも、戦火に恐れることはない。働き、収入を得、家族を食べさせて・・・社会の成長とともに新たな家族を作り上げていく。
 
 
母方の祖母は、小さな幼子の手を引いて古寺にある水子供養の墓に参った。そこには色とりどりの風車が音をたててまわり、御菓子や水などが供えてあった。
「昔はこまんかうちにようとはってきよったと」と・・・あちらこちらの墓石にも残る幼年の子らの存在と、家の墓とは別になにやらの称号が彫られている墓石が、後には戦死した若者の墓だということを知る。
 
子どもが幼くして命を落とすことなく育っていくことが何よりの喜びだったのだろう。お年寄りたちが愚鈍な幼児にも「りこう者(もん)」と囁いたのは、ただ一途に生き成長する子どもの尊さが称えられていたのかも知れない。
 
昭和の64年のうちには様々なことが起こり、たくさんの人たちがその中を生き、そして逝いていった。昭和天皇が崩御され、新聞の小さな紙面には殉死された老人の記事がのっていた。
 
まだうら若い少年であっても、昭和が「終わった」という瞬間の衝撃は忘れる事がない。
 
昨年は昭和100年、百年の始まりを過ごした祖父母等の生き様をそれぞれ偲ぶ一年であった。皆すでに鬼籍に入り、今は昭和生まれの親達を看取る番の途中にある。
 
田舎育ちの自分には、昭和はまだ大きな道を外れると泥のままの路もあり、ひょっこり黒い牛が小屋から顔を出したり、ヤギや鶏の鳴き声がどことなくこだまする世界があった。
子どもの歩む道は畔のような道なき道であり、器用に手を動かす大人の指先は土にまみれ節ばっていた。大きなコンテナが並んだ小屋のなかに微かに匂う農薬と灯油の香り。
コンクリートに囲まれた防火水槽の緑に染まる水の上をすすむアメンボと、見上げれば木々の上に煌々と輝く太陽があった。
 
平成令和と数えるうち、昭和時代もすでに何十年も昔のことだというのに、齢をとったせいか様々な風景を昨日にでも見たかのように思い起こせる。
文明は発展し何でも便利になって、何でもあっという間に完結する。自分が望まなくても、世界中の情報まで目の前に運んでくれる。でも、それらは水のようにあっという間に流れ、ほんの先月のことでも過去のことのように流してしまう。
 
子どもの頃に遊んだ古家のある空地も、今は藪のようにして埋もれていた。時は経ち、今とてまた新たな時代の過去として埋もれていくのだろう。全ては蜿蜒と流れる歴史の一幕なのだから。
 
それでも・・・昭和生まれの世代には「天皇誕生日」というとやはり今日を思い浮かべるのではないだろうか?祖父母等世代も、この日は正月とともに特別な祝日だったようである。
義祖父はきっと11月3日。一生を捧げた大君はやはり明治天皇だったので・・・紀元節に合わせて行事を考える世代。
 
世界の環境が変わり、時代が未来へと進むうちに・・・「昭和」もいつしか古い時代のひとつになるのかもしれないけれども、そこには懸命に生きて逝いた人たちが沢山いたのだということを忘れて欲しくないと思う。
 
ばあちゃんの大きく温かい手を思い出し 顧みる倅の手足の長さに時代を思う
ばあちゃんの手よりも長い手を振り出し 顧みる倅の手は軽々と荷物を抱える
 
昭和生まれの中年も平成生まれの若者に何かと助けられる時がきて、ああもう世代が違うとしみじみ感じる、今はもう令和8年。
団塊ジュニアだって、自分が今まで過ごした人生を折り返せる程には生きていないだろうとしみじみ感じる、今はもう令和八年。