花曇り雨にも濡れて花絨毯 曇る空でも変わりなき郷愁の色
海をうつすは長崎の空
朝一番の飛行機に間に合うように空港へと送って、その帰り道・・・東の空から照らす太陽が水面を鮮やかに照らしだす。光輝くうなばらの上を、漁師の小さな船が沖にむかって勢いよく桟橋の下を駆け抜けていく。
穏やかな海の波間に白い泡ぶくの道が広がっていく姿を認めながら、ああまた一日が始まるのだと教えてくれる。
多良岳の山々から登る朝日を望み、また山々に降りそそぐ雨を蓄えた清らかな水が、幾筋にして流れ立ちそれらが還っていく先・・・大村湾。
長崎の中央に囲まれるようにして存在する海は、海あり県の長崎が面する二つの内海のひとつ。
湾の入り口に架かる西海橋の下を渡り、時計回りに佐世保市、川棚町、東彼杵町、大村市、諫早市、長与町、時津町、長崎市、西海市・・・と接岸するところは9市町に及びます。
同じ内海でも有明海とはまた違って、一度佐世保湾に引き込まれた海水がさらに奥まった針尾瀬戸の僅かに狭い間を流れ入くところにあります。
それ故に、地図上では隣り合っているはずの佐世保湾と大村湾でも干満の時間差がかなりあります。しかも、海流は針尾瀬戸の狭い間(幅200m程)を通っていくので、春になると渦潮を見る事ができるのです。いやいや干潮差のない時期でも結構な海の流れなのですよ。
晩秋の頃の水面にも海流の渦巻く姿がみられました。この針尾瀬戸を通過する西海橋(新西海橋のほうは遊歩道がある)からは、針尾の無線塔を眺めることができます。
桜の咲く季節は渦潮の見ごろも相まって、花見に訪れる観光客の方達でとても賑わいます。何かイイモノをもらっているのでしょう、人懐っこいネコちゃんがおりました。
針尾瀬戸ともう一か所佐世保湾から海水が流れ入る場所があります。実は無線塔のある針尾やハウステンボス一帯は島なんですね。
陸地とこの針尾島の間を通っている海路を早岐(はいき)瀬戸といいます。
この水路を利用して、早岐は古くから茶市が盛んにおこなわれていました。陶磁器で有名な三川内焼が良質な陶土の原料を仕入れることができたのも、この茶市での交流があったからこそ。450年の歴史も持つ「早岐茶市」は新茶がとれる五月頃に開催されています。
さて、これら瀬戸の急流を過ぎると、この海はまるで表情の違う穏やかな様相をみせます。かつて頼山陽が「琴の湖(うみ)」と呼んだように、海面には陽光が錦糸のように輝き、優しく波打つ海岸を眺めていると、大村湾の持つ穏やかな美しさに見惚れてしまいます。
それでは、大村湾の映える・・・空と海の煌めく場所
・・・といえば、やはりここでしょうかな?
海に面する駅のひとつ、JR九州大村線「千綿(ちわた)駅」
そのぎ茶でも有名な、東彼杵町(ひがしそのぎちょう)にあります。
明治31年に開通した松原駅と彼杵駅の間に昭和3年に開通した比較的新しめな駅でして(その前から駅設置の気運はあったのですが場所が中々決まらなかったそうで)、地理的に線路がカーブしている為に単線駅となっております。それ故に改札を出てホームのすぐそこに海が見渡せるという風光明媚な駅としても有名になりました。
千綿駅はもともと近くに陸軍の大野原演習所を抱えていたので、軍関係の貨物輸送も担っていました。戦時中は、出征した男性駅員に代わって女性駅員が車掌や駅手として千綿駅を支えて来られた過去もあります。
脱線ついでに書いておくと、大村線にまつわる駅には軍都を抱えていたゆえの駅があります。小串郷(おぐしごう)駅は海軍さんの魚雷艇訓練所開設の為。戦後、海外から多くの引揚者(629万人とも言われています)を受け入れた浦頭港より南風崎(はえのさき)駅を通してたくさんの方達が故郷へと帰っていかれました。
千綿駅まで戻って来ましょう。赤い郵便ポストが佇むレトロチックな駅舎が特徴的。
今の駅舎は平成5年に改築されましたが、開業当時の面影を残した木造駅舎はとても趣があるので、海外からも訪れる人がおられます。
長崎を海あり県なんて言ってみましたが、内海外海どこかしらの海を東から眺め西から眺め南から眺め北から眺めてはそれぞれ表情の違いを楽しむことができます。
故に、サンセットロードたる道があちらこちらに存在する。だって・・・どこから見てもそこに海があるんですもん。世知原から波佐見のほうまでずっと山間部を抜けて行けば海と離れる・・?
大村湾というくらいなので、大村市から見た大村湾をここに一枚。
大村といえば・・・玖島城の素敵な石垣がっ・・・(そっちか)また脱線しそうなので、ここは海を一望しながらみる空を!!
目の前の海に見えるのが、長崎空港。島を埋め立ててつくられた海上空港です。海の向こうは西彼杵半島で、左手に連なる島一帯が大村湾の底の部分(長与町)。空港一帯から上に見える島の左側が「二島」といいます。
二島は戦後アメリカ軍の射爆場となり、射爆によって島の表面がかなり削られてしまいました。
大村には海軍の航空隊がありましたので、その跡地一帯(今でいう富の原町一帯)も戦後しばらくはアメリカ軍に接収されていました。
長崎といえば、原爆投下地としての印象が強いのですが、佐世保の鎮守府とあわせて大村市も明治から続く立派な軍都のひとつでもありました(歩兵第46聯隊と大村海軍航空隊)。
さて、大村湾は本当にとても穏やかな海です。
長崎本線でも旧線だった長与経由に乗車すると、本川内駅からのスイッチバック(今は無くなりましたが)を経て大草まで下りて来た時に見渡せる大村湾の穏やかな海原の何とも言えぬ美しさに感嘆の声がもれます。
時間が許すならば、長与線を使って長崎⇔佐世保間の旅もいいものですよ。新幹線なら、長崎から新大村までも15分そこそこで行ってしまいますが、海を見、山を見ながらのんびりとローカルな旅も楽しいものです。
美味かもんも一緒についた洒落た列車も走りよらすけどねぇ・・・この線は非電化なので、ディーゼル列車特有のゴウンゴウンと賑やかな音を聞きながら大村湾を眺めて走るのも中々いいものです。昼間の陽光が錦糸のように輝く姿や夕陽の沈む前の煌々と輝く海の絶景を是非愉しんで欲しいところです。
追:大村湾には多良岳に限らず、西彼半島や他にもたくさんの川が流れ込んでいます(24水系51河川が流れ込んでいるとか)。大村湾は内海という立地からも外海を流れる暖流の影響を受けにくいために、川(淡水)の流れ込む河口では塩分濃度が低くなることから、寒波で放射冷却が強い時にはまれに河口に氷が張るところがあるそうです。




