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うろんころんしてみる隊

うろんころん・・・って何かって?九州弁でして、標準語に解釈するとウロウロと「散策している」「徘徊している」・・・どちらでしょうかね?
傍から見ると限りなく後者に近いわたくしの、人生の糧にもならないつぶやきを書き留めて行こうと思います。

お餅は焼く派?煮る派?

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このイラストのひび割れ方よ・・・・小槌で割るのは、餅を「切る」が縁起悪いからだそうですね。この鏡開きは地域によっての風習があるそうですが、現在は「1月11日」が主流との事。
 
そうか~餅って鬼火焚き(七日)の頃に切って食べていたから・・11日だったとは知りませんでした。だって・・・その時に御札だけでなく正月飾りも燃やすし、カビの予防にと母はポリ容器に水をはった中に保存する際小さく割っていました・・出刃包丁にてガツガツと
 
いや・・・そもそも現代の気密性の高い家屋では、そんな日数まで常温にて保存しておけるわけがない。保存料も入らないつきたての餅にてこさえた鏡餅の如何に繊細なものか。
おるが家の埃にまみれたであろう温もりのなかにて・・・カビをつけずに保管する事は無理!
今年供えた鏡餅はまた・・・餅んうまかった~と言わんがばかりの広がりよう(涙)
わたしゃあ青カビ殿にお供えしたとじゃなかとよー( ;∀;)
 
最近はもう、あのプラスチックの中に餅が何個か入っているヤツでいいんじゃないか?とも思ってきました。イヤイヤお供え物くらいはきちんとしなければとも思ってみたり
 
「年神様の宿る縁起物」
 
といわれると、粗末にできないではありませんか!美味しくいただくならば、正月三が日も待たぬうちに・・・いや何なら・・冷蔵庫に・・は駄目か(当たり前じゃ)。
日本のお正月を代表するような大事なものなのに・・・。
 
昔は、直径一尺くらいはある立派な鏡餅にお飾りをきちんとつけて床の間に供えておりましたが・・・今どきの家には床の間もありませんし、道具を揃えて一家総出手作りでこさえるようなこともほとんどありませんものね。
 
子どもの頃は、大きな農家の方の庭先を借りて、何世帯分もの餅をつくりあげていました。
薪を燃して焚き上げる、もち米を炊いた「せっかん」とよばれる状態のものを(昭和50年代の中盤頃までは臼でしたが)餅つき機に投入し、ゴロンゴロンと・・・時に機械ごと揺れながら・・・交わることでふんわりとした白い柔肌に変化していく姿を見ているのが楽しみでした。
時にせっかんを一口分戴いてつまむその米の美味しさと、つきたての餅の端をおばちゃん達が手でちぎり、砂糖醤油を入れた皿につぎ分けてくださるのを頬張ったり。
 
勿論、一番最初についた餅が大きな丸い鏡餅になりました。
床の間には立派なもの。それと台所や井戸の神様にも・・と中くらいのものが作られる。
因みに・・・井戸に飾った餅は「犬(いん)のいち食うてから」と言われながらも毎年飾られてはどこぞの犬のお御馳走になっていたようです。なんせ昔のことですから・・
 
今思い返しても、たいして役にたちもしないような子どもの手混ぜごと。
おばちゃん達が笑いながら作業をする横で、不格好な丸餅を小さな手にて丸め手伝った時間を今でも懐かしく思い出します。
 
今では、店に行けばパックの切り餅がいつでも売ってありますし、家も鍋用にと小さめのものを常備しています。
それに、「ぜんざい」やら「あべかわ」やら作ると、倅共も喜んで食べています。
 
ぐっさり(沢山)汁の入った小豆の中に投入される餅や、鍋で煮込んだ餅を黄粉の海に投入する工程を考えると、やっぱり餅は「煮るもの」と捉えていた事に気が付きます。
 
実家の雑煮も「ドロドロになった餅」が入っていて、父はその「潟のようになった雑煮」が大好きでした。ストーブが現役だった頃も、かんころ餅(薩摩芋で作られた餅)なら焼いていましたが、餅を焼くところを見た事がなかったな・・・。
 
味覚や食の作法については、自分が見てきたことを無意識にもやってしまうのでしょう。
そう考えると、わたしは「お餅は煮る派」というべきかもしれませんね。
 
ふふ・・・色々書いていたらお腹がすいてきましたよ(笑)。
お正月用にと「手作り餅」がまだ売ってあるうちに、ひとつストックしておこうかな。無病息災は達成できなくとも、冬の寒さを耐え忍ぶための御馳走に預かりたいと思います。