うろんころんしてみる隊 -56ページ目

うろんころんしてみる隊

うろんころん・・・って何かって?九州弁でして、標準語に解釈するとウロウロと「散策している」「徘徊している」・・・どちらでしょうかね?
傍から見ると限りなく後者に近いわたくしの、人生の糧にもならないつぶやきを書き留めて行こうと思います。

 心なることの種々(くさぐさ)かき置きぬ思いのこせることなかりけり

 呼びだしの声まつ外(ほか)に今の世に待つべき事のなかりけるかな

 討たれたる吾れをあはれと見ん人は君をめて夷(えびす)払へよ

 愚かなる吾れをも友とめづ人はわがともとめでよ人々

 七たびも生きかへりつつをぞ攘(はら)はんこころ吾れ忘れめや

                    (吉田松陰「留魂録」より)

 

ここで、一定の思想といった端的なイデオロギイにおける批評を一切にして挟むつもりはない。先の大戦からですら八十年以上も経っている。現在の基準にて過去を評価するには、あまりに歪みが生じてしまうから。

歴史は地続きであり、過去の歴史における現在の評価も、未来には全く違う評価にも成り得る。

 

ここに記すのは、西の果てにある小さな家で余生を過ごした、慶応生まれの古い軍人の話し。

 

昔の人は実に、物を大事に取っている。

紙一枚にしてもそうで、古い和紙に認められた沢山の手紙や記録書は色あせてはいるものの、ケースに入れて残しているので、天気の良い時に時折陰干しを行っている。

曾祖父が記した長征記録帖やら、祖父のものは軍事関係から魚屋のツケ台帳まで。書簡もかなりの数が残されていて、幾らか束にして紐でくくってある。

纏められたそれらの束から一枚・・・祖父が雑多に書き綴った紙面が出てきた。

 

明朗闊達(めいろうかったつ:明るく朗らかに細事にこだわらないこと)

緝和親睦(しゅうわしんぼく:和合し互いに親しむこと)

轉迷開悟(てんめいかいご:煩悩による迷いを捨て悟りの境地に至ること)

融通無礙(ゆうずうむげ:何かに拘ることなく思考や行動が自由であること)

職域恪謹(しょくいきかくきん:職務を慎むこと)

規格厳正(きかくげんせい:物事の基準を公正に守るべく厳しく行うこと)

亡国元年十月作

 

亡国とはつまり昭和二十年のこと。

この年は祖父にとって、心棒としてきた世界が二度目に消えた年であった。

 

幼少の眼に写してきたのは、御一新の世界。親達が仕えてきた世界は、大きなうねりのようにして変わっていった。尊王攘夷運動のもと、それぞれの藩は生き残りをかけ動向を伺っていた。

外様の小藩にとってそれは死活問題でもあった。通信機器もない時代、他藩の動向情報を集める為に奔走する父親の姿を見ながら、その先にある世界に目を向ける。

開国とともに、政治、身分、産業、文化と世界は目まぐるしく変わっていく。多くの人たちが、わが国の未来を憂い戦い死んでいった・・・同じ大和人同士で。

 

時は明治に移り、廃藩置県といった国家の運営も変わり、これまで養ってきた家禄も失われた。藩は県となり、藩主も上京していった。堅実に支えてきた主を失い、亡国を嘆く祖父を支えた。我が家の使命とは如何に?家の者を支える為に何ができるか?世襲制度がなくなった今、これからどうやってお国の為に勤め上げていくのか?

 

西洋列国に負けぬように・・小さな島国は、嘗て大陸から何度も攻められた。先人もまた大陸半島を攻めた過去がある。戦乱の後、長きにわたって行われた鎖国は、長短の歴史がある。

唯一開かれていた西の果てでは、西洋の持つ「珍しき文化と恐ろしき力」を間近に見聞きする事となる。南蛮貿易の背後に存在したのは、亜細亜の小さな島国とは違う世界観。

世界がその力に呑まれていく中で、植民地化に抵抗している諸国と仲良く貿易交流し、互いに力を合わせ強くなろうと願う「南進論※」を唱える仲間もいた。

寝る間も惜しみ書物を広げ皆で学び、夜を明かして語り合った。行動に移して大陸に渡り所在の途絶えた者、異国の地で命を終えた友もいた。

 

祖父は、多くの士族がそうしたように、國の為にと軍事を学び、日清日露の戦いで血を流す。

多くの友を失いて我が身の傷を養うと、最後は後進の教育へと奉公する。

 

軍隊の黎明期に学び、戦地を駆け、これからの国の発展を願いながら予備役につく。

その後、大正、昭和と在郷軍人の身にて見つめた東亜の戦。旅順の地で放った機銃どころではない、対岸の目と鼻の先に落ちた、一撃にして多くのものを亡ぼす武器をどのように見つめたのだろう?

自らの教え子達が渦中のうちに進む道を、どのような思いにて見つめていたのだろう?

 

玉音放送の後、一大事に備えて神棚に隠していた青酸カリを、祖母は罵られてでも捨て去ったそうだ。死んでもらっては困るから・・・士族の名誉よりも現実に生きる人であったのだろう。

 

その後、GHQの命令にて警察によって軍刀等の没収が行われた。

大君から賜った軍刀も、先代の藩主から頂いた刀達も、家宝の刀も全て没収される。ところが、家宝の短刀だけは鍛冶屋の方から覚えがあってこっそりと戻されて来た。

これだけは、亜米利加には没収されたくなかったのだろうか。刀狩りの没収基準は「刃渡り10サンチ以上」これを充たす為に、刃を断てと命じた。鍛冶職人はそれだけは出来ぬと懇願したが、祖父は、敵国の手に渡り辱めを受けるくらいならば、と刀の死を選んだ。

 

自らが手にした軍刀や先祖等の形見を・・・父等が守ってきた武士の誉れを捨ててでも、祖父なりに最後まで護りたかった何かがあったのだろう。

 

斯くして母子の絆を繋いだ、長船の馬手指は刀としての命を終えた。

 

この敗戦は、過去の日本にあったものを亡ぼしてしまった。

 

老いた祖父も、亡国となった時代を枯れるように、静かに逝いていった。

 

今の平和といわれる世を尊ぶ心とまた同じくどこかで

それと引き換えに命をついえてしまった悲哀がある。

 

死したのは、もののふの魂のようなものだろう。

人を斬る刀を操る者達が自律を求めるに築き上げてきたものだろうと思う。

天賦人権説とは異なる、己の自由や幸福追求ではなく、自律と忠誠。

この魂は融通がきかないのか、的を外すと怒涛のように崩れ落ちてしまう。

愚直なまでの精神は、今でいう民主的な個人主義にはあまり馴染まない。

現代からすれば、古臭くて陳腐でガラクタのようなものであろう。

嘗てデモクラシーの空気を吸い育ってきた人達からも

戦後の新しい民主主義を謳歌する多くの若人達からも

目を背けられ打ち捨てられた・・・今は苔むし崩れる石塔のようなものか。

 

おかしなもので、今ではその精神の宿る「武士道文化」とやらを

海外の人々が珍しがってわざわざ見物にやってくる。

貴殿の祖父等が狂っていると評しうち殺した軍人達の亦死ぬ事を

まるで厭わぬ一心不乱なその姿の根底に迄存在していた精神性を

クールともクレイジーとも眺めているのだろうか?

 

わたしも平和を願うし、人の命を・・否全ての命も尊ばれるべきと思う。

むざむざと・・誰かの・・これは人でも国家であっても同じく・・為に命が

玩具のように粗末に扱われることがなされてはいけないと考える。

 

それでも、嘗て祖父達が心棒としてきたあの魂を粗末にしたくないとも思う。

 

力を持つ者は、常に己を律し、それを他のものの為に使わなければならない。

身の財ありて、心の財ありて、自分だけが欲を出して満足をしてはいけない。

己の持てるものを 人のために 社会のために 誠実に役目を果たしていく

たとえそれがちっぽけで地味なことであっても、こつこつと積み上げていく。

 

心棒とするものが・・・社会の価値とともに変化してしまおうとも・・・

蔑み、嘲笑、罵倒にも屈せず、先人が本来伝えたかった人としての道を

小さな灯のようであろうとも、途絶えぬように保ち続けていきたい。

 

八十越えた軍人が、自らを罪人と称して書き留めた偶成(思いついて記した詩)を

読んでは呉れるなと云われそうだが・・・このような世界があったのだと残す為に

ここに記すこととする。

 

※ここで出した「南進論」とは、明治期に興った平戸南進論と言われた一派である。菅沼貞風や稲垣満次郎等がいる。