道具に宿る魂は 神のもつ荒魂(あらたま)和魂(にきたま)あわせ持ち
主の心をうつしとり 苦楽の営み寄り添いて 年の経つ間に主も代わりて
時の営みうつしとり ものに宿れる思い出に 誰かが気づく彼も生きたと
今回、我が家にあった「こりゃなんじゃ?」の陶器を巡り三川内焼美術館へ初訪問しましたが、改めて「三川内焼」の長い歴史と高度な技法による美しさを知り、更に陶器の用途も知ることができてこれまた大収穫でありました。
昔の人は物を大切にしていました。確かに、気安く物を買い換えることはありませんし、そもそも物が簡単に手に入らなかったというのもあると思います。
戦後、これまでの生活様式もかわり、昔からとってあった道具も史料館に譲るなどして手元にはあまり残っていませんが、今回正体がわかった「盃洗」や、他にも陶器の重箱、簡単には倒れない丈夫な筒花瓶が今でも残っています。
重箱なぞは他のものより先輩格を醸し出しており、くすんだ乳白色の肌に所々黒い斑点が残っています。これらは、薪をくべ登り窯にて焼いていた頃の名残りだそうで、温度によって色味や不純物が残ることもあったようです。ガス窯になることで、均一な温度管理が可能になったとのこと。
それでも、三川内では有志の作り手の方達が登り窯を復活させ、昔ながらの製法を試みているそうです。技術を進歩させる一方で、古き伝統を大切にされている事を聞いて嬉しく思いました。
さて・・・
美術館から国道を早岐(はいき)方面へ進み、三川内山入り口の信号を山手に上って行くと、窯場が見えてきます。
三川内では、当初陶器を焼いていました。寛永10年(1633)に針尾島にて網代(あじろ)陶石が発見されてそれから磁器の生産が始まります。網代陶石を発見した(初代巨関の子である)今村三之丞を、平戸藩は皿山棟梁代官に任命します。さらには、三之丞の子の今村弥次兵衛(如猿)が天草陶石の調合に成功し、これにて磁器の作成が本格化しました。
なぜ急に、天草が出て来たのか?といいますと、当時、早岐の市(今では茶市として有名です)にて人々が様々なものを売り買いする中にその出会いがありました。
天草の方から砥石として売られていたものを、陶工達が「この石を陶器の材料として使えるのではないか?」と考えついたそうです。さすが・・・良質な物を見つける神力よ。
廃藩後、藩御用窯から民窯としての転換を余儀なくされたわけですが、村長の豊島政治翁は販売拡張に努め、また三川内焼の伝承の技を守るために陶磁器意匠伝習所を創設します。
このようにして、代々続いてきた独自の意匠を陶工の方達が学び受け継ぎながら、今でも新たな時代の風を取り入れつつ変わらぬものとして作り続けられているのです。
わたしの拙い説明ではいまいち伝わりにくいかもしれませんね、美術館で見ごたえのあるパンフレットをもらいましたので、HPや冊子や一番は・・・是非本物を見て頂きたい。
細かい説明はそれらにお任せするとして、家路への時間を考慮し、ちょっとばかり散策した思い出を語らせて下さい(*'▽')。
車を「三川内公園」の駐車場に停め、早速周囲を散策してみる事に。
買い付けとかではないので、窯を覗くというよりも、ちょっとばかりまちの空気感を肌で感じてみようと思いまして・・・堂々というよりも、何とも怪しげな一見さん状態(辛うじてパンフレットを手にして観光客気取りを・・・)。
陶器市等人で賑わう時と違って、静かな・・・聞こえるのは山々からさらさらと流れてくる木々の擦れる音や鳥の声、チョロチョロ流れる水路の水音。その中に混ざって、機械のモーター音がゴウゴウと響いている。
静かでいて、今この時にもあの美しい器たちが職人さん達の手で新しい命が吹き込まれている。
車一台が通るほどの坂道を登りながら、むかしのすりガラスを残す御宅の庭先や道先に洗濯物を干してある飾らない日常を・・・少しだけ余所者が共有させてもらいながら・・・その先にある 神社を訪ねることに。
わたしが訪れたのは、如猿こと今村弥治兵衛が祀られているという「陶祖神社」。
境内に繋がる鳥居の前にて、黒猫が一匹ひょろりと出迎えてくれました。(拙者アヤシイ者じゃありませぬ、ちょっとだけお邪魔しますよ・・と)
古い石垣の階段を上る横の敷地には、かつての代官所跡(今村家跡)の基礎が残っています。
陶祖神社の写真をアップしようかと思ったのですが、どうやら写真殿は写りたくないのかどんなに調整してもアップロードできないようです(ゴメンナサイ)。伝統継承の労いとこれからの発展を願いお参りしました。
階段の上から眺めた街並み。
赤い煉瓦作りの煙突は「今由製陶所石炭窯跡」。高台にある墓地には如猿や最初の御用窯を開いた高麗媼の墓もあります。
陶器を運ぶために馬車が通った道や、解体した窯の煉瓦を塀に再利用した「トンバイ塀」等焼き物の里らしい風景があちらこちらに点在します。
トンバイとは、登り窯を築く際に用いた、耐火性のある煉瓦のことです。表面をさわるとツルツルしています。
もっと上まで上れば、江戸時代から昭和初期まで使われていた窯跡(三川内東窯跡、三川内西窯跡)の名残りが見れるようですが、今回は時間の制約もあったので、いつもの「うろんころん」で戻って参りました。
タイムリーにも「三川内陶器市」が今年(2025年)は11月21日~24日まであるそうなので、もし・・・都合がつけば(^^)。
有田の立派なテーマパークのような華やかさは御座りませばってん天に差し伸べごたる高級一品でん誰の手にでんよう添わるる天下一品でん、初手は江戸から今の令和にも時代を越えて人の手でよう捏ねて天女の手先のごたる手前で装うて生み出されておりますと。
(了)


