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うろんころんしてみる隊

うろんころん・・・って何かって?九州弁でして、標準語に解釈するとウロウロと「散策している」「徘徊している」・・・どちらでしょうかね?
傍から見ると限りなく後者に近いわたくしの、人生の糧にもならないつぶやきを書き留めて行こうと思います。

赤や黄の 落ち葉散りばめ 錦坂 冷える足先 はや師走

 

 

人生花盛り世代(Z世代)の倅一号が「一年の早く感じるけんね・・・」と呟いた。

そうやねぇ、正月明けたと思ったら、すぐに春が来て夏が来て秋が来てまた年末やろう?

小学生の頃は感じた事もなかったけど、高校卒業したら一年がさらに早く感じるとぼやく彼にはこの先二十代を迎えた後のさらに先の、駆け足のような時間の早さは想像できまいな。

 

二十年 更に倍速 半世紀 体は老えど 渋み出ず まだまだ未熟 修業はつづく 

 

 

11月は連休が二度訪れましたが、勤労感謝の日を挟む連休に開催された「三川内陶器市」に足を運んでみました。

お天気も良く、散策日和。数ある工房を気兼ねなく自由に覗けるのも市ならではなのかもしれませんね。事前に申し込む魅力めぐりツアーというものもあったのですが、『私用をたてると子が何かを起こす』というジンクスがしっかりと作動したので諦めました。

いつかはゆっくりと史跡めぐりなどのツアーに参加できたらいいな・・・・(*´ω`)キボウ

 

それぞれの工房では、職人さん達の作業風景を拝見する事ができました。

陶芸に限らずですが、職人さんが自分達の技術と真摯に向き合う姿は本当に美しいですね。黙々と筆を動かし美しい絵を描きこむ背中をいつまでも見つめていたい気分でした。それぞれの工房が特色あるうつわを作りだしておられます。

わたしがお邪魔したのは、平戸嘉久正窯様。器の事について色々お尋ねすると、三川内焼のもつ模様や様々な歴史などを優しく教えてくださいました(お忙しい中を大変恐縮いたしました)。

 

巨関と同じくして三川内焼を発展させた「高麗媼(こうらいばば)」の流れをくんでおられるそうです。

(山手の方にのぼって行くと、三川内の氏神である天満宮の境内に、高麗媼を祀る「釜山神社」があります。百を超える長寿を全うした彼女は、火葬をして煙が地に降りればこの地に埋葬し、煙が天に上れば朝鮮半島へ埋骨して欲しいと願います。煙は地に降りたとのことで、媼の御骨は今でもこちらに大切に埋葬してあるそうです。)

高麗媼も眠る天満宮の鳥居(佐世保市三川内町)

こうして、朝鮮から継いできた陶芸の技術と、この地で独自に築かれた技術とがさらに融合し合い、四百年以上もの間、脈々と大切に引き継がれているのです。

 

 

せっかくの機会ですから、我が家にも新しい器をお迎えする事にしました。

二世紀程離れた、新旧三川内焼の顔合わせ

盃洗のお供に、かわいい花札模様の入った盃を添えてみました。

「猪鹿蝶」ですね(´艸`*)。。

 

拙者どもお江戸でござるの「お重と盃洗」に令和の新たな風を吹き込む可愛いお皿たち。

遊び心満載ハシビロコウの小皿は倅三号のセレクトおとぼけ顔がカワイイ

 

晩秋の黄みがかった自然光に晒されると、白磁器としては江戸時代のものがやはり黄みがかっています。純粋に白さを極めた技術を愉しむのはまさに現代の技法。不純物も交じりつつ、味わい深さを愉しむのは登り窯の昔ながらの技法。

「薄づくり」といわれる光を通すほどの薄さは、光をあてると裏の模様まで透けて見えます。

 

白地のうらにうっすらと映える模様・・・これが薄づくりの持つ本領なのでしょう。

 

自然光でも十分映えるのですが、電球をあてると更に裏表が透けて見え・・ますかね?

淡い山水画が灯るかの如く透ける幽玄な姿は思いのほか幻想的。黒い点は不純物の残り

平戸藩の威信をかけて作られた、ひとつひとつの器に込められた陶工達の情熱に思いを馳せてみました。(献上品などではなく島の人が手に取るような一品だったとしても)

 

 

鍋島焼等も同じでしょうが、三川内焼の成り立ちもまた、秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)がきっかけとなります。

松浦家の書物にも、朝鮮御陣中とし鎮信の戦いの様が記されている文章がありました。そして帰国の途、焼物師等を連れてきたこと(当初中野村、上椿村に住んでいたが)高麗の神を三河内に遷し三皿山で年々祀ったことが記されていました。漢字は書に記載された通りに書きます。

その事に対して是非を問うには、今の世にありて答えを出せるものではありません。

ただ・・・事実だけを持ち出すのであれば、日本に来た巨関や高麗媼といった陶工達がこの地で技術を磨き、それを代々守りつつも時代に即して発展させてきた焼き物の流れが、今でもこうして世にも美しいものを作り出しているのは間違いのない事でしょうから。

 

そして・・・このような歴史がなければ、今こうして我が家の『愉快な仲間達の珍道中』を拝むことができなかったのも確かでありましょう。

 

西の端にある小さな島にて慎ましく生きてきた祖父母達も、日々の生活において手にするもの等をひとつひとつ大切にとっておりました。

豪華なものは何もないけれども、親から代々受け継いできたものは全て「うち割らんごと」と大事に手にとっては日々のいとなみの中に差し出してきたのでしょう。

 

今では100円そこそこで気安く手に入れることもできる器どもですが、手に添い、物を支え運び、命のもとを口に注ぎ入れる役割を担うのだと思えば、やはり大切に扱わなければならないと思いました。