去年より縦に伸びたる影法師 変わらぬ影を追い抜かす
子どもはある時、ぐんぐんと勢いよく成長する時がある。
まるで、芽が出て若葉がつき蔓が天まで伸びるが如く育っていくように。
数年前までは、その頭はうんと下にあった。
「君もランドセルからって(背負って)、すっかりお兄ちゃんになったね」
まだ手を差し出せば、わたしの手にその小さな片手をのせてくれた。骨もまだ細々とした小さな手をしっかりと握りしめ、車に撥ねられないようにしっかりと見守って歩いたり、空を指しては雲がどんどん大きくなっていくねと話したり、道草もたくさんしたように思う。
「すえごはやあらしかばっかいよ(末っ子は可愛いばかりよ)」
長子の育児にキリキリしながら下の兄弟が生まれると、年配の人たちはそのようにして励ましてくれた。確かに、初手よりはちょっとだけ余裕が出来る末っ子の子育て。
小さな頭に頬を乗せると、ふわふわとした髪の毛がここちよく肌を撫でる。
日向のような匂いと、負ぶった腰のあたりにある、まだ大地に足を踏ん張ったことのない柔らかい足先を両手でさわさわと撫で散らかす。するとくすぐったいのか、君は足をパタパタする。
ああ・・・この柔らかい手足を撫でるのもこれが最後。
柔らかい歯茎に歯が生えて、歩みだして、おむつが外れて、お乳が離れて、赤ちゃんのデフォルメがどんどんと消えていって、色々な事が「これが最後だね」と終わっていく。
目安通りにはいかなくても、いつかは成長していくという体験から、「これが最後かもしれないから今のうちに味わっておこう」と鷹揚と構えて味わっている。
成長は、進みつつ戻りつつ・・・そしてまた進みつつ。
たくさんの人に可愛がられて、たくさんの人に助けられて・・・・。
末っ子の特性を上手に使って、ちゃっかり甘えてしれっと人にやってもらったり・・・。
最後の卒園式、最後の小学校入学式、ピカピカの一年生が二年生になって、ギャングエイジの中学年になるころには、小さな頭は自分の胸の近くまでせまってくる。
それでもまだ、その小さな手を握り、頭を撫でて、時に抱きしめて、まだ「ちっちゃい」とすべてが可愛らしく見えて、ついつい甘やかしてしまい、長子たちに諫言を受ける。
「あなたたちも可愛かったとよ~」
かたや、髭も生えて見上げるような体格になった人たちも可愛さはちっとも変わらないのだが、流石にベタベタと抱きついて撫で散らかすわけにはいかない。
それでも、この間昼寝をしていた時に顔を覗き込んだら、赤ちゃんの時の寝顔と同じだったことにふふふと一人微笑んでいたことを君は知るまいよ。すっかり青年の顔になろうが、わたしがどれだけ君たちの寝顔を眺めていたかは知る由もあるまいに。いくつになっても我が子なのだ。
「可愛かった」と過去形のようにして言ったのは、ほんの照れ隠し。
それでも、10歳はひとつの機転になるのだと思う。
男子、女子とはっきりと見た目からも分かれていく。まさに第二次成長期だ。
骨の末端がボコッとしてくる。うっすらとヒゲのような産毛が生えてくる。声が少しずつ少しずつ低くなっていく。低学年の頃のような「キンキン声」がちょっとずつ落ち着いてきて、見る世界も話す世界も、少しずつ変わっていき、少しずつ・・・君たちは静かになっていく。
目の中に映るわが子は、手から離れていって・・・自分が知らない世界で生きている姿。
もう・・・手を握ることはなく、自分の先をすたすたと歩いて行く後姿を見るばかり。
同じようなペースで歩いているつもりでも、コンパスの差か、どんどん距離があいていく。前を歩く姿を見つめながら・・・ランドセルがこんなに小さかったっけ?足が大きいよな・・・キッズサイズの服がツンツルテンになっていて、次の季節にはもう・・・入らない。
そうだ・・・・もう次の夏は・・中学生だもの、大人と一緒のサイズになるだろう。
足だって、もう大人サイズだもの。子どもらしいものがどんどん消えていく。
自分のなかでは、「赤ちゃん」の時も、「幼児」の時も、「児童」の時も、その先も・・・ひとつひとつの思い出が記憶のなかに残っているというのに、カレンダーをめくり、季節をめぐっていくにしたがって、たくさんの「最後」が巡ってくる。
もう・・赤ちゃんのおもちゃには興味がないか?枯葉を踏んでカサカサいうのを喜ばないか?お子様ランチじゃあ足りないか?一緒について来てなんて言わないか?
お風呂で水鉄砲をかけてやると真似してそのちっちゃな両手をギュッギュと握りしめて飛ばそうとがんばるなんてことないか?
自分の中ではいつまでも「ちっちゃい」と思っていたのに、不意に肩を触ったら手で払われた。
ああ・・・そうか、そうだよね。
自分の身体は自分のもので、自分の心は自分のもので、自分のテリトリーは自分が護るもので。
親からの直の温もりを必要としないのだと・・・当たり前のことなのにようやく理解する。
ああこれで、無条件に抱きしめるのもきっと「最後」。
兄ちゃん達に囲まれているとまだ「ちっちゃい」し、まだまだ幼いところも沢山あるのに、肝心なところをすっかりと見落としていた。
修学旅行だ何だと行事を終えるころには、冬休みを迎え、そこにはもう「中学校進学」が迎えている。
長子たちの詰襟の制服は「今時のジェンダーレス制服」の出番によって、ずっとクローゼットの中に納められている。
ランドセルの中に入っていた「中学校制服採寸のご案内」のチラシを見て、小学校の「最後」がどんどんと近づいてくるのを実感する。
この間、倅一号の最後の制服を片づけて、倅二号の中学校の制服を片づけて・・・どんどん「もう着ないよね」と片づけていって、身の回りのものから「子どもらしさ」を持ったものたちが消えていく。
子の成長は、不安と喜びと、心配と安心と、寂しさと気楽さと・・・その一つ一つを通過して「これが最後」を見送っていく。
もちろん、いい事ばかりでなく、心配や心配や心配や・・・腹立たしさや呆れや無念さや・・・泣きたくなる程苦しいことや・・・さもすれば儘ならないことのほうが多いけれど、ふと立ち止まった時に、自分一人では感じ得なかった感情や経験がそこにはあって、ふとそれらを思い出すとやっぱり笑いや喜びが浮かんでくるのだ。
子育ての面白さは、過ぎてみないとわからないのかもしれない。
新しく始まって、そしていつも「最後」の経験がやってくる。
結果がよかったのかどうかはわからない。理想とは真反対になるかもしれない。至らないことばかりかもしれない。だって・・・おたがい人間だもの。
それでも、互いに「これでまあよかったんじゃない?」と思えるような送り出しをしてあげたいと思う。それが親としてできる最大の責任だから。
今日とて一日、「最後」の思い出が作られていく。