長崎の空を旅して(きまぐれ⑩) | うろんころんしてみる隊

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うろんころん・・・って何かって?九州弁でして、標準語に解釈するとウロウロと「散策している」「徘徊している」・・・どちらでしょうかね?
傍から見ると限りなく後者に近いわたくしの、人生の糧にもならないつぶやきを書き留めて行こうと思います。

長月の夜も更けて静まりし風の涼みに秋を知る

 

 

 

彼岸をむかえ、曼殊沙華の朱がさす実り深き稲田には、小さなコンバインを動かす人々の姿が見受けられます。稲刈りも始まり、一年の実りの集大成を今ここに見るという万感の思い。

風雨に荒らされるところもあり心を痛める限りですが、どうか万全に実りがありますように。

 

 

海の青と稲のこがね。畦道は朱に染まりて、天は突き抜ける程の青空なりて

山の緑深く潮風に揺られる樹々の音。風と踊れよこうべも揺れるこがねかな

海の彼方には、大島の橋連なりて船の行き交う海と島の見ゆるまち。

西彼杵半島のふたえにわかれる海の姿と太古の神秘の残る姿と万華の如し。

 

かつては、西彼杵半島を中心に、西彼杵郡(にしそのぎぐん)が存在していました。

略して「せいひ」。

ふと思い出したのが、長崎県の郡って略称がついていて、今でもまだ使われています。

 

西彼杵郡(せいひ)

東彼杵郡(とうひ)

南高来郡(なんこう)

北高来郡(ほっこう)

北松浦郡(ほくしょう)

南松浦郡(なんしょう)

 

但し、対馬にあった下県(しもあがた)郡・上県(かみあがた)郡と壱岐郡は別格。

平成の市町村合併にて、上・下県郡、壱岐郡、北・南高来郡は無くなってしまいました。新しく出来た市もあれば、市に合併して消滅した町もある。それでも略称は生きています。

 

現在、せいひこと西彼杵郡として残っているのは2町のみ。

長与町と時津町です。こちらの藩領はどちらも肥前大村藩(西彼杵半島一帯は大村藩)。

 

西彼杵郡はかつてたくさんの村がありましたが、すべて「町」となったのが昭和48年。唯一の三重村が長崎市に合併し、当時は15町存在しました。

平成の大合併にて、長崎市(香焼町・伊王島町・三和町・野母崎町・高島町・外海町・琴海町)と諫早市(多良見町)に合併した町と、新たに合併して西海市(西彼町・西海町・大島町・崎戸町・大瀬戸町)が誕生しました。因みに炭鉱として名が知れた「松島」は大瀬戸町です。

 

西彼杵半島・・・これをどこまで含めるのかは諸説ありますが、国交省の地域振興としては西海市と長崎市の2市となっております(地理的には時津や長与も含むかどうか・・・みたいな)。

 

「西海(さいかい)」「外海(そとめ)」「琴海(きんかい)」と「海」がつく町が多い通り、西彼半島は、五島灘に沿った外海と、針尾瀬戸から大村湾に面した内海とまったく異なる「海の表情」を見ることができます。

山々を囲んで多くの川が海へと流れ込むのですが、地理的にも面白いのは石灰岩層が隆起してできた鍾乳洞(七釜鍾乳洞)があったり、五島灘に面して炭鉱があるということでしょう。

池島を最後に、松島、大島といった炭鉱は閉山してしまいましたが、明治から昭和期にかけて歴史的にも重要な役割を果してきました。

 

他にも、「西海捕鯨」というように捕鯨基地として栄えた歴史や、隠れキリシタン文化などの深い歴史が刻まれて来た地でもあります。

 

記念すべき?長崎の空第十弾は西彼半島からみる空の色

 

ふたえにわかれる海の姿と書いたように、西彼杵半島はR202が通る外海(五島灘)と、R206を通る内海(大村湾)が存在します。

どちらが美しいかって?それはどちらとも(*´▽`*)

 

本当に、どちらとも美しい。

わたしは西海橋経由で長崎市内に行く時は内海側ばかり通っていて、外海は大島までだったのですが、一度長崎市内からずっと外海側を通ってみて初めて「そとめ」の美しさを知りました。

本当に本当に「美しい」の一言です。

写真で撮れるキャパが限られますが、見渡す限り青い海が広がります。

サンセットロードとなっている通り、夕陽が沈む時もまた美しいことでしょうね。

道の駅夕陽が丘そとめの下にある駐車場にて撮りました。そばには、「沈黙」で有名な、遠藤周作文学館があります。

 

野母崎から五島灘の海を眺めていて思うのは、海流の筋がよく見えるな・・・と。上流する流れだけではなく、時には南にむかって潮が流れていくのが見えます。この流れにのったらきっと、天草のほうに漂っていけるのかな~とか考えたり。

海の表情がともかく豊かで、見渡す限り続く水平線を眺めたり、この潮はどこまで流れていくんだろう・・・あの船はどこまでいくんだろう・・・とか眺めていて本当に飽きません。

 

「外海(そとめ)」はド・ロ神父のお墓があったり、黒崎教会や出津教会や大野教会など、カソリックの影響がいまでもしっかりと根付いています。

神浦川の赤い鉄橋を過ぎると、神浦港があって、そこから池島までフェリーが出ています。

九州最後の炭鉱であった池島炭鉱。池島炭鉱坑内体験ツアーというものがあるらしい・・・何と!2027年3月末までとなっておりますぞ!!

 

すごく気になる・・・知らなかったとはいえど、外海に面する島ですから軍艦島もそうでしょうけれども、閉山後の建築物の維持管理は大変かと思います。しかしそこには確かに近代日本の礎を支えてきた産業があったのです。

訪れてみて初めて知る、せいひ地区の持つ歴史の奥深さ。

 

アップダウンの海岸線と漁港の景色もとても素敵なのですが、個人的に好きなのは、大瀬戸町多比良地区を通る道。稲田を過ぎると左手に空気が澄んでいる時には、大島大橋が見えます。

 

大島大橋を渡ると、寺島と大島と蛎浦島(かきのうらしま)と崎戸島にそれぞれ橋を渡してあるので、造船所や塩生成工場を見ながらのドライブにはおすすめです。

上からみると船の形をしている崎戸フェリーターミナルからは、新上五島までフェリーが出ています。一番先端にある崎戸島には、北緯33度線展望台があり、360度海を展望できます。

 

目を凝らして見ると、黒島や平戸がみえました。

 

確かに西彼杵半島は陸地ですが、海を中心に島が広がり、そこには人々の暮らし交流した文化があって、「キリシタン文化」や「炭鉱」やら大まかには知っているものの、その一点を深く知ろうとすると案外自分は何もわかっていなかったのだな・・・と思い知らされます。

 

知っているようで知らない、まちの風景や文化がたくさんあるのだと再確認するのです。

長崎の空に広がる色はとても美しいのに、そこに住んでいても知らない場所がたくさんある。

足を踏み入れた事がない所にも(橋で渡れない島がたくさんある)同じくこの美しい長崎の空が広がっているという・・・。

 

そんな西彼杵半島の空を・・・次は大地から眺めてみたいと思います。