海って不思議。
海に囲まれた地で生活しているわたしだって、世界中の海の器に比べれば、小さな手ですくった水だまり程のことしか知らない。
目の前に広がる海は同じようで、一瞬たりとも同じ形をしていない。
内海のあらわす静かに波打つ海や、外海のもつ激しく打ちつける潮を眺めては、この海の水を辿ってゆきつく先は北海の荒波なのだろうかと考えてみる。
また、この波の生まれた源は太陽の光が降りそそぐ地球の中心なのだろうかとも思い、はじまりは小さな水蒸気のようなものが集まり流れ循環し続ける地球という器の大きさ・・・自分が爪先立ってうんと遠くへ目をやって、両手を目いっぱい広げてみても届かない広さを、何億年も昔から流れ続けているその途方もない規模に
「きっとわたしはあなたの事を何にも知らないだろうね」
と目の前の水面を只々眺め続ける。波に揺れ唸るようにしてゴウゴウと渦巻く海の答え。
静かにそして激しく揺らぐ姿に「それでもあなたのおかげでわたしは生きている」そう思う。
あなたの深い袂にはたくさんの命が眠っている・・・迂闊に触れてはいけない底知れぬ畏怖の念をも感じる。
海を見て空を見て風を見て地を見る。
皆それぞれが放つ匂いと光と音と肌をなでる感触とを全身で受け止める。
かれらは地球が生まれてから、少しずつ少しずつ変化しながらも、こうして変わらぬ様にして存在している。やはりあなたは命すべてのお母さん。優しくもあり、恐ろしくもあり。
空と同じくその彩を映す海もまた、季節、天気、時間と常に表情を変えていく。
梅雨の空、風がよく流れるそんな休日。この日は強い東風が雲をどんどん吹き飛ばしていった。雲の切れ間に広がる青空、飛ばされそうな程の風。こんな日は、遠くまでクリアな世界が広がっている。
雲仙岳の仁田峠第二展望所から眺める景色は、眼下に南島原市とその先には天草や宇土半島から熊本の緑川や金峰山までよく見える。
低い雲はどんどん流れていって、天草の島より海の先までがはっきりと映し出された。
「すごかねぇ、ありゃ三角の大田尾の採掘場までようと見ゆる。ずうっと天草さん連なってあそけ鬼池のあるやろうもん?船ん行きよる・・・あた・・まぁた八代海までようと見ゆるな・・ほりゃあ・・あの対岸が八代たい」
八代の新港町のほうまでくっきりと見える。そうそう、くまモンのオブジェがある八代外港のほう。目を凝らせば、ずっと先の津奈木まで見えるのではないだろうか?
そうさなぁ・・・船があれば、天草を下ってそこはもう鹿児島の地だ、長島の海岸線も美しい。
これ程先までくっきりと見えたのは初めてだ。同じく眺望を楽しむ年配のご夫婦と、これ程よく見えるのも珍しいとお互いに喜んだ。そして「さすがに雲のかかって阿蘇のほうは見えんね」とも残念がった。
悠々と空を映す有明の海のうえを船が通り、白い波跡をつける。
曇り空もきまぐれな風に吹かれて青空を見せる。真夏とも違う、晴れ間に見せる水気を含んだ新緑の鮮やかな光の中を、豊かな葉の隙間からこぼれてくる眩しさに目を細める。もう少しすれば、本格的な梅雨に入るのだろうか?
晴れか曇りかそれとも雨か?少しばかり気分屋の水無月の空も海もまたよろし。

