親子競技を 子と並び 親の威厳と 綱を引く
一夜明ければ 身体も動かず 何をするにも
あたたたた
まあね・・・運動不足も否定できない。
されども、親が子に頼られる時間なんぞ人生のうちそれ程長いわけでは無い。
直に触れる時間なんぞさらに短く、自分よりも小さな手を握ってやれる時間なんぞもっと短く、
負ぶって歩いた時間もあっという間だった。
いつの間にか思春期を迎える頃には、足も抜かれて(足の長さも抜かれ・・・)いつの間にか声変わりをし、細い腕にも血管が浮き出て、そこにいるのは小さな男の子ではなく立派な少年。
たった六年という小学校時代も、これが最後の行事だとこれから一個一個を数えていくのだ。
運動会もその一つ。めずらしく親子での競技に参加することになった。前日の滑り台に痛めつけられておきながら、それでも子どもの期待には応えてあげたいもの。
「今生の大舞台じゃ」とヘルニアには、なんとかやれと言い聞かせがんばってみた。
予想通り、翌日は「いたたたた」と腰をさすり腕をさすりして過ごすことになる。パソコンも右手があっちこっち定まらないので、初心者の手習いのような進み具合である。
長子からあわせて足掛け14年。
その間に運動会も随分と様変わりした。倅1号がまだ一年生の時は、六年生の晴れ舞台組体操では男子が四段ピラミッドを行った。
小規模とはなったが、我が子が取り組む組体操は格別なものだった(自分がやった時よりも余程ドキドキと緊張した)。
コロナを境に競技短縮で午前中の開催となったり、熱中症対策でどこも秋から春へと変更していった。それ以上に変わったと思うのが、「父親の参加が増えた事」。
1号の頃は、保護者競技にて父親の参加者を募るのが大変だった。母親はわりと協力的に決まるのだが、父親は・・・(競技がガチリレーになりがちなのでしょうがない)。
今年の保護者競技を見ていると、参加している父親の姿がとても多かった。時代もどんどん変わっていくものである。
各学年の競技を見つめながら三人のいろ~~~~~~んな思い出が駆け抜けていき、また、先生方や地域の方をはじめ保護者会(PTA)の方のたくさんのお力添えによって、この子達の子ども時代を彩る一つの思い出ができることを有り難く思った。
運動会なんて嫌な思い出じゃないのという方もおられようか。かく言うわたしも、運動会の前日は雨が降らんか、学校が火z・・・とまあ子ども心ながら物騒な呪いをかけていた一人であるが、運動会が好き嫌いにしても、その時代にこそ経験した事実が大事なのであって、そこに誰かの(ある意味無償に近い)関りがあるのも確かなのである。
活躍の場を持って先頭を切る子も、これまでに悔しい思いを乗り越えてその場に立っているのかも知れないし、同じく呪いをかけて(?)運動会を憂鬱に思っている子も、不満な気持ちを抑え込んで跳んだり走ったりして大きなうねりの一つを欠かすことなく作り上げた功労者でもあるのだから恥じる事はない。
もちろん、その場に足を向けることができなかった子もいるだろう。苦しい思いもあろうか?その想いもまた自分の人生を彩るひとつの経験だということを忘れずに心に温めてもらいたい。
わが子がこの集団の大きなうねりの中に入り込んでいった時、何とも言えない思いが浮かぶ。
・・・そういえば抵抗する2号から噛みつかれたな・・・蹴られたな・・・色々あって・・・まあ今も色々あるが・・・最後の学年の時はちゃんとやっていたのに驚いたな・・・懐かしっ。
五年生の勇ましいはずのソーラン節・・・3号の踊りは天女の舞かと思えた・・ふわふわ~て踊るからさ・・法被を着るとみんな恰好よく決まるのよねぇ・・・1号の・・・あれ何か・・大創業祭で売り込みをかける課長さんのようだっ・・・。みんな頑張ったよなあ。
この騒音の中で必死に我慢して頑張っている子・・・色々な葛藤を乗り越えて、子ども達の様々なドラマが見え隠れする。そしてわが子でなくても涙が溢れそうになる(わが子には監視目的の要素がでてくるので、そのような心持は・・・)。
さて、3号の最後の競技。せめて記録に残そうか、と携帯を動画にしてスタンバイ。今年は奇蹟的に事前に競技の順番表が届いていたので「いつ走るのかわからん」ということはないぞ。
あ・・・でも、その瞬間ぐらい自分の目で見ていたい。携帯を構えながらも、がんばって走る彼をこの目で追いかける。他の子ども達も同じである、皆が六年間の成長を重ねて今走り抜いているのである。ああまさに万感の思い。
一番だろうがそうでなかろうが、抜こうが抜かれようが、一人ひとりの走る姿のまた何とも神々しいものだろうか。結果ではなくまさに過程こそが素晴らしい成長なのだ。
よう頑張った・・・と家に帰って携帯の動画を確認してみた。
むっ!テントしか映っ・・アングルが高すぎて人が映っとらんよ
辛うじて次の走者にバトンタッチした後にトラックの中を歩いている倅の後姿が写っていた。
・・・・・・・ふっ・・・・
君たちの思い出はまた・・・・わが瞼のうらに焼き付けられる。