この空を見上げる時のここちよさ 晴れもくもりも雨の日も同じかたちの時はなし
何億分のいちの空ひろがるあまを 留めるように目を見張る同じかたちの時はなし
誰かの描くその絵には故郷の空の 薫りあり見上げた空のかたちあり
以前からずっと楽しみにしていた「椋尾篁展」に行って参りました。
唐突にすみません・・・先月に呟いたこの記事のことでございます。
実は会場の島瀬美術センターに行くのは初めて。
あとで調べると、外壁にはギリシア神話12神が鋳込まれていると書いてあり・・・ああ知っておけば見たかったのにぃぃぃぃ(;´Д`)HPとか何も書いてなかった・・・
佐世保市さんったら・・・海きらら森きららに全振りせずに、質のいい文化財たくさん持っているんだからそこのアピールもやって欲しいカモ(現佐世保市民文化ホールなんか菅沼貞風の弟君であられる菅沼周次郎海軍少将が発起人となって建てた「地中海の守護神」の凱旋記念館でしょうが・・・空襲にも耐えたのに・・・キャバレーペッペカネオンの屈辱にも耐えたのに・・・)
・・・脱線しないように・・・戻って参りました。
さてさて、心待ちにしていた椋尾さん直筆の絵に逢える喜びに足取りも軽くなりにけり。
(注:今回の「椋尾篁展」は4月25日~5月24日までの開催でした)
アニメーションはキャラクターの動きや表情等に焦点がいきがちですが、そのキャラクター達を生かすのも背景の彩りがあるからこそ。主張をし過ぎず、かつ作品の世界観を引き立たせるものがまさに「背景美術」。特に70年代後半~80年代(つまり昭和50年代~60年代)のアニメーションの根底にあったのは、美術さん達の現実から超現実を舞台とする作品の世界観を表現するためにひたすら手を動かし筆を動かした試行錯誤の賜物だったのではないかと思われます。
椋尾さんの関わられた作品は、まさに当時自分が惚れたものばかり。しかもご本人直筆のあの原画たちを間近にお目にかかれるなんて・・・・感極まれり。
会場には、実行委員長であられる中里松太郎さんもいらっしゃいましたので、クラファンの返礼品へのお礼を伝える事ができました。
会場の入り口を入りすぐそこにあったのはこちら。
松本零士さんの「銀河鉄道999」。(イメージボード?本編で見た惑星大アンドロメダとは少し印象が違うような気も・・)
改めて大画面でみると描きこみの色鮮やかさや計算された線の構図に圧倒されます。今回は、「母をたずねて三千里」をはじめ、左上に提示されている作品を主に椋尾さんが手がけた背景美術画が展示してありました。
※いくつかの作品群は写真撮影不可のものもありますが、その他は作品が二点以上映るようにすれば大丈夫とのことでしたので、条件に従う形で紹介いたします
「母をたずねて三千里(1976作成.高畑勲監督.日本アニメーション)」は昭和世代ならば誰もが知っている名作。いわゆる「高畑宮崎コンビ」が手がけた作品ですね。パンフレットの紹介文には、高畑さんが一年をかけて放送されるロングシリーズの間に子どもたちを飽きさせることなく引きつけておくために、自分達の日常的な営みとアニメの世界を同等に感じてもらうことに注力したのだと書いてありました。その為に、海外ロケハンを実施し、よりリアルな風景を効果的に表現してあったわけです。
なるほど、幼心ながらマルコ達が旅する異国の風景がまるで自分と同じ世界観のようにして感じ取れたわけですね。子どもが相手でも一切の妥協を許さない姿勢。
それらは単なる風景画ではなく、アニメーションという「撮影」を介して相手に届けられる世界。背景一枚においても、光と影を効果的に使って色彩を作り上げられていました。
ですので、アニメの画面で見た印象と、原画で見る印象はまた違いました。絶妙な色加減で重ねられたものもありますし、想像以上に鮮やかな色味もありました。
「銀河鉄道999」も「がんばれ元気」も素敵なのですが、やはり目を奪われたのは「幻魔大戦(1983作成.りんたろう監督.角川春樹事務所/マッドハウス)」。
当時の公告用に使われたビジュアルや、艶やかにして畏れをも感じる桃色に染まるドクロの絵等原画ならではのリアルさが目をひきます。
ビビットな色を繊細に配置しながらどこか幻想的でどこかリアルな背景の「崩壊するニューヨーク」等・・・配色だけで見るとポップな色合いなのに、心を締め付けるような虚無感を感じさせるのですから・・・。
その中でわたしが一番目にしたかったのが「砂漠化した東京」という作品。月夜の砂漠のなかに崩壊したビルが佇んでいる幻想的な絵です。(リアリティーを追求したファンタジーの最高傑作だと思う)
すぐそこまで寄ってまじまじと見つめられる贅沢。
ああ・・・浮き上がるようにして建つビルの表現って・・・これは月夜の青白い夜空と、建物との間に僅かに明るい青を重ねてあるんだ。荒廃したビルに月明かりが当たっているかのように、白・・に何か混ぜてある銀色にちかい灰色?・・で厚く縁取ってあるからこんなに浮きだって見えるんだ・・・わぁ・・・きれい・・・ホント・・・きれい・・・
写真に撮られない分、よくよく目に焼き付けておこうとじっくりと見つめ合う時間。
たくさんのコマを動かし常に進んでいく動画と違って、原画は静かながらも内には情熱を秘めたようにして存在しています。一枚の絵の中に、微妙に色を加えて幾層にも塗られた絵筆の数。
椋尾さんの絵柄の特徴は、素朴な原風景から虚構と温もりが混在する超現実世界まで、変幻自在に描きこまれているところだと思います。どの一枚にしても、妥協しない一本の線やひと塗りの筆の跡が残されていて、まるで命を削りまた命をそこに吹き込むようにして生み出された脈動するもののように見えてくるのです。
どれも素晴らしい作品なのですが、面白かったのがこちら‼
「三国志シリーズ(1992.1993作成.勝間田具治監督.シナノ企画)」。
椋尾さんが手がけた最後の長編アニメ作品です。
恥ずかしながら、わたしは三国志を読破したことがないのですが、あの時代における中国の雄大な風景画を精密に描き込んであることで、まるで自分が同じ時代の市井の人のようにして追体験できるような気がしました。
となりが「悪魔くん」シリーズのコンテボードだったので、悪魔くんの摩訶不思議な空間と対比して、どちらの椋尾ワールドも楽しめました。
何よりも、この作品における特徴は、背景画がかなり横に長いこと。パノラマ構図のように一コマに映る背景画のフレームよりもさらに奥行きがつらなっているのです。
真ん中の絵にある黒い線が一コマのサイズだと思いますが、背景にはその一コマの先に続く登場人物たちの生活する世界が地続きのようにして描かれています。
雑に撮ってしまって申し訳ないのですが・・・下の絵(確か劉邦の暮らす家だったような)の朝陽が昇る前の空の色の美しさ・・・暁闇から日が昇るまでの陽光に染まり刻々と変化していくあの空の色そのものです。燃える街も緑に染まる大地も、画面の先にまで広がる世界を手を抜くことなく描きこまれています。
パンフレットの紹介文では、最長209㎝の背景画が残されていたそうです。三国志のもつ壮大な世界観を余すことなく表現されていました。
いや困った・・・どの作品も・・・良作ばかりで、我が駄文までも長くなる・・・。
カムイの剣や火の鳥:鳳凰編、迷宮物語・・・そして、りんたろうさんと組んだ善太と三平の幻のパイロットフィルム・・・あああ・・・今回はご紹介できず申し訳ないデス。
絵に魅入ってしまい、写真が少なくて申し訳ないのですが、一枚の紙に展開される作品の世界観は実に繊細かつ大胆で、目にする者の想像力を刺激するものばかりでした。
常識を覆すような色遣い(まさに幻魔大戦や迷宮物語なんかはソレ!)。
作品の中には、書き込みがあったり、セルを固定した際のセロハンテープの茶色くなった跡があったりと、現場では作品の良さを生かすために肉薄したアングルを追い求めていたのだろうと想像しました。
りんたろうさんや高畑さん達との出会いが、椋尾さんの才能を更に引き出していったのでしょう。背景美術のテクニックもそうですが、アニメーションとしての作品をいかに高めていくかを試行錯誤する様子が読み取れてきます。実写とも違う、漫画とも違う、限られた上映時間にて、その作品に存在する余白までを移ろう絵に引き出していく作業。
作品をまじまじと眺めると、例えば闇夜の黒にもその下に紫がかった黒から何色も何色も重ねて最後に黒が浮き上がるようにして全体の暗い空を表現してあるように見受けられます。
そうして、登場人物たちの感情を代弁するかのようにして作品の土壌を作り出しているのでしょう(実際それに、セル画や音楽や声優の台詞と様々な要素をミックスして一つの作品が構成されていくのでしょうから)。
最後に、わたしを惹きつけてやまないこの作品から。
「セロ弾きのゴーシュ(1982.高畑勲監督.オープロダクション)」
言わずもがな、宮沢賢治の有名な童話ですね。アニメーション作品としては他にもあるのですが、この作品は小松原一男さん(ハーロックやメーテル達のキャラデザをされた功労者デス)が代表を務められたオープロダクションが5年以上をかけて完成させた自主製作。高畑さんを監督に迎えて、才田俊次さん(小公女セーラのキャラデザをされています。もちろんゴーシュも)が原画、椋尾さんが美術と背景をそれぞれがほぼ一人で担当されています。
高畑さんの功労か、今はジブリ作品の一環としてDVDが発売されている様子。
宮沢賢治の作品って面白くって、設定が外国のようなのに情景や登場人物たちが読み手に対してとても身近な位置まで下りてきて演じてくれるところ。何この洋和風!人も動物も皆垣根なく、人間臭く煩悩をさらけだしてはジタバタする。それでも、より良き善を求めようと最後まで生き抜こうとする、時には死を超越して。
ゴーシュと動物たちが度々繰り広げる、滑稽な掛け合いの背景に流れるのは、重厚なクラッシック&椋尾さんの水彩の柔らかいタッチで描かれた日本的な田園風景。
美しいものの中に描かれる、ゴーシュの悶々とした挫折や苛立ち、そしてゴーシュの苛立ちも意に介さない動物たちとのパッション、変化していくゴーシュの心。
そこを優しい背景のなかから温かい手が包み込むように主人公の心を応援している。他の作品と比べて柔らかく温かみのある背景画は、まさにこの作品の骨格をなすところ。山も川も大地の草草もそして流れる風も雨も空も太陽も月も・・・全てが彼等を優しく受け止めてくれているのです。
夕暮れの空
晴れ渡る青空
これこそが、椋尾空と言いたくなるほどの、椋尾さんが描く風景の真骨頂だろうと思います。
故郷の三川内にひろがる空は、彼の描く自然豊かな風景と重なるものがあります。自然の恩恵を受け止めその地に根付き生活する人々が、手入れをしながら次の代へと綿々と繋いできた居場所でもありましょう。
そこには何十代と続く人々の手が加えられてきた歴史の舞台でもあり、あたかもそこで自分達が生きてきたような、懐かしい温もりを感じ取られることができるのでしょう。
人間とは、生物としての本能全てを駆使してそれらを感じ取ろうとする生きものなのだと思います。それは残念ながら、どれ程精密な機械が作り上げようとしても到底追いつける次元ではないのです。五感全てを総動員してかすかな点から共通する記憶を手繰り寄せ、その時に感じた全てのものを追体験するかのようにして、一瞬にしてその古い記憶とまた新しい記憶とを融合させてしまうのですから。
そのようにして、人の心を無意識のうちに揺さぶるモノを作り出せる人の技能が貴重な存在であるのは言うまでもありません。椋尾さんが遺して下さったモノがどれ程貴重なものであったか。
わたしだって、半世紀程の昔にテレビの前で目にした光景を、どこか懐かしい原風景のようにして心の奥底に留め、その意義を今にして答え合わせをするかのように理解するのですから。
こうして大切に保管して下さっていたからこそ、今こうして目にすることができたのですね。
今回、椋尾さんの絵画と一緒にお父様が絵付けされた三川内焼の作品も展示してありました。同じく練習画として描かれた一枚ものの絵もあって、水鳥たちの羽毛一枚に至るまで精巧に再現してありました。
小筆のひと塗りに命を吹き込むような作業。代々と受け継がれて来た作品に向き合う姿勢は、形は変われども椋尾さんの作品に滲み出ているようにも思いました。
三川内焼と繋がらなかったらきっと、こうして椋尾さんの絵とまた結びつき、幸運にも間近に見合うこともなかったのだろうな。改めて、ささやかなる縁にも大切なものが含まれているのだと感謝の思いでいっぱいです。ありがとうございました。
誰かの描くその絵には故郷の空の薫りあり 見上げた空のかたちあり




