失って初めてわかる大切な思い出の味 | うろんころんしてみる隊

うろんころんしてみる隊

うろんころん・・・って何かって?九州弁でして、標準語に解釈するとウロウロと「散策している」「徘徊している」・・・どちらでしょうかね?
傍から見ると限りなく後者に近いわたくしの、人生の糧にもならないつぶやきを書き留めて行こうと思います。

乳を吸い飯を掴んで幾年か

命を繋ぎ 終えるまで

繰り返される 食べる事

忘れるなかれ 人はただ

霞食うては暮らせんと 

 

 

平日は、流れに乗って朝昼晩。休日も、流れに乗って朝昼晩。

と思うものの、子の成長と共に休日の朝はバラバラに崩れていく。何もない休日は何となくダラダラとした感じとなり、米だけ焚いておけば、おかずは各々調達する(冷蔵庫の中をガサガサと漁って何かを焼いて食いつないでいる)。

 

何となく・・・という言葉は或る意味くせものでもあり、結局人が集まって生活する以上、主計係は朝昼晩と食事を用意する手はずになるのである。

如何せん食べ盛りである小学生男子は律儀な腹時計のもと時間が来れば空腹を訴える。

 

そして次の食事を思い、悩ましく「晩は何ばしようかね?」と呟く。

しょっちゅうしょちゅう呟くために、先日なんぞ倅一号から「うるさい」と言われた。

 

ぬわんだと!( ̄д ̄)

 

あた、なら霞ば食うておんなっせ!そぎゃん仙人さんのごつ生きらるるもんか!

わがの食い扶持を予算構成から買い物から保管から調理から片付けまで一年365日何年も何年も無給でやってみらんかぁぁ!!

ぼさ~と黙っとったっちゃ飯ゃ出てこんとばいた?絵面なっと見て霞ば食うておるね?

 

主計係の怒りを感じ取ったのか、ヤバいとそそくさ退散していく一号。

自分一人の事ならば出来ようとも、集団を賄うという大変さを考えて頂きたいところ。

 

さて、いつもの休日もまた「晩は何ばしようかね?」と呟く。

外食にしても、うちは「此処に行こう!」が決まらない。そのくせに「何食べたい?」のリクエストを聞いてもそれが出てこない。何でもいいヨ・・・じゃあ一番困る。

「何を食べたいですかな?」とその辺に固まってくつろいでいる男子諸君に投げかけてみると「また聞きよる」と誰かが呟くので「だって外食にしたって決まらんでしょうが?」とお決りのように返してみる。

 

すると倅三号が穏やかな笑顔で

 

「ん~外食おいしいヨ♡」

 

(;゚Д゚)σア・・・アナタ

 

ま~そりゃあ~さ~元家庭科赤点先生の主計係が作る料理なんぞ~外食にくらべ・・・

 

あ~デモたしかに・・・自分も子ども時分を思い出すと、外食の魅力にはあがらえない・・・

 

なんてったって「レストラン」という言葉の響きよ。

気軽に外食もしたことがない昭和の田舎もんは、テレビや雑誌に登場するハイカラさんな「ハンバーグステーキ」だの「スパゲッティ」だの「スープ」だの「パフェ」だのと、想像しただけでも美味しそうな横文字に心浮かれたのも確かなのである。

 

幼き田舎もん(わたし)の脳内で勝手に盛り上がった煌めきの中に聳え立つ魅惑のレストラン!

それは「グルッペ」!!

 

 

あのオレンジ色の外観。

 

CMのグルルンルンルン~グルッペ♪が頭の中で回想される。

 

勝手に全国にもあるものだと思っていたら、寿屋さん系列の九州ローカルレストラン。大人になり見かけなくなったと寂しがっていたらセゾンに譲渡されていたうえに消滅・・・栄枯盛衰。

 

植木の三号線にあったグルッペはわたしの中では「ディスイズマイフェーバレットレストラン~ですたい」と熊本を離れたあとも、母の訓練出張の為(仕事)の送迎の際には熊本に寄る度に連れて行ってもらった・・・帰りにお菓子の香梅さんで「誉れの陣太鼓」を買うまでがセット。

 

あのフォークとナイフとスプーンがナプキンの上に並べられて・・・

お皿に盛られた白いご飯と、焼きたてのハンバーグをナイフとフォークで切り分ける触感。ハンバーグのソースをご飯にちょっとつけて食べる美味しさ・・・・。

 

今は地方でも全国区並みの様々な飲食店が展開されるようになって、和洋中ファーストフード等色んな分野での外食が可能となったが、あの時感じた「美味しい食事」には何故かどこも及ばない。もちろん、どのお店の食事も有り難く戴いているものの、あの時食べた時のような「感動」が湧いてこないのである。

それでは、グルッペの味が格段に美味しかったのかどうかは今となってはわからない。思うに、そこで体験した「食事」という思い出が何よりもかえがたいものとなっているのであろう。

 

これからまた数週間、母と離れる前に暫し持てる親子だけの特別な時間。食事中別に何かしゃべるわけでもない。母が傍にいないのは慣れているつもりだ。それでも、おいしい料理を口いっぱいに頬張りながら、テーブルの目の前に座る母の姿を目に焼き付けていた。

「お母さんは仕事で忙しいから・・・」そう思っていたからこそ・・・一緒の席に座って同じタイミングにて食べることができる外食は特別なものだったのだろうと思う。

(父の場合はバスか国鉄かで行ってらっしゃいなのであまり思い入れが・・父ちゃんゴメンヨ)

 

 

 

わが子達が外食の際、どのように感じているのかはわからない。

行き先の意見が何とかまとまって(ここまでが大変)、自分達が注文した料理を黙々と食べている子ども達を目に入れながら、愉快な気持ちで自分の食事を口にしているのである。

幼児期は偏食もあったものの、今はがっつりと飯を口に頬張っている。中年には胃もたれを起こしそうな量でも、ぺろりと綺麗に食べてしまう食べ盛りどもの姿は中々頼もしい。

 

いつか自分も鬼籍に入り、子ども達も齢を重ねた時、この思い出をどのような気持ちで迎い入れてくれるのだろうか?

倅二号が「ばあちゃんの思い出の味」と言うてくれているように、せめて「おふくろの味」というくらいに・・・何かの一品ぐらいは思い出してくれるだろうか?

 

ふふふ・・・何も思い出さなかったりして(笑)。

 

いつも「何ばしようかね?」と言ってばかりでうるさかったとか・・・そこだけは思い出したりしてね(*´ω`)。残念ながら、いらん記憶だけはよく残るもので・・・。

 

我ながら、卑しくも食い意地だけははっているのだろう。

孫たちが傍に居ても会話をすることもなかった(母方の)祖父の為に曾祖母が甘い黄粉をこさえて用意しており、それをご飯にかけて食べている姿や、祖母が好きだった生卵に砂糖を混ぜたものに食パンをつけて食べていたものとか、(父方の)祖母は唐津人らしく松浦漬けをはじめ鯨を必ず食べていたり、祖父はなめ味噌やアミ漬けを必ずご飯にのっけていたり・・・。

外食をしない祖父母たちの好みは、家のなかで食べていたもので思い出したり、普段の料理は母の味、母がいない時には父が作っていたいつもの定番の味・・・(魚肉ソーセージを焼いてケチャップをつけたもの)。色々な「家庭の味」を思い出す。

 

外食がよそ行きの「思い出の味」だとすれば、うちで食べたものは「いえ(家庭)の味」でもあり、それもまた「思い出の味」でもあった。作る人が台所で采配を振るう中で人の手によって作られていくものであった事には何ら変わらない。

 

それらを口にすることができるのが如何に贅沢か・・・という事実は、失ってはじめて知ることができるという悲しい現実。

 

母の味、父の味、いや誰か家族の作った・・・自分を育ててくれた人の味でいい・・・。それをまだ口にする事ができるのであれば、どうか・・・その機会を逃さないでほしい。

口にして美味しいと・・・ごちそうさまと伝えて欲しい。今後自分が再現しようとしたとしても、同じものは手に入らない。

それは、料理がのった皿の感触、食卓から見える風景と・・・耳にする音たち・・・そしてその人たちのいた気配。すべてが一つになったものがそれら「いえの味」でもあり、全部をひっくるめた「思い出の味」なのであろう。

 

さて今日も、また「晩は何ばしようかね~」と呟くのである。

母も・・・同じように思っていたのだろうか?

何とも手際よく料理を作っていた貴女のことを思いだし、昔作ってくれたジャンボハンバーグをもう一度だけ・・・胃もたれ覚悟で食べてみたいとも思うのである。