過去を知りより良く生きるためのモノ(九博流:平戸モノ語り②) | うろんころんしてみる隊

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うろんころん・・・って何かって?九州弁でして、標準語に解釈するとウロウロと「散策している」「徘徊している」・・・どちらでしょうかね?
傍から見ると限りなく後者に近いわたくしの、人生の糧にもならないつぶやきを書き留めて行こうと思います。

九博開館20周年記念企画「平戸モノ語り」松浦静山と煕(親子)の情熱について・・・性格がまったく違うこの二人が傾けた情熱とは・・・後世に残された「モノ」の中に遺されております。

 

静山父さん

・「生まれながらのお殿様」・・・ではなかった

・おばあちゃんっ子

・妖怪・河童が好き、都会が好き、モノを集めるのも好き

・茶の湯は苦手、肖像を描かれるのも嫌い

・好奇心旺盛、ガツガツしている?

・初対面の人にもお願い事ができる「鋼のメンタル」

・記録魔

 

・・・・というのが、九博さん流の静山さんの紹介です。

松浦清(静山)は、長男ではあったものの側室の子であった為に松浦姓を名乗れなかったのですが、父政信が早逝したため祖父である誠信の養嗣子となり、祖父の隠居とともに家督を相続しました。まだ若い静山の心の支えとなったのが、祖母である久昌院(きゅうしょういん)の存在でありました。祖母からの教えは、藩主としての心構えを正しく導いてくれるものでもあったようです。それは「久昌院教訓」として静山も大切に保管していました。

「天祥公(四代目藩主の鎮信)が藩主になったのは十六歳の時でした。『国』に教育を広め、『旧物』を失わないようにしたことで、民はその徳を称えました。今やあなたも十六歳。それを手本とし、先祖の功績や教えを守りなさい」

 

数え年として・・この齢にして一国(藩)の主となるその重みとは如何に?

 

ところで、今回の展示では、多くの古典作品の模写が飾られていました。源平盛衰記や平時物語絵巻、蒙古襲来絵詞から、長篠・小牧長久手合戦図等。歴史の教科書で見たモノが目の前に!

源平盛衰記・後三年合戦絵巻の模写は、教本のような役割で「世の興廃(こうはい)を知ることにより、過去の出来事から戒めを学ぶことができる」との祖母の思いが込められていました。

ところが、おばあちゃんからいただいた最初の絵巻・・「図状ヲ縮写」してるだけで「其画ノ真ヲ照写」してないじゃん!デフォじゃ正しく伝えられないじゃないのさ!と静山は新たに作り直させています。それでも、枕詞を省略したことで、筆者の筆跡が失われたことをとても後悔していたようです。

 

模写はコピー品にあらず。その時代にあったモノの姿を映すものであります。

これらの原本や時に複製を正確に模写することによって、その当時の構図や色合いが残ります。時として原本がいたむことで修復が必要になった時に、当時の筆跡などを参考にすることもできます。いや・・・それらがない状態で万が一修復を間違えば、歴史的価値の全てが台無しになってしまいますよね。

 

正確に正直に この日本語に込められた執念のような魂が浮かび上がってくる。

 

静山の時代は、歴史考証が盛んにおこなわれた時代でした。

所謂これまで「~だったげな」といった口頭伝承や、形に残る書物や道具・・それから石碑といった現物として残る「モノ」達を、まず集めて分類・整理・記録を行う作業の重要性が認識されたということでもありましょう。

伝承となると、その当時の状態から正しく伝え続けていくことはかなりの骨折りとなります。伝言ゲームを思い浮かべると「そうじゃないっ!」となってしまうのは目に見えていますよね。

 

静山が残した膨大な資料の数々を見ると、それを集める為に情報源のコネが半端ではなかったことが伺えます。知識層や文化人とのネットワーク。それら多くの肖像画を持っているところが・・・人付き合いの才能を感じさせます。自分が描かれるのはイヤだったみたいだけど・・・

 

展示のトップバッターを飾った「三勇像」

これは水戸藩主徳川斉昭が、静山さんと真田幸貫、大関増業の三人を自宅に呼んだ時に描いた集合写真(?)のようなもの。御年八十歳の静山父さんの眼力たるや・・・絵とはいえどもそこからこちらを射してくるエネルギービーム!?

 

好奇心あふれ・・触れるもの全てに静山さんエネルギーがのりうつっているのではないかとも思いますよ。そしてそれらを書き留めている「記録魔」としてのエネルギーも大概・・。

江戸と平戸の両拠点に収集品や蔵書を収めるお堂を造っちゃう始末。平戸に造った「楽歳堂」に納めたお宝グッズのカタログまで作っちゃったもんね。あ・・隠居して時間ができちゃったし何か凝ってたら・・色々収まらなくなっちゃって・・・新しくしたからね☆ハイ

結構わたし的には充実してきたけど・・なんか後付けで余白にまたカキコしてるけど気にしないで

 

カタログ(目録)「新増書目」は内篇十四冊、外篇八冊で今なら合わせて二十二冊

ジャパネットたかたの髙田しゃちょうの音声が出てきた・・・因みに明さんも平戸のご出身(*'▽')

 

いかんいかん・・・・真面目にいきましょう。

 

このように、静山の遺したモノ達からも生粋のコレクター魂が伺えますが、「藩主」としての顔もきちんとありました。

外様ながら(長崎奉行に近いため、オランダ船が出航する時は警備しないといけなかったりで何かと忙しい)憧れの御先祖様でもある鎮信(天祥)や棟(たかし)のように幕府の要職についた実績からも、静山も青雲の志を持って要職に就くことを願い涙ぐましい努力を行います。(これが小賢しいとかではなく何か憎めないような感じなのでして)然し、ある出来事をきっかけとして自身の青雲の志を絶つことにしました。

 

剣術を修め、自然現象及び政治経済から外国文化、果ては浮世絵や怪談話にまで・・・多岐に及んだ静山の関心事。これらを随筆として書き留めたのが「正篇」一〇〇巻、続篇一〇〇巻、三篇七十八巻にも及ぶ江戸の一大エッセイ「甲子夜話(かっしやわ)」となります。

今回、これらの一部が展示してありましたが、残したモノの重みを感じ取ることができました。お父様の命日を想い涙する私的なものもあれば、知識人との交流や世俗の飾り物まで。時にはその根拠を確認する為にこっそりと見学に行っては詳細に記録を残しています。

 

これらの記録魔も、些細な事でも書き残し後世に伝えていく事が藩主の役目とした、まさに「『国』に教育を広め『旧物』を失わないように云々」といった祖母の教えを大切にした静山の人なりだったのかも知れませんね。

 

そして、これら静山が残した宝は、息子である煕へと引き継がれていく事となります。

(続く)