日が昇り陽が差して日が沈む
その表情の美しさ
景色は越した日々の中に生き
その表情の美しさ
今しか見れぬまたたくせかい
その表情の美しさ
ちょっと昔ならば、摩天楼のような大都会や外国の風景がお洒落な景色のようにして紹介されていましたが、飾らなくとも美しい風景が本当は目の前に広がっているのだと。
「明日天気にな~れ」・・と靴をふっとばすと、後ろから天邪鬼が「あした雨にな~れ台風の来い」と負けじと遠くへ靴をふっとばす。
冬に台風なんか来やしないのに、子どもの頭は自分に都合の良いように解釈する。つまらない張り合いの喧嘩も、次の日には何事もなかったかのようにしてすぎていく。
晴れた空を眺め、曇りのそらを覗き、雨が降るとその冷たさで季節を知る。
冬に雪が降るならば、珍しいもののようにして口を開けて空の一点を見つめる。
「ゴミぞキタナか」一人前に大人の世界を齧ったかのように、両手をポケットに入れながら子どもみたいだと窘められる。言われたほうは悔し紛れに「ポケットに手ば突っ込んで歩いたら先生にがられる(叱られる)とたい」と威張って言い返す。
そんなみんなのやり取りを、何も言わずとも笑いながら見つめていた景色。
今でも空は変わらぬか?海は変わらぬか?季節は変わらぬか?
夕陽を映す空を見て、暗くなる前に急いで帰ろうと歩みを早める。脇道を通る小川は、穏やかに冬の流れを通していく。小石や乾いた苔の塊を投げ入れて、大して抵抗のない音を聞くとすぐに手を止める。
鉄橋の上をゴトゴトと轟音を立てて通りゆく国鉄の車両の揺れに、思わず顔をあげて目で見送る。車両のしんがりが通り去るとともに夕焼けの茜色が目を射してくる。
誰のものでもない、それでも自分だけが見つめていた冬の空。
朝陽の差し込む空も、校庭から眺めた空も、夕陽を目指して帰る家路までの空も、何十年経っても鮮明に思い出す。
ふと同じ光を空気を匂いを嗅いだ瞬間に、溢れるように体の隅々まで感覚を甦らせる。
何処かでふらりと見た風景でも、その表情の美しさは忘れない。越してきた日々の中にきちんと織り込まれていて、半世紀も紡がれ広がった織物のような記憶の中に光るようにしてその一筋を結び付けているのだから。
