だーれもいないから、感染の危険もありません。
もとより、何がうつるというのでしょう。
私の目の前のスクリーンには、地球規模の喜劇が映し出されているようです。
風薫る5月。
気持ちの良い風が吹いてきました。
このタイミングで目にした、『お金のいらない国』の著者・長嶋龍人さんの投稿をシェアします💖
以下転載
『お金のいらない国では、なぜ物々交換もしないのか』
物々交換とは、自分の持っているものと相手の持っているものを交換するということです。
お金は、物々交換の際に、片方に手頃なものがなく、交換するものの代わりとして考え出されたのかもしれません。
私の考えるお金のいらない国の人たちは、物々交換もしません。それは自分の物がないからです。
お金の存在しない社会には、所有という概念がありません。すべてのものは地球の資源、あるいはそれが形を変えたもの。その中で必要なものを必要な時に使わせてもらうだけであって、言ってみればすべては地球からのいただきもの、あるいは借り物ということです。
だから、このお金の存在する社会のように、誰かから何かをいただいたら、その人に何かをお返しするという習慣もありません。いただいた人に返すのではなく、また何かを必要とする人が別にいて、身近に与えられるものがあったら、その時にそちらの人にただ与えればいいのです。
だから、簡単に手に入るようなものは与える意味もなく、与えるのは滅多に手に入らないものとか、自分が作り出したものになるでしょう。
そこに起きる気持ちとしては、与えてくれてありがとう、もらってくれてありがとうというお互いの感謝だけでしょうか。
お金のいらない国では、すべてのものは、必要とする人のところに自然に流れていくような仕組みです。
ただ、原始生活に戻るわけでも、みなが我慢して暮らしているわけでもありません。科学や文明は、今より一歩も後退しておらず、あらゆるものは十分に揃っていて、ほしいと思えば何でも自由に手に入れられます。
以上転載終わり
欲しいものは既に与えられているし、行きたい時に行きたいところへ旅することが出来ます。
私たちは自由です✨
本当は、私(たち)以外は、
だーれもいない
のだから。
