【週刊しゅうじ新潮:19】自分の確認方法 | 西山夕焼け通信 1970~1979

西山夕焼け通信 1970~1979

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1970年に小学校に入学し、
1979年に中学を卒業した彼らも
すでに60代になった。
これからの人生を
西山の夕焼けのごとく
あざやかに彩るために配信していきます 

文:しゅうじ

移民社会のアメリカでは、

「誰もが自分のルーツを意識することで

自分の存在を確認する。」

と言われてます。

私は、生まれたのは京都市内ですが、

幾度となく転居し、

幼年時から高校生の頃までの間で

3か所に移り住んでました。

3か所とも乙訓中学校区でしたので

違和感はあまりなかったです。

しかし、京都を離れて長くなると、

先程の言葉が、

何となく分かる気がします。

 

東京に数日間出張に行くと、

昼間は仕事をしてるので

人と話しをしますが、

夕方以降は、

誰とも話さない時もあります。

特に主要駅は人であふれているのに皆、

黙って足早に目的方向に進んでいく。

「人がたくさんいる中での孤独感!」。

こういう時に、

内山田洋とクールファイブの

「東京砂漠」を思い出します。

「チョット、古いんじゃない。」(汗々)

とひとりツッコミ。

 

誰かと会ったり、

SNS等でやり取りをしていると、

潜在意識のなかで「自分の存在」が

確認できているんじゃないかな。

これって、社会的欲求(所属と愛の欲求)や

承認欲求の、“或る部分が” 少しは

満たされようとしているのでは

マズローの欲求階層説)。

 

様々なサークルの仲間や、

別のシーンでの知り合いがいて、

もちろん家族といつでも連絡が取れて会おうと

思えばいつでも会える。

そのような環境だからこそ

「孤独を楽しもう」

という気になるのではないでしょうか。

(全くの私見です。お許しを。)

 

神戸市長田区での話。

5~6年前頃かな?

区役所内のとある部署に

ベトナム人の通訳の方が採用されました。

特に同区南部地域は外国籍の方が

多く住まれていて、

小学校では児童数の半数以上を

占めております。

保育所の入・卒園式も3か国語、

休み時間の鬼ごっこも

外国語で遊んでいるようです。

このような状況のなか、

ここのお子さんやご家族も、

どこかで何かを確認したい時が

あると思うんです。

「お互いがお互いを認め合い、尊重しあう。」

ことができれば、

「安心、笑顔」が増えるんじゃないかなぁ。

 

うん?! このような環境にいると、

自然にバイリンガルやトリリンガル

のお子さんが、

多数出てきそうな予感!!!

 

あ~! これは、

またまた ナンカイ(4組)から

「難しいこと書かんと、もっと簡単な事を書いてくれ。」

とお叱りを受けそうです(汗々)。

 

ということで、♫デデン♫ お後がよろしいようで。

 

では、会える時を楽しみにしております。