【週刊しゅうじ新潮:3】音楽会、されど音楽会 | 西山夕焼け通信 61春

西山夕焼け通信 61春

SINCE 2023 11・1 配信休止中 

京都西山の麓に育った子どもたち、
1970年に小学校に入学し、
1979年に中学を卒業した彼らも
すでに60代になった。
このブログはこれからの人生を
西山の夕焼けのごとく
あざやかに彩るために配信していきます 

著:しゅうじ
向陽小入学、大原野小卒

2年4組土田学級、3年4組林学級

スポーツの秋、読書の秋、食欲の秋、

睡眠の秋、芸術の秋、収穫の秋、失恋の秋 etc.
私は、春から夏が好きな季節です。

躍動感あふれる春。

3、4月のそれぞれの人生の転機には

希望を感じませんか? 

夏の夕暮れの長さは、

いつまでも楽しいことが

つづいていくような気になります。
秋から冬の15:00を過ぎる頃、

夕方に差し掛かろうとする陽の傾き、

秋の風の香りや、

長い色濃い影法師は、

淋しさを膨らませます(鬱)。
でも、夜空、星、月、夜景はきれいですね。
秋といえば、

音楽会シーズン。

45年前、※中川ブル(4組)からうけた、

“心ない忠告”から
は立ち直り、

今は音楽会を楽しんでおります。
 

我が子ども達が小学生のころには、

見学席やカメラ席を確保するため

朝7:00頃から体育館前へ並びました。

低学年の微笑ましい歌声や

たどたどしい楽器演奏は、

和やかでついつい応援したくなります。

毎年の恒例は、

六年生が、

親への感謝の言葉や

小学校生活での出来事のセリフリレー。

ここ、泣かすところです。

(お客さん、ここで泣かんと、あと泣く
ところないよ。トオルちゃん! 酒井くにお・とおる)
多くの親からすすり泣きが聞こえます。

クライマックスは、

合唱でまたまた涙を誘うところですが、

なぜか毎年「涙する以上の涙と声」の

当該学年以外の親御さんが散見されます。 
清々しく感動していた私の心に、

ほんの少し白いモヤがかかってまいります。

(私だけ???)
職業柄、小・中学校の音楽会、

入学・卒業式に招かれる機会があります。

2023年5月以後はコロナ禍以前に準じた開催が

多く都合がつく限り出席してます。

最近は、合唱と合奏を取り入れている学校が多いですね。

知らないお子さんばかりですが、

心が洗われますね。

(体育大会は、短縮開催が多いです。)
 

記憶があるのは、

中2の時、窓際の席に座っていると、

3年生の「おおひばり」の練習
をしている声が聞こえてきて、

「いい歌やなぁ。この歌うたいたいけど来年やなぁ。」

と思っていたことです。
You tube で「おおひばり」を聞くと、

やはり合唱団の方々は、さすがですね。
相変わらず音楽の専門的な

知識は持ち合わせてないけど、

この歌って難易度高くない?
私の場合、当時はまだカラオケルームもなく

音楽に触れる機会の少ない

家庭環境で育ってましたので、

自分の歌声と、曲の音階が合っているのか分からず、

どう声を出したらいいのかも

分からなかったような気がします。

いわゆる、「歌い方が分からない。」という感じでした。

合唱が嫌いという訳じゃなく、

自信がないので主体的に取り組むというより、
端の方で、そっと参加している満足感で十分っていうのかなぁ。

そんな感じでしたので、

中1と中2の合唱祭の記憶は、

遠い彼方であり未だたどり着けておりません。
「おおひばり」といえば「カノン」
「カノン」といえば「追いかける」
「老い欠ける」といえば、老いを欠けさせて、

「若々しく!!」
 ♫デデン♫ お後がよろしいようで。

 

※のエピソードは

 

を参照ください。