【ブログアーカイブス】しゅうじ VS Nブル | 西山夕焼け通信 61春

西山夕焼け通信 61春

SINCE 2023 11・1 配信休止中 

京都西山の麓に育った子どもたち、
1970年に小学校に入学し、
1979年に中学を卒業した彼らも
すでに60代になった。
このブログはこれからの人生を
西山の夕焼けのごとく
あざやかに彩るために配信していきます 

 

 

明日明後日、土日はお休みです。配信はありません。

朝ドラと同じ^^b

ブログ開設記念スペシャル企画:

大感謝祭~今夜はとことんしゅうじ第4弾

 

この記事は、しゅうじ(4組)の謝罪要求に、

Nブル(中川H:4組)が応えたもの。

わっし(せつ:9組)は当時、しゅーじの投稿メールが来るたびに、

ときには涙して笑っていた。

 

ジムチョー殿

 

Sしゅうじ

 

このブログを拝見してますと、

ホントに、幹事、事務局、作業員の方々、

ご苦労が多いことに感謝いたしてます。

 

みんな、いつ寝ているの?

 

我がテニスコートのとなりに、

バレー部のコートがあり、

(のむさん曰く、あれはコートではなく、

水はけの悪い

グランドにネットを張っただけの場所)

めんたん(12組)、作業員A子(6組)、

B美(5組以上バレー部)たちが、

一生懸命に練習していたことを思い出します。

めんたんとは、中学3年間で一緒のクラス

になったことはなかったけど、

キャプテンシーのある子だったことは、

鮮明に覚えていますよ。

合唱部メンバーの「いまさら卒業文集」では、

みんなで一つのことに打ち込む

経験の大切さをひしひしと感じ、

我われ「おやじ世代」

もまだまだがんばらねば!

と心新たにしておりました。

 

ところでジムチョー提唱による

「いまさら謝罪」を

N川ブル(4組)にヨウキューいたします。

 

事件の発端はこうである。

3年生になったばかりの春、

どこのクラスも合唱祭の

自由曲の選考に入っておりました。

私は前年の3年生の「おお雲雀」の歌声を

思い出し、

「憧れていた、この歌を今年は歌うんだ」と

こころ晴れやかに練習に取り組んでおりました。

私にはもう一つハンディがありました。

まったくやる気がなく、

練習を抜け出して帰ることばかりを考えていた

ナンカイ(Uつみ)を

なんとか前向きに取り組んでもらわねばと

時には早退する彼を追いかけては連れ戻し、

「どうしたらいいんだ」と

苦悶の日々を過ごしておりました。

 

そのような時に、指揮者のブルから、

「しゅうじ、おまえ歌、ヘタやな。

もっとちゃんと歌えや」

と、こころない罵声を浴びせられ、

ガーーン(--;)呆然自失。

「下手とは思っていたが、

そこまで下手クソだったとは……、

俺はどうしたらいいんだ(涙)」

それからというもの、

ナンカイとともに抜け殻のような練習の日々を

送っていました。

そればかりでなく、

私はその後約5年間、PTSDに悩まされ、

歌を歌うことはできなかったのです。

 

トホホ……涙

 

で、その2日後にNブルから、

しゅーじの謝罪要求に応えるメールが。

 

 

しゅーじへ

Nブルです。

 

突然の謝罪要求、

ビックリ!!しています。

 

いつの時代も、

言ったほうと言われたほうの温度差の

違いがこうもあるのかと気づかされます。

合唱コンクールの練習でそんなこと言ったなんて、

つゆほども覚えていない私であります(笑)。

 

改めてこの場を借り、謹んでお詫びいたします。

 

ともあれ、乙中時代の一つ一つの出来事が、

いま、あふれるように蘇ってきますね。

 

ジムチョーやめんたんはじめ、

幹事のみんなが力を注いでくれているおかげで、

僕たちの青春、青春を過ごしてきた意味が

紡ぎだされているように思います。

 

それはとりもなおさず、

今、僕たちがどう生きるか、

子どもを持つ親ならば

(残念ながら私は独身)

自分の子どもに何を伝えるかを、

この同窓会の取組は

考えさせてくれているように思います。

 

しゅーじ、1月に会えるんやね。

いっぱい話したいです。