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セトのブログ

歌と英語と作曲と。


あっと言う間にギタリストとソングライターを失った自分は

何を勘違いしたのかギターを買いに行く。

Nくんにも「普通ギタリスト探すだろ!?」

と突っ込まれるが、Nくん的には

あまり言うのもヤブヘビ = 自分が蒔いた種なので

ギターを教えてくれるようになる。

スケール、ブリッジミュートにハミングバード、、、

って、あまり作曲に関係無い要素が多いような(笑)


そうこうしてる間もアダテープの評判は良いらしく

友達(取り巻き?)が増えた。

お前みたいに歌いたいから教えてくれってのも現れたりした。

いや、無理だろ、だってあれ地声だし(笑)


今思えば、この頃くらいからメロディじゃなくて

声で歌う感じを掴み始めた気がする。


19か20のころ、

関東のお姉様から連絡がある。

Coat of Arms を見に行った時に

ナンパ(本人談)してきた姉妹の姉だ。

その彼女にもアダテープは渡していて

何度も何度も聞いてくれたらしい。


「東京のバンドに入らない?」

「テレビとかにも出てるバンドだよ」

え?

そんな展開はまったく予想してなかった。

だって。。

音源のクオリティに自信の無い自分は

半笑いで話の続きを聞く事にする。


つづく
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北九州市で理想のメンバーを見つけるのが困難だと判断した小僧2人は

福岡市にデモテープを持って訪れる。


始めて会ったベースのKくんは、

さっそく聴かせた曲と自分の声をすごく気に入ってくれた。

歌と呼べる代物だったかどうかはさておき、すごく声を気に入ってもらえた。


3人になった小僧は自分達よりちょっと年下のドラマーYくんとコンタクトを取る。

のちのち上京し某エクスタシー系バンドに加入する彼は

当時メタリカのコピーバンドもやってて

福岡のメタルバンド、Dのローディーもやってた。


そして事態は急展開、

小僧にとっては、まさに想定外。

ローディーのYくんがその福岡のメタルバンドDのメンバーに

自分達のテープを聴かせた事がきっかけで

Nくんはあっさりと

セカンドギタリスト兼ソングライターを探していた

そのメタルバンドDに就職する。


後にアダテープと呼ばれた例の2曲は、

彼らが福岡のライブハウスのレーベルから出したアルバムに収録される。


お経みたいな声のバージョンで。


つづく
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17才の時に始めてオリジナル曲の歌を録音した。

自分が高校を退学になった直後に出会い意気投合した

ギターのNくんと一緒にデモテープを作る事にしたのだ。

自分はまだ会ってなかったけど当時Nくんがメンバーにしたがっていた

北九州出身で福岡市に住むベースのKくんに、

当時自分達がやりたかった音楽を伝える事が目的だった。

俺らみんな小僧だった。


カセットテープ(ハイポジ)の両面を一方通行&倍速で使うタイプの4トラックのMTR。

ヤマハだかの銀色の安っぽいプラスティック製のボディに

発光ダイオードがいっぱい並んだドラムマシーン。

なぜかワイアレスマイクしか持ってなかったので、

そのレクサーのマイクに四角い電池を突っ込み、

歌詞も何もない何語か判らない歌を

兄貴と2人で住んでた北九州のボロ屋で

ワイアレスを握り、ウロウロしながら歌入れをした。

ベーシストに聴かせる用だからベースは入ってなく

歌と、トッタントッタンいうドラムマシーンと

ライン録りのギターだけのスカスカな音源。

これがNくんと自分の後のキャリアを決定づけるような事になるなんて

その時は思いもしなかったね。


多分10本もダビングされてないと思うそのテープは

後に身内の間で

アダテープ

と呼ばれるようになる。


2曲入り。

仮タイトルは、ノーブラ、魔界村、だったな確か。


このテープがつないだ後の物語を数回に分けて

書ける範囲で書きます。



あ、

自分、持ってないので、

アダテープ。

誰か持ってたら下さい。
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