2024/2/5「映画、ヘレディタリー / 継承 について」 | みーちゃんの、認知行動療法的ワンバース

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日記のような、違うような。

 

 

 

7時起床。目覚めが思いのほか良い。睡眠時間は6時間程度のはずだが、最近の例に漏れ、体が軽い。

 

 

 

今日も特別な用事はないのだが、動画の編集をしながら、時折、こうして日記を書いている。9時にコーヒーとドーナツ。アスファルトに雪はなくなっている。

 

 

 

相変わらず、まだハードディスクの整理は続いていて、パソコンちゃんがグリグリと頑張っている。動画の編集にはパワーを使うので、同時進行だとカクカクなってしまい、辛そうである。とりあえずはストレージの問題を先に片付けたい。

 

 

 

上げられる動画はまだあるのだが、ある程度の間隔で小出しにしていこうと思う。最終的に、やっぱり1TBぐらいデータを捨てたな。こんなに時間がかかるものなのか?違うかも。残りの作業を済ませて、今日は早めの終了。次の段取りでもしよう。

 

 

 

しかし、今日もアイスが美味い。好きなのはカップアイスで、モーかスーパーカップ。ラーメンにもスーパーカップって無かったっけ?フレーバーは、バニラかイチゴ。、、、、、なのだが、今日は、ソフ、というやつを食べました。まあまあ、モーに近いかな。いいですね~。日本語にすると、祖父。もしくは中国共産党のトップ。

 

 

 

何でこんなにアイスを食い出したのか。しかも寒くなってから食い出したという。味覚っつうか、美味いとか何とかも、よく解らない。気まぐれだ。でも、食いたいものを0.1秒で言えるようにはなりたいな。

 

 

 

フリーになったので、映画を観ることにした。先日途中でやめた、アリアスター監督、A24社、ヘレディタリー継承を鑑賞する。正直、そこそこの映画だと思った。世評で言うと、かなりの太鼓判が押されているようだが、俺はそれを聴いて、何か飲み込めない。言語化するのは大変だけれども、今日はそれを行ってみようと思う。どうせ完全フリーだし、このモヤモヤを解き明かしてみたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・概論

まずは大掴みに結論からいく。この物語は、霊的なもの(スピリチュアル)と、家庭のギスギスした感じ(幻視、夢遊病、統合失調も含め)が並走しているわけだが、この二つをハイブリッドに組み合わせるのに、失敗しているような気がする。失敗しているような気がするというか、別に上手くないと言えばいいか。膝を打つ感じではないと思った。だから、、、で?という感じ。逆に今言ったことをそのままそっくり言って絶賛している人もいるようだが、これ、いいか?俺は別々の映画で観たいと思ってしまった。

 

 

 

 

 

・リアリティーラインについて

観ている人は、これは霊的なものの仕業なのか?それとも精神が病んでいるだけなのか?と思って観ているような気がするのだが、どうだろうか?でも終盤、完全にこれは幻覚ではない、と思わされる部分が多くなっていって、つまりこれは霊的なものだったんだ、ということが鮮明になっていく。火柱が上がったり、霊が文字を書いたりするところは、完全に霊がやったこととしてしかとれない。

 

 

それと一緒に、おばあちゃんがどういう人で、どんなことをしてきたかということがわかっていくのだが、つまり全部おばあちゃんの思惑通りでした。ということになる。途中までは、幻視と霊的なものの中間として、よく解らないようになっているが、これが中途半端なような気がするのだ。結局、あ、霊ね(おばあちゃんね)、となってしまうからだ。そしてそれに取り込まれ、手も足も出ないままに終わる。

 

 

こういう、解釈を狭めないような演出というのは、映画ではよくあるが、おそらく多くの人が想起するであろう作品は、シャイニングではないだろうか。シャイニングを観終わった後、友達と話し合いたくなる。シャイニングは、結局腑に落ちないように作られており、それが観客に魔法を掛けることになるのだが、シャイニング の中にも、疑問点は3つ4つ上がってくる。食在庫のロックとか、もう一人のエスパーとか、昔の写真とか、であるが、それが絶妙な塩梅だったように思えて仕方がない。丁度いいワクワクする塩梅。

 

 

ヘレデタリーの方はというと、最後まで観たり、もしくはもう一度観たりするとわかることなのだが、完全に狂ったおばあちゃんの仕業である。監督は、はっきりおばあちゃんの仕業として描いたと思うので、それに文句をつけてもしょうがないのだが、やっぱり、黒板の辺りまでがハイライトだった。あの後、どんどんサスペンスが無くなっていく。要するに、霊の仕業(おばあちゃんの仕業)とするならば、何が起こっても不思議ではないし、ああ、霊だから、ということになってしまう。サスペンスが無くなった後に興味を引きつけるのは、残酷描写など、別の恐怖だ。

 

 

もしも、霊なの?幻視なの?と宙ぶらりんにしないのであれば、どっち側にでもいいので、もっとわかりやすく、どっちかに降った方がいいと思う。エクソシストは、もっと早い段階で、もっとはっきりと、霊的なものを見せてくれる。そのあとは、悪魔の暴力的な部分と、それとの対決が目を惹きつける。やっぱり、幻視は、二人以上で共有して認識してしまってはいけないのだろうとは思う。自然に、霊の存在を証明することになるからだ。シャイニングは、最後までよく解らない。

 

 

 

 

 

・題材としての霊的なものについて

ちょっと脇道に逸れるが、皆さんは、霊的なものの仕業と、幻視的なものとでは、どちらの映画が面白く観られるだろうか?あくまで好みの問題だが、私はどちらかというと後者だ。「一番怖いものは人間だ」、などと世の中の常套句を振りかざすつもりはないのだが、「一番怖いものは人間だ」というのは、やはりその通りだと心底思っているからである。ということは同時に、「一番面白いものも人間だ」と思っているわけだが。

 

 

ヘレデタリーも、どっちか解らない感じであれば、俺も楽しめたと思う。俺は霊的なもの自体よりも、霊的なものを信仰する人間自体に興味があるからだ。霊が見えている人は、別に見えていても良い。だって見えているんだから仕方がない。ただ俺の世界では、観たことがない。ただ人間樣は見える。

 

 

シャイニングも、その塩梅がギリギリアウトぐらいの、かなり微妙なところである。だから良かったのだろう。もし霊的なものを出すのであれば、もっと思いっきり濁さずやってほしい。そういう映画もたくさんあるはずである。

 

 

 

 

 

・再びまとめると、、、、、

ちょっとまとまりがつかなくなってきたので、ここで再びまとめるが、要するに、シャイニングとエクソシストの中間で、どっち着かずで中途半端な感じがする。その上、霊的なものを出す割には、霊に関する理屈に一貫性がなく、散漫でイマイチだ。

 

 

 

・伏線の件

あと、伏線が上手い、とかいうのが、最近の一般的な高評価の視点なのかもしれないが、私の観点から言うと、そんなものはどうでもいいことである。この映画には、そんな伏線がたくさんあり、観客はそれを評価し、監督はその通りに提示しているのだから、何の問題も無いのだが、私はそれがどうした、と思ってしまう。2回目観たら、あれもこれも、、、なんて、大したことではない。それは一発目で解らせればいいことだ。

 

 

あとから観たら、あれとこれが繋がって、とかいうのは、そんなに大事なことなのだろうか、もしかすると、これは近年の映画批評なるもののメソッドが、そちら側へ流れているからではないだろうか?映画を、もっとオタク的に観ていくというか、知識合戦のようになっていっているように思える。映画はもっとフェティッシュに観ればいい。自分だけの楽しみ方でいいし、どこにモエようが、楽しくやれてるのであればそれでいいのだ。イーストウットを観たいのか、拳銃を観たいのか、刑事ものを観たいのか、サイコパスの凶悪犯を観たいのか、善悪とは正義とはという問答を観たいのかは、もしくはそれらの複合的なものなのか、それはその人による。そらそうだ(笑)。

 

 

 

 

 

・その他

その他、細かい演出も良かった。音楽も良かった。ミニチュア作家というのも面白い。ただ、パパもママもよく頑張ってるし善人だ。ただ悪いのは、狂ったおばあちゃんと、マリファナ運転だけ。当たり前じゃん。どちらかというと、ミッドサマーの方が面白かった。おかしな人間様がたくさん出てくるので。

 

 

細かく触れたいところはたくさんあるが、まずは大まかにということで、大切だと思う点から述べた。でも、アリアスター監督は、とても腕のある監督だと思う。もうすぐ次回作が出るらしく、それもきっと面白いだろう。A24社の映画は、どれもかなりハイクオリティーなので、フェティッシュはさておき、ある一定数の人達には、かなり満足感を与えてくれると思う。つまり、観て損はないし、とりあえず観てみればいいのではないだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なーんて、長文乱文失礼して、映画の感想なんかページを喰って書いてみたのだが、映画の感想なんかどうでもいいわ!(笑)結局投げやり。結局感想なんて個人的なもんなんだから、そんなものはどうだっていいのだ。ただ書くことが無かったから書かせてもらっただけです。あしからず。

 

 

 

早めに眠剤も飲み、しっかり消灯する。寝付きは良い。おやすみなさい。