お立ち寄り頂き
ありがとうございます
「瀬戸子ども笑顔の会」です
今回もまた
陳情を振り返って
「個人の感想」を
書きたいと思います〜
*記事は個人の見解であり
所属する会を代表するものではありません。
4本分の議事録とアーカイブへのリンクが
まとめてあります
マスクは「思いやり」について
委員会の「意見交換」の中で
委員(市議)の皆さん、ほとんどが
「マスクには、感染予防効果がある」
と、はっきり述べられました。
さらに、それを元に
「マスクは『思いやり』」
と、発言されました。
この言葉を聞いた時、
「えーっと、今って
2022年9月ですよね?」
って確認したくなりましたね
現地で傍聴していたチームも
じ、時空の歪みなのか?!
と、動揺したのではないでしょうか。
一瞬、空気がひ〜んやりした気がします
でも、2020年9月じゃなかった。。。
わたしたちはまさに
「そのこと」で陳情しているのです。
実は、この委員会の当日の朝
わたしと友人は
市役所の1階フロアで
見知らぬ年配の男性に
「マスクをしとらんヤツらがおる!」
と、言われました。
・マスク着用は、任意です
・咳エチケットは常時、守っております
「マスクは(他人への)思いやり」
という考えは、
「マスクをしないのは、他人への思いやりがない」
と、言っていることになりませんか?
あなたのその「思いやり」が
マスクをつけられない方々への「思いやり」に
欠けているのではないですか?
・・・っていう、
陳情なんですけどね
市で
「マスクできませんカード、バッジを作っています」
「これから作ります」
とか、そんな話じゃなくて
そもそもの認識をもう、変えてほしいのです。
「社会の在り方」を議論してほしいのです。
例えば、
節約のために
1円でも安いスーパーに1時間かけて車で買い物に行く
これがトータルで全く節約にならないことは
わかりますよね?
感染予防のために
少しでも飛沫を防ごうと
2年半以上も子どもたちに
常時マスクを着けさせる...
わたしには
同じことのように思えて仕方ないんですよ。
感染症についてまだよく分からなかった2年前ならまだしも
今では多くのデータが集まり
重症化率と死亡率ともに低下し
子供に至っては極めて低い数値を維持しています。
「思いやり」でマスク
してるなら
もう一生、マスクやめられないじゃん。
第6波の前、第7波の前、
そういう感染者数が極めて少ない時にも、
気を緩めるなってずっと同じ対策してましたよね?
「高齢者のために」
「免疫疾患のある方のために」
「思いやり」
それはもちろんその通りなのですが
子どもたちは、鼻マスクですら大人から注意されたり
子ども同士が注意しあったり、
しているのです。
また、子どもに対して
「苦しかったら外していいと指導しています」
と言われますが、それは
「苦しくない限り、外したらダメですよ」
ってことなんですよ。
そして、
苦しいからってマスクを外したら
知らない大人から
「マスクを外してるヤツがおる!!」
って、言われちゃうこともあるんですよ。
そんな社会の
・・・
どこが思いやりやねんw
わたしたちは、陳情書の段階で、
「常時マスク着用は、感染予防効果が乏しい」
「常時マスク着用が、子どもの心身の発達に悪影響を与える」
と言う根拠、データをもっと示すべきでした。
(2日で書いて即、提出しちゃったので)
が、準備不足の陳情書を提出したおかげで
「どう書けば採択されるのか」が、わかりましたし
はっきり言って、
やってよかったことばかりです
(皆さんにもぜひオススメしたいので
ご興味のある方は連絡ください)
委員会の流れから
お気づきかもしれませんが
陳情側は、趣旨説明(5分)のあとは
質問されたことに答えるだけです。
その質疑の時間が終わった後に
委員ごとの意見交換があり、
ここで委員が「マスクは思いやり」などと発言されても
こちらには「反撃のターン」は
まわってきません。
ちょっとセコいw
あと、委員会の話ではないですが
「データはあるのですか?」
と質問されることがあります。
こういう質問をしてくる相手には、たとえ
データを示してもムダなことが多いです。
データが無いんじゃなくて、あなたに
「人の話を聞く気持ち」と「想像力」が無いんじゃないですか?
って、心の中で返しています
たとえば、
耳の不自由な子ども、大人にとって
「周囲の人間がほぼ全員マスクをするようになって
相手の話す口元が見えず
どれほど不自由な生活になったか」
を示すデータは、ありません。
データがないから、
これは正しくないのでしょうか?