72年目の終戦の日に思うこと(4)~アメリカとの単独講和と占領体制の継続 | せとけん公式ブログ『 #ピースメーカーズ 』from 瀬戸健一郎 Powered by Ameba

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※「政治を変えることなどできない。」安保闘争で民衆の心に深く刻まれた"Defeated Mindset"(無力感)

 

■今日も続く占領政策~サンフランシスコ講和条約と日米安全保障条約

日米安全保障条約による新たな占領体制に移行することによって形骸化した日本の国家主権の回復

今回のシリーズ最初のブログ記事「占領72年目の終戦の日(1)~戦争は終わってなどいない。」でも述べたとおり、戦陣に散った日本軍の将兵のご遺骨を南方戦線に100万柱も残しておいて、「終戦」などとは言えない。同様に実は、アメリカ合衆国による日本国占領も終わってなどいないのです。

 

サンフランシスコ講和条約は、日本国が国家としての主権を回復したことを国際社会に大々的にアピールする目的で演出されましたが、これには日米安全保障条約という付帯条件が付けられていました。

 

本来、11か国で構成される極東委員会が設置したGHQ=連合国軍最高司令官総司令部だったはずなのですが、現実はマッカーサー総司令官に占領政策のすべてを実行する権限が委任されており、アメリカ合衆国が戦後、日本国を事実上統治していたので、日本がアメリカとの単独講和に応じることは自然な流れではありました。

 

しかし、このことは日本が全面講和を放棄したことを意味しており、ソ連や中国を振り払って、日本国がアメリカ合衆国の傘下に入る(=属国になる)ことを国際社会に宣言することでもあったことを忘れてはなりません。

 

アメリカ合衆国は、マッカーサーによる日本占領政策の総仕上げとして、サンフランシスコ講和条約の締結を仕掛け、国際社会に大きくアピールしました。「日本はアメリカのものだ。」アメリカ合衆国は日本がアメリカ単独の戦利品であることを宣言し、日米安全保障条約の同時締結は単独講和後も、アメリカ合衆国が特権的に日本国を支配し続けることを世界に宣言する意味があったのです。そして現在に至る。

 

■ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムによる精神的武装解除

周到な洗脳プログラムの存在!~日本の武装解除は日本国憲法によってのみ実行されたのではない。

当初からアメリカは日本の戦争責任を東京裁判によって裁き、その罪状を根拠とする「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(WGIP)という思想教育と洗脳プラグラムを周到に準備し、これをGHQ内部の民間諜報局(Civiic Intelligence Section=CIS)と民間情報教育局(Civic Information and Ecucation Section=CIE)を通じて、綿密に実行しました。

※このひとつ前のブログ記事「72年目の終戦の日に思うこと(3)~GHQ占領政策と戦後史の原点」に添付されているトップ画像がその指令機密文書。

 

そして日本国民一人ひとりに「戦争に対する罪責感」(ウォー・ギルト)を植え付け、憲法で戦力の放棄を宣言させ、財閥を解体し、農地解放を断行し、教育委員会制度を創設して全国一律に未来を担う子どもたちを教育し、アメリカの占領に反対勢力となり得る教員を追放するなどして、大学改革も行いました。

 

さらにマッカーサーは、日本が二度とアメリカの脅威とならないように、ありとあらゆる分野の統治機構に手を入れて日本改造に着手しました。戦後作られた数々の諸制度や諸法規が今も現存しています。

 

しかしながら、それらの最高法規たる日本国憲法は、当時の国際社会の現実を無視して起草されており、平和主義とデモクラシーをその基調理念としており、文部省が当時の中学生に教えるために発行した「あたらしい憲法のはなし」にあるように、「日本は正しいことを、ほかの国よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。」という戦後日本の方向性を示す国家観に昇華して、私たち日本人は私たち自身の選択として、これを積極的に取り入れてきたのです。

 

確かに、憲法草案をGHQが1週間で起草したことは事実ではありますが、「戦争は二度と起こすまい」という日本人の『不戦の決意』と、日本人の『平和を希求する心』が、日本国憲法に読み込まれた「平和主義」や「戦力の放棄」という考え方に、ぴったりと一致するものであったことは厳然たる事実なのです。

 

ですから、「日本国憲法は押し付け憲法だから、これを変えなければ、日本国の主権は取り戻せない。」などと主張する人々は、特に日米安保体制を堅持しようなどと主張する人々は、自分たちがGHQによる洗脳教育の影響から完全に解放されて自由な意志に立てているのかどうかをまず第一に、自分自身の思想や言動と照らし合わせて、深く自分自身を省みることが必要なのかもしれません。

 

■占領72年目の終戦の日:日本国の物理的武装解除と日米安保条約

WGIPによる精神的武装解除と戦力の放棄(物理的武装解除)、そして日米安保条約による占領継続

物理的にも精神的にも完全に日本人と日本国の武装解除を達成したアメリカは、遂には日本との単独講和に踏み切り、表面的には占領を解くことを提案。しかしこのような形式的な日本国の主権回復の裏で、引き続き、日本国に対するアメリカ合衆国の事実上の占領体制を恒久的に継続するために、日米安全保障条約の締結を迫ります。

 

かくして今年、私たちが忘れてはならないことは、終戦という戦闘行為の終息から72年もの月日が経過したことだけでなく、それと同時に始まったアメリカ合衆国による占領も今年、72年目の夏を迎えたという事実です。

 

日米安全保障条約の締結に際して、池田隼人氏が吉田茂総理に同行したいと申し出た時、吉田茂総理は池田氏に対し、「君のキャリアに傷がつくから」と同行を許さなかったというエピソードが残っています。吉田茂総理は米ソ冷戦体制が世界を二分していく当時の世界情勢の中で、ソビエトや中国を含む全面講和が現実的ではなくなり、日本国の主権回復にはアメリカ合衆国との単独講和以外に選択はないと考えていたに違いありません。

 

しかし、アメリカ合衆国との単独講和の条件とされたのが日米安全保障条約の締結だったわけです。吉田総理はきっと、内心忸怩たる思いで日米安全保障条約の署名に独りで臨んだのでしょう。池田氏の同行を許さず、「君のキャリアに傷がつくから」と述べたその言葉は深いなと思います。

 

しかし歴史はその後、吉田茂氏が作った戦後日本の設計図面どおりに復興し、高度経済成長を成し遂げていくことになります。これを担ったのが、池田隼人、佐藤栄作、田中角栄などの「吉田学校」の政治家たちであり、これを永田町では「保守本流」などと呼んでいるのです。

 

吉田茂総理の「忸怩たる思い」は、今もその原因が未解決のままなのに、だれもこれを解決しようとしません。吉田茂総理の「忸怩たる思い」は現役国会議員たちからは既に、忘れ去られてしまったようです。

 

■72年目の終戦の日:看過できない改定安保と地位協定による占領体制

経済復興を果たし、自衛隊という自衛力を保持してもなお、日米安全保障条約の継続を決めた岸信介

日米安全保障条約によってアメリカ軍は、日本国中のどこへでも基地を置き、すべての港湾に軍艦を寄港させる権利が保障されています。(*)現実に日本全国に米軍基地や米軍関連施設は102か所も存在し、その駐留年間経費の約70%に当たる約9,000億円(思いやり予算1,800~2,400億円を含む)を、日本国は日本人の税金からアメリカ合衆国に毎年上納し続けているのです。ご存知でしたか?

*岸信介総理(安倍晋三総理の祖父)が調印した改定安保条約に付属す「日米地位協定」による

 

このような日米関係を継続していて、日本国は果たして主権国家と言えるのでしょうか。安倍内閣はきっと「自らの主権によって、アメリカ追従型の政治を積極的に選択しているのだ。」と断言するかもしれません。しかし、アメリカ合衆国のWASP(*)家庭に交換留学生として一年間受け入れられ、現地の高校を卒業し、その後、英国の大学でも一年間学び、生活する体験を得た私にとって、またYFU財団の事務局長として国際交流の現場で働いた経験から、今の日米関係のあり方は看過することの出来ない現実です。

*アメリカ建国の源流だと言われる”WASP=White Anglo-Saxon Protestant” (英国系白人新教徒)

 

なぜならアメリカ国民の実態は、英国人や外国人の実態は、今も日本国と日本人を畏敬の念をもって遠くから見つめているからです。アメリカに追従していないと安心できない多くの日本の政治家たちは、世界観がとても狭く、生まれ育った占領政策の呪縛の中に今も囚われ、そのことにさえ気づいていないために、国家の威信や国民の誇りが健全なセルフイメージに立脚してはいない可能性があると思います。

 

■アメリカ合衆国による占領体制を確立させた吉田茂総理と岸信介総理

緊急避難的な妥協と決断~サンフランシスコ単独講和と日米安全保障条約による日米関係の永続化

恐らく自らも外交官の経験を有していた吉田茂氏自身は既に述べたとおり、内心忸怩たる思いでサンフランシスコのあの歴史的大舞台で単独講和に臨み、その後単身、アメリカ軍基地の会議室で行われた日米安全保障条約の調印に臨みました。果たしてそのお孫さんにあたる麻生太郎副総理は祖父の忸怩たる思いをどのように受け止めておられるのでしょうか。

 

さらに安倍晋三総理の祖父こそが、既に日本が占領を解かれ、自衛隊まで既に存在していたにも関わらず、日米安保体制の継続を決めた岸信介総理です。改定安保の調印は外交・防衛に関する日本国の主権を引き続きアメリカ合衆国に委ね、今日に至る日米関係の礎となった歴史的大選択でした。

 

アメリカ政府から見ても、岸信介総理の功績は絶大です。

 

そのお孫さんである安倍晋三総理が、アメリカ合衆国上下両院議員総会で演説する機会を与えられ、祖父・岸信介氏の功績を語り、未だ日本では法案の形さえ存在していない安保法制を夏までに成立させると約束して帰国した出来事を、私は忸怩たる思いで見つめていました。

 

アメリカ合衆国の意向に叶った政治家のみが総理大臣になる。アメリカ合衆国の日本占領を盤石にするために働く自由民主党が、今も政権を維持し続けている。

 

72年目の終戦の日は、私にとって占領72年でもある。~私は18歳の頃、留学先のアメリカ合衆国で決意した「等身大の日米関係」を実現するまで、今後とも政治に関わり続ける決意を新たにしています。

 

日本を変える。

世界が変わる。

 

そのために・・・

 

瀬戸健一郎(せとけん)

Kenichiro Seto (Setoken)

 

(関連年表)

1950年06月25日(日) 朝鮮戦争勃発

1950年08月10日(木) 警察予備隊設置

1951年09月08日(土) サンフランシスコ講和条約及び日米安全保障条約締結(署名)

1952年10月15日(水) 保安隊設置(警察予備隊改編)

1954年07月01日(木) 自衛隊設置

1955念11月~      ベトナム戦争勃発(宣戦布告がなかったので開戦日は諸説あり)

1955年11月15日(火) 自由民主党結党(保守合同による55年体制が始まる)

1960年01月19日(火) 日米安全保障条約(改定安保)及び日米地位協定署名(署名)