かけっこ・陸上競技レッスンの主な生徒さんは小学生であることが多いのですが、
生徒さんから今回、縄跳びの「あやとび」と「二重跳び」ができるようになりたいとの話があり、
レッスン中に行うことになりました。
そんな中で考えたことを長々と書いていきます。笑
これについて面白さに自信はないので、それでも良いよと言う稀有な方に読んでいただけますと、
とっても嬉しいです😂
縄跳びの授業
皆さんの小学生の頃の縄跳びの授業は、どんな感じだったか覚えていますか?
私は結構明確に覚えていて、検定方式でした。
前跳びから始まって、各跳び方に合格の回数が決まっていて。
できると合格の印かシールが貰えて、後ろ跳びとか駆け足跳びなどを経て二重跳び、あやとびや交差跳び、はやぶさと進んでいくのですが、
これが当たり前過ぎて今までなんとも思わずに生きて来ました。検定でなくても、みんなこうやって1つ1つ出来るようになって難しい跳び方を習得するもんだと。
しかし今回レッスンで縄跳びリクエストがあったお子さんと、親御さんと話をしていて、
こんなにきっちり縄跳びをクリアしていく学校ばかりではないと知り。
ちなみに、検定を受けたいタイミングは体育の授業中自己申告で、
練習タイムは2人組を作って、お互いにここはこうしたら?とか生徒同士話したり、
生徒同士解決できない時は先生に相談したりしていたと記憶しています。
※いろんな考え方や授業の進め方があり、それは先生の意向だけでなく学校や、
もっと大きな、そもそもの学習指導要領による縄跳びの位置付けや体育で重きを置いている部分、
全科目の中での体育自体の位置付けは時代によっても違いますので、
何が良いとか悪いとかでは無いというのは大前提としてお伝えさせていただきます。
ただ。
改めて自身が受けて来た縄跳びの授業の良さというか、私がお子様向けにレッスンをする際の考え方に結構影響を及ぼしているのではないかと実感したのでした。
あくまでも私の場合の話として受け取っていただけますと。
クリアして行くことでスムーズに
始めに書いた通り、先日小学生に縄跳びのレッスンをしました。
私の頭の中には、てっきり前跳びや後ろ跳びをクリアした先に二重跳びやあやとびがあると思っていたのですが、
まず、生徒さんが受けている授業では、できてもできなくても、
その日の体育の授業の時間の中でみんなで一緒に前跳び〜駆け足跳び〜後ろ跳び〜と、
順番に進めて行くという授業内容であると聞いてびっくりしてしまいました。
※全く悪いとは思っていません!先にも書いた通り、授業というのはその時の流れだけでなく、
背後には大きな流れや時代背景なども絡むからです
どんな授業を受けているかを聞いたことで大前提が覆り、
その日やろうと思っていた流れを考え直す必要が出て来ました。
例えとして少し具体的に。
まず、前跳びの跳び方が効率的な動きではなく、
前跳びはなんとか出来るにしても、
後ろ跳びになるとその動きでは無理が出て来てしまう動き。
具体的には、脇が開いて膝が伸びてしまっている跳び方。
前跳びもその跳び方でなんとか30回跳べても、
体力的には余計に疲れてしまう跳び方。
この後を考えると、前跳びや後ろ跳びのような、
一見シンプルで簡単に出来そうな動きを丁寧に習得して行くことが、
その後のちょっと技術が必要な跳び方にスムーズに移行していけることに繋がります。
大人数での授業だとなかなか1人1人の様子を見るのは大変ですよね。
私は個別レッスンだから観察できるというのも理解しています。
可視化
検定方式の良くないところを挙げるとなると、
「できる・できない」がはっきりと可視化されてしまうことだと思います。
私はかけっこに関しては1年生の時から自信がありましたが、
縄跳びに関しては1番ではありませんでした。
あやとびが最初はうまく出来なかったし、二重跳びも一応出来てたけど、
足に引っかかると冬だし体操着は短パンだし痛くてすごく嫌でした。
体育には全体的に結構自信があったので、悔しいというか、
出来る子に対して「負けた」と思ったりしてました。
ここで、「できる・できない」より大切なのが
「できるようになりたいか・できなくて良いか」だと思っていて。
コツを知らないまま大人になる
どんな授業内容であっても、「できるようになりたい」と思っている子が、なんで出来ていないかわからないまま時が過ぎ、
どうやったら出来るのかのコツも聞かないまま「苦手」で終わることが私は怖いです。
本当に苦手な場合も勿論ありますが、
コツを知らないだけで本当はもうちょっと出来たかもしれない。
出来ることだけが大切ではないですし、偉いわけでもないですが、
「出来るようになりたい」とか「悔しい」と思った以上、それを放置して「苦手なんだ」と思い込むことを避けたい。
これは縄跳びに限らず。走ることも。
得意不得意は誰でもあります。
努力をしたら全員がオリンピックに出られるわけではありません。
でも、「可能な限り」出来るようになる・強くなる・速くなる。そのコツを知りチャレンジをする資格は誰にでもある。
無理強いはしないし、出来なくて良いんです。
大切なのはどう思ってるか。
それで。
これを、個別レッスンではなく集団の授業で行う中で一番効率的に進められたのが、
検定方式だったのではないかと思うんです。
別に検定方式で、最後までクリアしないとダメなんてことは言われなくて、
別に出来るようにならなくて良いと思う子どもは縄跳びの授業期間が終わるまで、無理して進めなくて良い。
でも、どんどん出来るようになりたい子どもは、
出来る子とペアを組んでアドバイスをもらったり、先生にどんどん検定を頼んで挑戦する。
結構良い授業だったよなと思うんです。
個別レッスン
私の場合は、個別レッスンです。
なので、目の前のお子様だけを見て、ゆっくり話をして。
今回の縄跳びのお子さんとはまた別のお子さんですが、
時には全く言っている内容をしてくれなくて「なんでしたくないのか」と言うのを腰を据えて話をしたこともあります。
絶対やらねぇ!と言う男の子と向き合って、厳しい態度で向き合ったこともありました。
結果的にゆっくり関係を築くことで、お互い理解し合えたり。それって個別レッスンだからこそってのもよくよくわかります。
だからこそやってるって言うのもあります。
まとめ
特に結論の無いブログになってしまった気もしますが、何が言いたかったかと言うと、
私はだから個別レッスンを行なっているということかなと。
できる・できないではなくて、
「できるようになりたいか・できなくて良い」か。
そこに注目したいからだなと。
学校では運動が得意!という感じでは無い子でも、それぞれ「出来るようになりたい」と秘めた想いがあって、
その想いがある限り、私は想いに寄り添いたいんだなと思います。
体育大学時代に、実技で跳び箱の指導を体操部の先生がしてくださりましたが、
何故かあの授業の時、みんな高い跳び箱が跳べたんです。
一度失敗して以来、若干恐怖心のあった私も、あと5段くらい高いの跳べちゃうんじゃない?!と思うくらい跳べました。
体力や身体の使い方のセンスみたいなのは当然個人差があります。でも、コツを知らないまま、コツが伝わらないまま過ぎてしまうと、
大人になっても「苦手意識」だけ残る。
小さなズレのようなものが、大人になるにつれて大きくなって、一生運動が嫌いなまま過ごすかもしれない。
そうしているうちに、中高年になり体調を崩し、
お医者さんから「運動をしてください」と突然言われる。
ここで運命の運動と出会う・運命の先生と出会う。そんなことがあれば最高ですが、そうではないこともある。
子どものうちの運動への苦手意識を最小限にすることと、大人になって運動を始めた時に素晴らしい先生が沢山いること。
これはどちらも大切なこと。
老後のためのスタートが子どもの頃に始まっている。そう思うと。
ですね。