橋下さんにグローバリズムを感じるという否定的なつぶやきをみかけたが、
橋下さんは感じるも何もグローバル化する世界という前提で
その中でどう日本が大阪がどうすべきかという議論をしているよね?
それは橋下さんが望むとか望まないとかじゃなくて、
単に事実ベースとしてそうなるだろうという予測のもとで、
主張や議論を重ねているわけだ。

反グローバリズムの人にはきっと分からないんだろうなぁ。
谷垣総裁は失言がないから有能
みたいな書き込みを見かけたんだけど、
まじかよと笑ってしまった。

失言がないのが偉いなら何も言わなきゃいいんだよね。

もっと言えばちょっとのことで簡単に言葉狩りをするから、
日本の政治家はつまらなくなっていく。
首相を辞めたあとの鳩山さんの講演はおもしろかった。
一国の首相になる人物だ、人間的魅力がないわけがない。
それを殺してしまっているのは一体誰なんだろうか?

まあ人間的魅力と政治力は必ずしも一致しないんだけどもw
「俺は世間の気づいていない真実に気づいている」
「政府やらアメリカやらはそれを巧妙に隠している」

という論調の意見はだいたい無視しておk。
自由報道協会の小沢一郎氏への受賞について物議を醸している。
私は上杉隆氏も岩上安身氏もあまり評価していないが、
記者クラブの閉鎖性に風穴を開ける役割の担い手として
期待がなかったわけでもない。

そんな中、世界の報道自由度ランキングにおける、
日本の順位の後退の報道がなされた。

政府や既存マスコミの信頼性が揺らぐ中、
既得権益へ立ち向かう新勢力としては、
あまりにも残念な状況が続いていると言わざるを得ない。

ジャーナリズムは権力チェック機能の担い手であると同時に
自身が権力と簡単になりうるものである。
個々人が権力と闘っていたときには顕在化しなかったものが、
集団となった今吹き出してきているのだろう。

それぞれのジャーナリストがそれぞれに自分の主張を重ねるだけでは、
新しい時代を切り開くことはできない。
自由報道協会は慎重に慎重を期して
団体としての役割や方向性を熟慮すべきだった。

自由報道協会の崩壊は日本の報道にとって大きな痛手だ。
やっぱりフリージャーナリストは信用ならん、という風潮が蔓延しないことを切に願い。
香山リカ氏のコラムを読んだ。

香山氏の意見を全面的に受け入れられるとしたならば、
それはきっと橋下氏が言うような大阪の問題は存在しない、
あるいは言うほどたいした問題ではない場合だ。

橋下氏が針小棒大にさも大問題を抱えているかのごとく
市民を騙しているのならば、彼は稀代のペテン師だろう。

ただそういう論調でもなさそうだ。
結局のところ香山氏の指摘はどこに向かっているのかが分からない。

物事には常に二面性がある。
強いリーダーと独裁者が表裏一体であるかのごとくだ。

だからそうならないように、
あるいは橋下氏の”改革”によって置き去りにされる何かを指摘し
軌道修正やセーフティネットの構築に力を注ぐことは重要であると思う。
橋下氏が全面的に正しいなんてことは原理的にありえない。

だがしかし「問題」を置き去りにした「橋下的なものに感じる違和感」に
私は違和感を感じることを禁じ得ない。

例えば香山氏の主張するような「無駄があってもよい」という主張は正しいと思う。
しかしその正しさは大阪が今のままでよいということは保証しない。
別の次元の正論だけでは現場の問題は解決しない。

残念ながら香山氏の意見だけで橋下氏の改革のまずさはいまいち伝わって来なかった。