ランドセルを配った人を叩く人は、
さすがにまるで理解できないなぁ。
自分にはできないし、俺は尊敬する。

叩く人に論理はだいたい詭弁なので、
なぜ叩こうという精神状況になるのかは分からないけど、
何もしない自分を肯定するために、
行動する人を否定するのかな?

例えば、配った人が誰か分かってて、
そいつは普段あからさまに悪いことをしてて、
それを誤魔化すために配ってるという状況なら、
偽善とでもなんでも言えばいいけどさ。

誰だか分からんのに、
「偽善だ」とか、
「金持ちの道楽だ」とか、
「もしかしたら~だ」とか、
よく理解しかねるなぁ、ということで。
南アW杯の話を中心に、
歴代の日本代表監督の話や、
Jリーグの話や提言、今の若い世代への提言、
そしてブラジルW杯に向けた遠藤の熱い想いが伝わってきます。

正直、遠藤という選手ははじめはあまり好きな選手ではありませんでした。
しかし、いつの頃からか、日本代表に欠かせない選手となり、
そのプレイから伝わってくるものを含めて、
あらためて素晴らしい選手だと再認識しました。

次のブラジルは年齢的にも厳しいと思っていましたが、
本人は出る気まんまん。
そのために必要な努力はまるで惜しむことなく、
若い選手の何倍も自分自身に厳しく接しているのを見ると、
ずっと応援し続けようと決めましたw

とても読み易く、おもしろい上、
マスゴミの報道がいかにどうしようもなかったものか、
そういったこともわかる本なので、是非とも読んで欲しい一冊です。

信頼する力 ジャパン躍進の真実と課題 (角川oneテーマ21)/遠藤 保仁

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吉田の劇的な同点ゴールで引き分け。
ほんまよく取ったという感じです。

試合内容はというと、失点については、
致し方ない面はある。
ほとんど初めてのようなセンターバックコンビで、
連携面はあまりよくなく、マークずれたり、
重なったり、危ない面は結構あった。
直前の試合もなかったわけだし、
これから修正していく必要はあるだろう。

攻撃面はいまいち連動性に欠けていて、
香川なりの単発の動きになっていた。
相変わらず相手に合わせてしまう面があり、
ザックのいうところのスピードがないという言葉は、
リスク取る動き、厚みのある攻撃になていない
ことを表しているのではないだろうか?

強豪国と日本が戦う際、彼らはギアを上げて
一瞬で畳み掛けてくることがある。
そうして1点をもぎ取るとしめたもので、
ギアを落として展開をゆっくりにする。
攻撃は前の3人くらいに任せて、
中盤はリスクを取らないで試合を運ぶ。

アジアの格下と戦う際には、
日本もこのような闘い方を求められる。
格下と言いつつも彼らも決して雑魚ではない。

しかしながら、最後のパワープレイで、
日本が一点をもぎ取ったように、
歴然とした力の差は間違いなくある。

だとするならば、あるタイミングで、
一気にギアを上げて先制点をもぎ取ることを
今の日本には求められているのだ。

日本は舐めてかからない、といういい面があるが、
それが逆にあまりに慎重な展開にさせてしまっている。

アジアの中で日本は強い。
自信も過信をも持って戦って欲しいときがたまにある。

セカンドボールがかなり拾えていなかったあたり、
連携やコンディションに問題もあったように思う。

尻上がりにコンディションを上げて、
是非優勝して欲しいと願いばかりです。


しかしまあ、たった一試合引き分けただけで、
どんだけ悲観的なんだこの国はw
「最近の若者は~」議論が、
いかに不毛なものであるかについては、
既に多く論じられており、ここで明らかにする必要もないだろう。
例えば下記のサイトで紹介されいるように、
30年前に出版された若者論は、今言われていることと
大差ないことが明確にわかる。

「最近の若者はダメ論」まとめ

さて、池田信夫氏がtwitter上で論じていたように、
学生は専門性がなく、会社や企業を知らず=世間を知らず、
残念な状況にあることは間違いない。
※それは今の学生に顕著なわけではく、私自身を含めて、
一般的な学生はずっとそんな状況だったわけです。

そのことが就職難を産んでいるという議論は横に置かせていただく。
なぜならば、何故、学生がそのような状況なのか、
それがここで論じたいことだからだ。

結論か言うと、
「ある世代の学生にある傾向が認められるならば、それは社会の要請の結果である」
ということだ。
ここでいう社会の要請とは、言葉の通り「求められる」だけでなく、
社会構造、環境によってもたらされるものも含む。

例えば、最近の子供たちが外で遊ばないと言われるが、
「ゲームの存在」「公園等の不足」「外で遊ばせたがらない親」など、
このような環境的な側面を含めて「要請」と呼ぶこととする。

ある世代にだけ顕著に見られる傾向があるとしよう。
※注意としては、若者議論の通り、多くの場合、
別の世代の感覚的な物言いであり、実際に傾向がない場合が多い。

ただし、アメリカと日本の学生を比較するなどの場合、
顕著に見られる傾向は多々あるだろう。
では、その場合、その傾向はどこから生まれたものなのだろうか?

日本の学生が例えばアメリカの学生に比べて○○で劣っているという
議論の仕方はよく見られるかと思う。
特定の学生の話ならば、「もっと勉強しろ」でもなんでもよいが、
全体傾向として見られる場合に、日本の学生のみが、
なんの理由もなく劣っているということはあり得るのだろうか?

子どもを含め若者は、社会を色濃く反映すると言って差し支えない。
例えば、学生に専門性が無いのは、社会が学生にそれを求めていないからであり、
求めないという社会の要請に学生達が応えた結果なのである。
逆に専門性を求めたらならば、少なくとも多くの学生は
よりよい就職先を求めて自己研鑽に励まざるを得ないのである。
それを求めていない社会側の問題であるにも関わらず、
学生はどうせ勉強していないと、学生側に転嫁するのは間違っている。

※まあ、そもそも上の世代は、勉強も何もしていなかったので、
自分達に無かったものを下の世代に求めづらいのかもしれないがw

だらだらと書き連ねて来たが、学生にある傾向が見られる場合に、
学生にダメだしするような論調が見受けられるが、
それは全て上の世代が作り出した「社会の要請」に基づくものであり、
全て若者議論を展開する上の世代の責任に過ぎないということだ。

若者を責めても有益なことは何も無い。
バブルのような景気を
想定しているんじゃないだろうかってよく思う。

それと比較して悪いといって
卑下してるのはよくないよね。

まあ、今景気がいいとは言いませんが。