市川海老蔵さんがブログで、
麻央さんが痛み止めに頼ったことを悔しいと表現されています。
純粋な疑問として、どう悔しかったのかを尋ねてみたいところです(なおこのブログエントリーには何か批判的な意図は一切ありません)。
そのような痛み止めに頼らざるをえない病気になってしまったことが悔しいのか。
あるいは痛み止めに頼るほど心身が弱ってしまったことが悔しいのか。
それとも、別の意味か。
ただ、がんの高度進行期は痛みが出るのが当然です。
そしてそれは心身に多大な負荷をかけます。
急性の痛みと違い、抑えて問題のない痛みで、我慢するのが良い痛みではありません。
がんの患者さんが痛み止めを使うことは、弱いことでもありません。どんなに強い人間も痛みの前ではぼろぼろになります。強くあるために、痛み止めを使うのです。
「痛み止めに頼る」としばしばネガティブにも表現されますが、がんの患者さんはしばしば「痛み止めを使いこなし」その人らしく生きようとしていることが知られてほしいと思います。
もしがんの患者さんが、ややネガティブなイメージで「痛み止めに頼る」と思われているならば、社会一般にそのようなイメージがまだまだあるのならば、それは変わっていかねばならないと思います。
かつて小林麻央さんは痛み止めに関して、貴重な体験を語られました。
「解放」という投稿でした。
一部引用します。
(以下引用)
私は痛み止めを飲むのが嫌で、
でも、癌の痛みで
限界を感じて、ようやくようやく
薬を飲んだとき、
身体の痛みが和らいで、
なんだかわからないけれど、
「許されていく 」感覚がしたのです。
そのときの
痛みから 解放されていく
「 和らぎ 」が今でも忘れられません。
思ったのです。
何で頑なに
こんなに自分を苦しめる必要が
あったのだろう。
私、悪いことしたから病気になった
わけでもないのに、
なんで勝手に罰みたいに
苦しんでいたのだろう。
不思議なもので、
あんなに苦しんだ痛みは
少しずつ忘れたけれど、
あのときの、
痛みから解放されていく感覚は
きっと一生忘れません。
それほどの意味もないのに、
それほどの理由もないのに、
自分を許さないなんて
あまりに自分に対して可哀想だったと
思います。
(以上引用)
がんの患者さんにとっての痛み止めの大切さについて、鋭く書かれたものでありました。
大切な方を亡くすと、ご家族には様々な感情が去来します。
後悔もあるでしょう。
ただ生前こうして、痛み止めの大切さを語って下さった麻央さんです。
海老蔵さんもこのことに関しては悔いないで頂ければ、お気持ちが少しでも楽になればと、願う次第です。