三国志(206) 曹軍劣勢 |  今中基のブログ

 曹操はなおその総軍司令部を宛城において、情勢を大観していたが、曹仁、曹洪を大将とする先鋒の第一軍十万の兵は、許褚の精兵三千を加えて、その日すでに、新野の郊外まで殺到していた。
 一応、そこで兵馬を休ませたのが、午の頃であった。
 案内者を呼びつけて、
 「これから新野まで何里か」と、訊くと、
 「三十余里です」と、いう。
 「土地の名は」と、いえば、
 「鵲尾坡――」と、答えた。
 そのうちに、偵察に行った数十騎が、引返してきていうには、
 「これからやや少し先へ行くと、山に拠り、峰に沿って陣を取っている敵があります。われわれの影を見るや、一方の山では、青い旗を打ち振り、一方の峰では、紅の旗をもってそれに答え、呼応の形を示す有様、何やら充分、備えている態がうかがわれます。どうもその兵力のほどは察しきれませんが……」
許褚は、その報を、受けるやいな、自身、当って見ると称して、手勢三千を率いて深々と前進してみた。
 鬱蒼とした峰々、岩々たる山やその尾根、地形は複雑で、容易に敵の態を見とどけることができない。 しかし、たちまち一つの峰で、颯々と、紅の旗がうごいた。
 「あ。あれだな」
 凝視していると、また、後ろの山の肩で、しきりに青い旗を打ち振っているのが見える。何さま信号でも交わしている様子である。許褚は迷った。 山気は森として、鳴りをしずめている敵の陣容の深さを想わせる。――これはうかつにかかるべきでないと考えたので、許褚は、味方の者に、
 「決して手出しするな」と、かたく戒め、ひとり駒を引返して、曹仁に告げ、指令を仰いだ。
 曹仁は一笑に付して、
 「きょうの進撃は、このたびの序戦ゆえ、誰も大事を取るであろうが、それにしても、常の貴公らしくもない二の足ではないか。兵に虚実あり、実と見せて虚、虚と見せて実。いま聞く紅旗青旗のことなども、見よがしに、敵の打ち振るのは、すなわち、我をして疑わしめんがためにちがいない。何のためらうことがあろう」と、いった。

 許褚は、ふたたび鵲尾坡から取って返し、兵に下知して、進軍をつづけたが、一人の敵も出てこない

  「今に。……やがて?」

 と、一歩一歩、敵の伏兵を警戒しながら、緊張をつづけて進んだが、防ぎに出る敵も支えに立つ敵も現れなかった。 こうなると、張合いのないよりは一層、無気味な気抜けに襲われた。陽はいつか西山に沈み、山ふところは暗く、東の峰の一方が夕月にほの明るかった。
 「やっ? ……あの音は」
 三千余騎の跫音がはたと止まったのである。耳を澄まして人々はその明るい天の一方を仰いだ。
 月は見えないが水のように空は澄みきっていた。突兀と聳えている山の絶頂に、ひとりの敵が立って大擂を吹いている。……ぼ――うっ……ぼうううっ……と何を呼ぶのか、大擂の音は長い尾をひいて、陰々と四山にこだましてゆく。
 「はてな?」
 怪しんでなおよく見ると、峰の頂上に、やや平らな所があり、そこに一群の旌旗を立て、傘蓋を開いて対座している人影がある。ようやく月ののぼるに従って、その姿はいよいよ明らかに見ることができた。一方は大将玄徳、一方は軍師孔明、相対して、月を賞し、酒を酌んでいるのであった。
 「やあ、憎ッくき敵の応対かな。おのれひと揉みに」
 許褚は愚弄されたと感じて酷く怒った。彼の激しい下知に励まされて、兵は狼群の吠えかかるが如く、山の絶壁へ取りすがったが、たちまちその上へ巨岩大木の雨が幕を切って落すようになだれてきた。
 一塊の大石や、一箇の木材で、幾十か知れない人馬が傷つけられた。
 許褚も、これはたまらないと、あわてて兵を退いた。そして、ほかの攻め口を尋ねた。
 彼方の峰、こなたの山、大擂の音や金鼓のひびきが答え合って聞えるのである。
 「背後を断たれては」と、許褚はいたずらに、敵の所在を考え迷った。
 そのうちに曹仁、曹洪などの本軍もこれへ来た。曹仁は叱咤して、
 「児戯に類する敵の作戦だ。麻酔にかけられてはならん。前進ただ前進あるのみ」
 と、遮二無二、猛進をつづけ、ついに新野の街まで押し入ってしまった。
 「どうだ、この街の態は。これで敵の手のうちは見えたろう」
 曹仁は、自分の達見を誇った。城下にも街にも敵影は見あたらない。のみならず百姓も商家もすべての家はガラ空きである。老幼男女はもとより嬰児の声一つしない死の街だった。
 「いかさま、百計尽きて、玄徳と孔明は将士や領民を引きつれて、いち早く逃げのびてしまったものと思われる。――さてさて逃げ足のきれいさよ」と曹洪や許褚も笑った。
 「追いかけて、殲滅戦にかかろう」という者もあったが、人馬もつかれているし、宵の兵糧もまだつかっていない。こよいは一宿して、早暁、追撃にかかっても遅くはあるまいと、
 「やすめ」の令を、全軍につたえた。
 その頃から風がつのりだして、暗黒の街中は沙塵がひどく舞った。曹仁、曹洪らの首脳は城に入って、帷幕のうちで酒など酌んでいた。
 すると、番の軍卒が、
 「火事、火事」
 と、外で騒ぎ立ててきた。部将たちが、杯をおいて、あわてかけるのを、曹仁は押し止めて、
 「兵卒どもが、飯を炊ぐ間に、あやまって火を出したのだろう。帷幕であわてなどすると、すぐ全軍に影響する。さわぐに及ばん」と、余裕を示していた。

 ところが、外の騒ぎは、いつまでもやまない。西、北、南の三門はすでにことごとく火の海だという。追々、炎の音、人馬の跫音など、ただならぬものが身近に迫ってきた。
 「あっ、敵だっ」 「敵の火攻めだっ」
 部将のさけびに曹洪、曹仁も胆を冷やして、すわとばかり出て見たときは、もう遅かった。
 城中はもうもうと黒煙に包まれている。馬よ、甲よ、矛よ、とうろたえ廻る間にも、煙は眼をふさぎ鼻をつく。 さらに、火は風をよび、風は火をよび、四方八面、炎と化したかと思うと、城頭にそびえている三層の殿楼やそれにつらなる高閣など、一度に轟然と自爆して、宙天には火の柱を噴き、大地へは火の簾を降らした。
わあっと、声をあげて、西門へ逃げれば西門も火。南門へ走れば南門も火。こはたまらじと、北門へなだれを打ってゆけば、そこも大地まで燃えさかっている。
 「東の門には、火がないぞ」
 誰いうとなく喚きあって、幾万という人馬がわれ勝ちに一方へ押し流れてきた。互いに手脚を踏み折られ、頭上からは火の雨を浴び、焼け死ぬ者、幾千人か知れなかった。
 曹仁、曹洪らは、辛くも火中を脱したが、道に待っていた趙雲にはばまれて、さんざんに打ちのめされ、あわてて後へ戻ると、劉封、糜芳が一軍をひきいて、前を立ちふさいだ。
 「これは?」と仰天して、白河のあたりまで逃げ去り、ほっと一息つきながら、馬にも水を飼い、将士も争って、河の水を口へすくいかけていたが、――かねて上流に埋伏していた関羽の一隊は、その時、遠く兵馬のいななきを耳にして、
 「今だ!」
 と、孔明の計を奉じて、土嚢の堰を一斉にきった。さながら洪水のような濁浪は、闇夜の底を吠えて、曹軍数万の兵を雑魚のように呑み消した。
渦まく水、山のような怒濤、そして岸うつ飛沫。この夜、白河の底に、溺れ死んだ人馬の数はどれ程か、その大量なこと、はかり知るべくもない。 堰を切り、流した水なので、水勢は一時的ではあった。しかしなお、余勢の激流は滔々と岸を洗っている。
 僥倖にも、曹仁、曹洪の二大将は、この大難から辛くもまぬかれて、博陵の渡口まで逃げてきたが、たちまち一彪の軍馬が道を遮断して呼ばわった。
 「曹軍の残兵ども、どこへ落ちてゆくつもりだ。燕人張飛がこれに待ち受けているのも知らずに」
 ここでもまた、潰滅をうけて、屍山血河を作った。曹仁の身もすでに危うかったが、許褚が取って返し、 張飛と槍を合わし、万死のうちから彼を救った。張飛は、大魚を逸したが、「ああ愉快、久しぶりで胸がすいたぞ。これくらい叩きのめせば、まずよかろう」
 と、兵を収めて江岸をのぼり、かねてしめし合わせてある玄徳や孔明と一手になった。

 そこには劉封、糜芳などが、船をそろえて待っていた。 玄徳以下の全軍が対岸へ渡り終ったころ、夜は白みかけていた。 孔明は、命を下して、
 「船をみな焼き捨てろ」と、いった。
 そして、無事、樊城へ入った。(206話)

―次週へ続く―