三国志(115) 帝、高祖の忠臣を羨望。 |  今中基のブログ

 禁苑の禽は啼いても、帝はお笑いにならない。
 簾前に花は咲いても、帝のお唇は憂いをとじて語ろうともせぬ。 きょうも終日、帝は、禁中のご座所に、物思わしく暮しておわした。 三名の侍女が夕べの燭を点じて去る。
 なお、御眉の陰のみは暗い。
 伏皇后は、そっと問われた。
 「陛下。何をそのようにご宸念を傷めておいで遊ばしますか」
 「朕の行く末は案じぬが、世の末を思うと、夜も安からず思う。……哀しい哉、朕はそも、いかなれば、不徳に生れついたのであろう」
 はらはらと、落涙されて、
 「――朕が位に即いてから一日の平和もなく、逆臣のあとに逆臣が出て、董卓の大乱、李、郭の変と打ちつづき、ようやく都をさだめたと思えば、またも曹操が専横に遭い、事ごとに、廟威の失墜を見ようとは……」

 共にすすり哭く伏皇后の白い御頸に、燭は暗くまたたいた。
 「政治は朝廟で議するも、令は相府に左右される。公卿百官はおるも、心は曹操の一顰一笑のみ怖れて、また、宮門の直臣たる襟度を持しておる者もない。――朕においてすら、身は殿上にあるも、針の氈に坐しているここちがする。――ああ、いつの日、この虐げと辱とからのがれることができるであろう。漢室四百余年の末、今ははや一人の忠臣もないものか。――朕が身を歎くのではないぞ。朕は、末世をかなしむのである」
 すると、御簾の彼方に誰やら沓の音がした。帝も皇后もはっとお口をとじた。――が、幸いに案じた人ではなかった。伏皇后の父の伏完であった。
 「陛下、お嘆きは、ご無用でございます。ここに伏完もおりまする」
 「皇父。……御身は、朕が腹中のことを知って、そういわるるのか」
 「許田に鹿を射る事――誰か朝廷の臣として、切歯しない者がありましょう。曹操が逆意は、すでに、歴々といえまする。あの日、彼があえて、主上を僭し奉って、諸人の万歳をうけたのも、自己の勢威を衆に問い、自己の信望を試みてみた奸策にまぎれなしと、わたくしは見ておりました」
 「皇父。ひそかに申せ。禁中もことごとく曹操の耳目と思ってよいほどであるぞ」
 「お案じ遊ばしますな。今宵は侍従宿直も遠ざけて、わずか忠良な者だけが遠くおるに過ぎませんから」
 「では、そちの意中をまずきこう」
 「臣の身がもし陛下の親しい国戚でなかったら、いかに胸にあることでも、決して口外は致しません」と伏完はここに初めて、曹操調伏の意中を帝に打明け、帝もまた、お心をうごかした。
 「――が、いかにせん、臣はもはや年も衰え、威名もありません。曹操を除くほどな者といえば、車騎将軍の董承しかないと思います。董承をお召しあって、親しく密詔を降し給わば必ず御命を奉じましょう」
 事は、重大である。秘中の秘を要する。
 ――が、深く思いこまれた帝は自ら御指をくいやぶって、白絖の玉帯へ、血しおを以て詔詞を書かれ、伏皇后にお命じあって、それに紫錦の裏をかさね、針の目もこまかに玉帯の芯に縫いこんでしまわれた。 次の日、帝は、ひそかに勅し給うて、国舅の董承を召された。
 董承は、長安このかた、終始かたわらに仕えてあの大乱から流離のあいだも、よく朝廷を護り支えてきた御林の元老である。
 「何ごとのお召しにや?」と、彼は急いで参内した。
 帝は、彼に仰せられた。
 「国舅。いつも体は健やかにあるか」
 「聖恩に浴して、かくの如く、何事もなく老いを養っております」
 「それは何よりもめでたい。実は昨夜、伏皇后と共に、長安を落ちて、李傕、郭汜など汜に追われた当時の苦しみを語りあい、そちの功労をも思い出して涙したが、考えてみると、今日まで、御身にはさしたる恩賞も酬わで過ぎた。――国舅、この後とも、朕が左右を離れてくれるなよ」
 「もったいない御意を……」
 董承は、恐懼して、身のおくところも知らなかった。
 帝はやがて董承を伴って、殿廊を渡られ、御苑を逍遥して、なお、洛陽から長安、この許昌と、三度も都を遷したあいだの艱難を何かと語られて、
 「思うに、いくたびか、存亡の淵を経ながらも、今日なお、国家の宗廟が保たれていることは、ひとえに、御身のような忠節な臣のあるおかげだ」
 と、しみじみいわれた。
 玉歩は、さらに、彼を伴ったまま大廟の石段を上がられて行った。帝は、大廟に入ると、直ちに、功臣閣にのぼり、自ら香を焚いて、その前に三礼された。 ここは漢家歴代の祖宗を祠ってある霊廟である。左右の壁間には、漢の高祖から二十四代にわたる世々の皇帝の肖像が画かれてあった。 帝は、董承にむかって、
 「国舅――。朕が先祖は、いずこから身をおこして、この基業を建て給うたか。朕が学問のために、由来をのべられい」と、襟を正して下問された。
 董承は、おどろき顔に、
 「陛下。臣に、いささか、おたわむれ遊ばすか」と、身をすくめた。
 帝は、ひとしお厳粛に、
 「聖祖の御事。かりそめにも、たわむれようぞ。すみやかに説け」
 董承はやむなく、
 「高祖皇帝におかれましては、泗上の亭長に身を起したまい、三尺の剣をさげて、白蛇を㟐蕩山に斬り、義兵をあげて、乱世に縦横し、三年にして秦をほろぼし、五年にして楚を平げ、大漢四百年の治をひらいて、万世の基本をお建て遊ばされたことは、――臣が改めて申しあげるまでもなく、児童走卒といえどもわきまえぬはございません」と、述べた。

 帝は、自責して、さんさんと御涙をたれられた。
 「……陛下。何をそのようにお嘆きあそばすか」
 董承が、畏る畏る伺うと、帝は嘆息していわれた。
 「今、御身の説かれたような先祖をもちながら、子孫には、朕のごとき懦弱なものが生れたかと思うて、朕は朕の身をかなしむのである。……国舅、さらに説いて、朕に訓えよ。してまた、その高祖皇帝の画像の両側に立っている者は、どういう人物であるか」
 何か深い叡慮のあることとは、董承にもはや察しられたが、帝のあまりにもきびしい御眼ざしに身もこわばって、彼はにわかに唇も動かなかった。壁の画像をさして、帝は、重ねて董承の説明を求められた。――高祖皇帝の両側に侍せるはそも如何なる人か、と。董承は謹んで答えた。
 「上は張良。下は蕭何であります」
 「うム。して張良、蕭何のふたりは、どういう功に依って、高祖のかたわらに立つか」
 「張良は、籌を帷幄の中にめぐらして、勝ちを千里の外に決し、蕭何は国家の法をたてて、百姓をなずけ、治安を重くし、よく境防を守り固めました。高祖もつねにその徳を称せられ、高祖のおわすところ必ず二者侍立しておりましたとか。――ゆえに後代ふたりを以て建業の二功臣とあがめ、高祖皇帝を画けば、必ずその左右に、張良、蕭何の二忠臣を書くこととなったものでありましょう」
 「なるほど、二臣のような者こそ、真に、社稷の臣というのであろうな」
 「……はっ」董承は、ひれ伏していたが、頭上に帝の嘆息を聞いて、何か、責められているような心地に打たれていた。

 帝は、突然、身をかがめて董承の手をおとりになった。はっと、董承が、恐懼して、うろたえを感じていると、低いお声に熱をこめて、
 「国舅。御身も今からはつねに、朕がかたわらに立って、張良、蕭何の如く勤めてくれよ」
 「畏れ多い御意を」  
 「否とか」
 「滅相もない。ただ、臣の駑才、何の功もなく、いたずらに侍側の栄を汚すのみに終らんことをおそれまする」
 「いやいや、往年長安の大乱に、朕が逆境に浮沈していた頃から卿のつくしてくれた大功は片時も忘れてはいない。何を以て、その功にむくいてよいか」
 帝は、そう宣いながら、みずから上の御衣を脱いで、玉帯をそれに添え、御手ずから董承に下賜された。(115話)

― 次週へ続く ―