三国志(114) 曹操、帝の前に武権の誇示 |  今中基のブログ

 程昱は、がかさねて進言する。「しかし、今、呂布も亡んで、天下は震動しています。雄略胆才もみな去就に迷い、紛乱昏迷の実情です。この際、丞相が断乎として、覇道を行えば……」
 と、なお云いかけると、曹操は細い鳳眼をかっとひらいて、
 「めったなことを口外するな、朝廷にはまだまだ股肱の旧臣も多い。機も熟さぬうち事を行えば自ら害を招くような結果を見よう」と、声を以て、彼の声を抑えつけた。
 けれど曹操の胸に、すでにこの時、人臣の野望以上のものが、芽を萌していたことは争えぬ事実だった。――彼は、程昱に口をつぐませて、自分もしばらく沈思していたが、やがて血色の醒めた面をあげ、常の如き細い眸にたる光をひそめながら独りつぶやいた。
 「そうだ。ここ久しく戦に忙しく、狩猟に出たこともない。天子を許田の猟に請じて、ひとつ諸人の向背を試してみよう」
 急に、彼は思い立った。――犬や鷹の用意をして兵を城外に調え、自身宮中に入って、帝へ奏上した。
 「許田へ行幸あって、親しく臣らと共に狩猟をなされては如何ですか。清澄な好日つづきで、野外の大気もひとしおですが」
 帝は、お顔を振って

 「猟へ出よとか。田猟は聖人の楽しみとせぬところ。朕も、それ故に、猟は好まぬ」

 「いや、聖人は猟をしないかもしれませんが、いにしえの帝王は、春は肥馬強兵を閲、夏は耕苗を巡視し、秋は湖船をうかべ、冬は狩猟し、四時郊外に出て、民土の風に親しみ、かつは武威を宮外に示したものです。おそれながら、常々、深宮にのみ御座あっては、陛下のご健康もいかがかと、臣らもひそかに案じられてなりません。――かたがた、天下はなはだ多事の折でもあり、陛下のみならず公卿たちも、稀には、大気に触れ、心身を鍛え、宏濶な気を養うことが刻下の急務かと考えられますが」
 帝は、拒むお言葉を知らなかった。曹操の実力と強い性格とは、形や言葉でなく、何とはなしに帝を威圧していた。
 「……では、いつか行こう」
 お気のすすまない容子ながら、帝は、行幸を約束された。何ぞ知らん、すでに兵車の用意は先に出来ていたのである。帝は、曹操の我意に、人知れず、眉をふるわせられたが、ぜひなく、
 「さらば、劉皇叔も、供して参れ」と、にわかに詔して、御手に彫弓をたずさえ、逍遥馬に召されて宮門を出られた。
 今朝方から、曹操の兵が城外におびただしく、禁門の出入りも何となく常と違うので、早くから衛府に詰めていた玄徳は、それと見るや、自身、逍遥馬の口輪をとって、帝のお供に従った。
 関羽、張飛、その余の面々も、弓をたばさみ、戟を擁し、玄徳と共に、扈従の列に加わった。 御猟の供は十万余騎と称えられた。騎馬歩卒などの大列は、蜿蜒、宮門から洛内をつらぬき、群星地を流れ、彩雲陽をめぐって、街々には貴賤老幼が、蒸されるばかりに蝟集していた。
 「あれが、劉皇叔よ」 などと、警蹕のあいだにも、ささやく声が流れる。
 この日。曹操は、「爪黄飛電」と名づける名馬にまたがって、狩装束も華やかに、ひたと天子のお側に寄り添っていた。その曹操が前後には、彼の股肱とする大将旗下がおのおの武器をたずさえ、豪歩簇擁、尺地もあまさぬばかり続いて行くので、朝廷の公卿百官は、帝の側近くに従うこともできなかった。はるか後ろのほうから甚だ手持ち不沙汰な顔を揃えて歩いていた。
 かくて御料の猟場に着くと、許田二百余里(支那里)のあいだを、十万の勢子でかこみ、天子は、彫弓を御手に、駒を野に立てられ、玄徳をかえりみて宣うた。
 「皇叔よ。今日の猟を朕のなぐさみと思うな。朕は、皇叔が楽しんでくれれば共に嬉しかろう」
 玄徳は恐懼して「おそれ多いことを」と馬上ながら、鞍の前輪に顔のつくばかり、拝伏した。
 ところへ、勢子の喊声におわれて、一匹の兎が、草の波を跳び越えてきた。
 帝は、眼ばやく「獲物ぞ。あれ射てとれ」と、早口にいわれた。

 「はっ」と玄徳は馬を飛ばして逃げる兎と併行しながら、弓に矢をつがえてぴゅっんと放した。
 白兎は、矢を負って、草の根にころがった。帝は、その日、朝門を出御ある折から、始終、ふさぎがちであった御眉を、初めてひらいて、「見事」と、玄徳の手ぎわを賞し、
 「彼方の丘を巡ろうか。皇叔、朕がそばを離れないでくれよ」
 と堤のほうへ、先に駒をすすめて行かれた。すると、一叢の荊棘の中から、不意にまた、一頭の鹿が躍りだした。帝は手の彫弓に金ひ箭(きんひせん)をつがえて、はッしと射られたが、矢は鹿の角をかすめて外れた。
 「あな惜しや」
 二度、三度まで、矢をつづけられたが、あたらなかった。
 鹿は、堤から下へ逃げて行ったが、勢子の声におどろいて、また跳ね上がってきた。
 「曹操、曹操っ。それ射止めてよ」
 帝が急きこんで叫ばれると、曹操はつと馳け寄って、帝の御手から弓矢を取り、それをつがえながら爪黄馬を走らすかと見る間に、ぶんと弦鳴りさせて射放った。
 矢箭は飛んで鹿の背に深く刺さり、鹿は矢を負ったまま百間ばかり奔って倒れた。
 公卿百官を始め、下、将校歩卒にいたるまで、矢の立った獲物を見て、いずれも、帝の射給うたものとばかり思いこんで、異口同音に万歳を唱えた。
 万歳万歳の声は、山野を圧してしばし鳴りも止まないでいると、そこへ曹操が馬を飛ばしてきて、
 「射たるは、我なり!」
 と、帝の御前に立ちふさがった。
 そして彫弓金矢を諸手にさしあげ群臣の万歳を、あたかも自身に受けるような態度を取った。
 はっと、諸人みな色を失い興をさましてしまったが、特に、玄徳のうしろにいた関羽の如きは、眼を張り、眉をあげて、曹操のほうをくわっとにらめつけていた。その時、関羽は「人もなげな曹操の振舞い。帝をないがしろにするにも程がある!」と、口にこそ発しなかったが、怒りは心頭に燃えて、胸中の激血はやみようもなかったのである。
 無意識に、彼の手は、剣へかかっていた。玄徳ははっとしたように、身を移して、関羽の前に立ちふさがった。そして手をうしろに動かし、眼をもって、関羽の怒りをなだめた。
 ふと、曹操の眸が、玄徳のほうへ動いた。玄徳は咄嗟に、ニコと笑みをふくんでその眼に応えながら、
 「いや、お見事でした。丞相の神射には、おそらく及ぶ者はありますまい」
 「はははは」 曹操は高く打笑って、
 「お褒めにあずかって面はゆい。予は武人だが、弓矢の技などは元来得手としないところだ。 予の長技は、むしろ三軍を手足の如く動かし、治にあっては億民を生に安からしめるにある。 ――さるを奔る鹿をもただ一矢で斃したのは、これ、天子の洪福というべきか」
 と、功を天子の威徳に帰しながら、暗に自己の大なることを自分の口から演舌した。
 それのみか、曹操は、忘れたように、帝の彫弓金矢箭を手挟んだまま、天子に返し奉ろうともしなかった。
 猟が終ると、野外に火を焚き、その日、獲たところの鳥獣の肉を焙って、臣下一統に酒を賜わったが、何となく公卿百官のあいだには、白けた空気がただよって、そこに一抹の暗影を感じないわけにはゆかなかった。
 やがて、帝には還御となる。
 玄徳も洛中に帰った。その後、彼は一夜ひそかに、関羽を呼んで、
 「いつぞやの御猟の節、何故、曹操に対して、あのような眼ざしを向けたか。誰も気づかぬ様子であったからよいが、近頃、其方にも似合わぬ矯激な沙汰ではないか」と、戒めた。
 関羽は、頭を垂れて、神妙に叱りをうけていたが、静かに面をあげて、
 「ではわが君には、曹操のあの折の態度に、何の感じもお抱きになりませんでしたか」
 「そんなこともないが」
 「私はむしろ、わが君が、何で私を制止されたか、お心を疑うほどです。この許昌の都に親しく留まって以来、眼にふれ耳に聞えるものは、ことごとく曹操の暴戻なる武権の誇示でないものはありません。彼は決して、王道をまもる武臣の長者とはいえぬ者です。覇気横溢のまま覇道を行おうとする奸雄です。その野心をはや露骨にして、公卿百官を始め、十万の将士を前に、上を冒し奉り、上を立ちふさいで、自身が臣下の万歳をうけるなどという思い上がった態を見ては、余人は知らず、関羽は黙止しておられません。……たとえ如何ようなお咎めをうけるとも、関羽には忍び難うて、この身がふるえます」

 「もっともなことだ……」 玄徳は、うなずいた。幾たびも同感のうなずきを見せた。
 「――だが関羽。ここは深慮すべき秋ではないか。鼠を殺すのに、手近な器物を投げつけるとする。鼠の価値と、器物の価値とを、考え合わす必要があろう。われら、義兄弟の生命は、そんな安価なものではない筈だ。もしあの折、かりにそちが目的を仕遂げたところで、彼には十万の兵と無数の大将がひかえている。われらも共に許田の土と化さねばなるまい。そしてまたまた大乱のうちから、次の曹操が現われたら何にもならないことになるではないか。――張飛なら知らぬこと、其方までがそんな短慮では困る。夢、ことばの端にも、そんな激色を現わしてはならぬ」
 諄々と説かれて、関羽はかえすことばもなかった。
 しかし彼は、独り星夜の外に出ると、長嗟して、天へ語った。
 「今日あの奸雄を刺さなければ、やがて明日の禍いとなるは必定だ。 誓っていう!天下の乱兆は、さらに、曹操が生きてゆくほど大になろう!」(114話)

―次週へ続く―