劉邦、項羽に哀訴する。范増は好機とばかり酒宴で殺害を謀るも張良・樊噌に阻まれる。 |  今中基のブログ

 翌朝、劉邦は馬車で覇上を出た。
車内で陪乗する者は小男の張良であり、馭者台の横にすわっているのは、樊噌であった。樊噌は岩のような肉体を上等の甲冑でつつんでいた。
 樊噌は、(きょう、おれは死ぬだろう)と、覚悟していた。あきらめと、それ以上に積極的な烈しさが樊噌の五体に漲っていた。樊噌は人間として不必要すぎるほどに強靭な筋骨と生きてゆくうえで邪魔になるほどの感激性を持ち合わせて成人してしまった。ただ体が大きいわりには欲望がすくなく、沛の町 狗肉売りをしていたときも、変に無欲だった。淋しがりでもあった。劉邦を知ったときから劉邦について歩きたがり、劉邦のそばにさえいれば多量に持っているその淋しさの感情がまぎれるらしく、ついには劉邦がいないとこの世で生てゆく気もしなくなるほどにまでなった。
 劉邦は車中でその長い上体を揺れさせている。
 「夕べは、眠れなかった」と、劉邦は肩を落とし、張良にいった。血の気のない顔が、頭からぶらさがったようにして揺れている。
 (秦を滅ぼしたのは、おれではない)

 劉邦はごくあっさりと、そう思っていた。
 項羽が河北で秦の主力軍を引付けておいてくれたお陰で、自分は河南へ南下し、関中に入ることができた。功の九割までは項羽に帰せられるべきだということは劉邦もよくわかっていたし、関中にまず入った自分を項羽が怒っている気持も分かってい る。
 劉邦は、入口に近い下座をえらび、膝を屈して頭を垂れた。
やがて項羽が多数の幕僚を従えて入ってくるや、咆えるようにして罵倒した。項羽はこの勢いをもってみずからの手で劉邦を斬るつもりだった。
 「劉邦、お前には無数の罪がある。とりわけ函谷関で防戦したこと、咸陽にあっては秦の子嬰の始末(許したこと)を上将たるわしに上中することなく独断でやったこと、さらには勝手に秦の法を変え劉邦の法を布いたこと、この三つにつき言い開きができるか」、と項羽は怒鳴った。

 劉邦は這いつくばっている。項羽の鞜のさきを舐めるようにして顔を垂れ、声をふるわせながら、その一々の本意を言い、すべては大王(項羽)のために、さらには大王に関中を引渡すためにやったことで、この劉邦めに、どういう他意がございましょう、と申し開きした。
 (こんな男だったのか)

 と、項羽は劉邦の哀訴する姿をみて、一時に気勢を殺がれてしまった。劉邦はさらに床に顔をこすりつけながら、自分は大王のために力を尽くして攻め、ようやく秦を破りましたが、このように大王に思わぬ疑心を持たせたことは劉邦の不徳とはいいながら、おそらく小人の中傷があったのでございましょう、というと、項羽は潮が退いてゆくようにしずかになり、「中傷?」 劉邦の言葉を素直に受けてしまった。
 「中傷したのは、曹無傷という男だ」と、劉邦麾下の裏切り者の名まで明かした。明かすということは、項羽の感情が劉邦への好意に一転したことともいえるかもしれない。
 (左司馬の曹無傷か)

劉邦の奇妙さは、その男に憎しみなしにおもったことであった。中傷というより、実情ではないか。ふたたび項羽の声が落ちてきた。
 「でなければ」と、いう。密告がなければ、という意味である。
 「わしが公を」疑うはずがない、と項羽はいった。その声が遠ざかってゆくのを、劉邦は床を舐めながら、全身で感じた。物はいったん去ったが、安堵はできなかった。ただ劉邦は僅かに頭をあげようとした。
 「沛公よ」

 項羽が再び言ったため、劉邦は音が鳴るほどに頭で床を叩いた。
 「疾う、席につかれよ」項羽の声が、優しくなった。
 その時、項伯が現れて、劉邦の手をとった。酒宴の支度がされた。
酒宴では、項羽は東面した。おじの項伯を陪席させておなじく東面させたのは、劉邦との縁を項伯がとりもったことによるものであった。項伯が項羽陣営の次席的な要人であるというわけではない。項伯をそこに陪席させたということが、項羽の劉邦への感情の好転と受取れないことはなかった。
 亜父范増が、項羽陣営の最重要人物であった。かれは痩身をひそひそと移し、南面してすわった。劉邦には北面の席があたえられている。自然、范増とむかいあうようになった。この位置は、位置だけで すでに劇的であったといっていい。張良は劉邦がつれてきた唯一の陪席者であった。かれは貴婦人が微風に吹かれて夕涼みでもしているような静かな表情で、あたえられた西面の席に坐っていた。
 范増は少食なのか、老いているせいなのか、やわらかいものを二、三きれ口に運んだきりで、あまり 箸を動かさない。項羽は、大いに食い、小石のような歯で盛んに咀嚼した。この男の大きな体に詰めこまれた重い筋肉を養うためには、なみたいていの摂取量では間にあわないようであった。 
大いに飲みもした。目の前の多種類の酒器が、みるみる、からになった。
 劉邦も、その欲望のつよさに比例するように生来の大啖いであったが、この日はただ皿の上に箸を游がせていることのほうが多い。
 (ばかなやつだ)

 范増は、腹が立った。劉邦に対してではない。范増はすでに項羽が、気組みを挫かれたことにいらだっていた。劉邦が、もし威儀を正し、自尊心を保ちつつやってくれば、項羽の剣は劉邦を斬るべく騰ったであろう。項羽は抗う相手や昂然と頭を持ちあげている相手には火のような猛気を発するが、劉邦は入ってきた早々に五体を地に投げて哀を乞うた。項羽は、拍子を失ってしまった。
 (狡猾な劉邦は、項羽の気性を知っている。出鼻をくじいたのだ)
 范増は、そのことも予想していた。第二段として、酒宴で殺しなされ、と項羽に献策してある。いまが好機だ、というときに自分は腰の玦を鳴らす、それが合図です、すかさずに大王は慢幕のそとの剣士に命じられよ、と言いふくめてあった。やがて范増は、好機だと見た。球を何度も鳴らした。が、項羽は大きな口へ盛んに肉を運ぶのみで無視した。もはや殺す気がなくなっていた。かれは劉邦の弁疏を信じたわけではなく、第一、弁疏の内容など碌に聞いてないし、憶えてもいない。
 項羽は本来、視覚的印象で左右された。すでに劉邦を見た。その体全体が、寒夜の病犬のようになってしまっている劉邦にその本質を項羽なりに見て、こんな隣れな奴をおれが殺せるかと思った。その思いが続き、宴席で北面している劉邦の姿を見ても印象が少しも変わらない。むしろ范増が合図をする玦の音がわずらわしかった。
 范増はたまりかねた。慢幕のそとに出ると、人をさがした。
「荘、荘」と、闇にむかって、犬をよぶようなひそやかな声を立てた。すぐ見つかった。護衛隊長格の項荘であった。項羽のいとこのひとりで、将帥にはむかないが、機敏で力があり、項羽の身辺を護る男としては最適といえた。范増がこの若者を気に入っていたのは、項羽以上に自分の志が分かってくれていることだった。この項荘にだけは秘策をさずけておいた。

---百策ことごとく水泡に帰すれば、あとは尊公の一剣に頼る以外にない。
余興に剣舞を見せてそのすきに劉邦を刺せ、ということだった。項荘は剣技に長じていたが、それ以上に剣の舞がうまかった。     <この宴を鴻門の会という>

 尊公が殺るなら、大王(項羽)も許す。いとこであるということでむしろ他の者に尊公の勇を誇ってくれるだろう、と范増は言いふくめた。
 項荘は宴席に入り、中央に向かってすべるように進み出た。項羽のいとこであるというので、この出現は劉邦からみても異様ではなかった。
 「沛公の寿をことほぐために、ひとさし剣の舞を舞いましょう」

 と、項荘は優雅にあいさつし、剣を抜いた。劉邦はもう息を出し入れしているのが精一杯だった。やがて項荘は白刃をゆるやかに動かして舞いは じめた。視線はときに他へ転ずるが、節目ごとにするどく劉邦へ注がれた。このとき杯を置いて立ちあがったのが、錆びた鉄の面のような顔をした項伯だった。
 「舞手が一人では、剣の舞になるまい」

 と言い、するすると中央を半ば廻って剣を抜き、項荘に合わせて舞い始めた。項荘が突進しようとする気配を見せると、おじの項伯は巧みに劉邦の前に立って庇った。(が、いつまでかばいきれるか)張良は、おもった。
 (もはや、何の策もない。あとは、樊噌の勇気に頼るのみだ)

 張良は思い、中座した。
 急ぎ軍門へ出ると、門外を塞ぐようにして樊噌が左肘に盾を抱え、立ちはだかっていた。張良は事の急迫を告げ、「卿の死ぬ時がきた」といった。聞くと同時に樊噌の巨大な肉体が門内へ突入。護衛兵が阻もうとしたが、盾で押しとばし、慢幕の中に入った時、誰もがそこに雷電が落ちたような感じをうけた。樊噌は立ちはだかったまま正面の項羽を睨み据え「自分は大王を尊敬してきました。しかしそれは間違いだった」と轟くような声をあげた。生来訥弁の男だったが、人変わりしたように言葉が次々と噴きあげ、大王は沛公の大王への誠実が何故わからないのか、その忠良に報いるに誅殺をもってするなら天下の人心は大王から離れるだろう、という意味のことを叫びに叫んだ。項羽の反応は異様だった。大いに膝を打ち、名は何というか、と朗らかな声で聞いた。
 「誰か、この者のために座と肉をあたえよ」といったのは、よほど気に入ったからであろう。項羽は、陰気にうずくまっている劉邦や張良を見てこの宴に飽きてきたところだっただけに、この意外な役者が炸裂するようにして空気を一変させてくれたことを喜んだ。その上、項羽は自分自身がそうであるようにこういう種類の男が好きであった。好きだが、この種の勇者は鬼と同様、滅多に見かけることがない。であるのに、奨噌が項羽のふるえるほど好きなその典型をみごとに演じてくれたのである。

 「壮士だ。これこそ壮士だ」

 おれはいま壮士を確かに見ている、という言葉を繰返した。壮士という言葉はこの時代は戦慄するほどに新鮮な言葉とされた。戦国期をへた社会が、きわめて稀少な一典型として生んだ精神で、僅かな義と侠のために即座に己の生命を断つ若者のことをいう。

 張良は、この綱渡りが半ば以上過ぎたと思った。智も略も何もかもが及ばなくなったとき、世の論理からまったく外れた非条理のしろもの項伯といい、樊噌といいこれらを大地に敲きつけて閃光を発する以外に手がない。そうすれば、あるいは劉邦は助かるかもしれなかった。樊噌のために宴席に混乱が起こっている。これを機に劉邦は席を外した。誰もが側へ立つのかと思った。が、劉邦は遁走してしまった。
 あとは、張良がとりつくろった。かれは劉邦からあずかった贈り物---項羽には白壁一対、范増には玉斗(さかずき)一対---をさしだし、優雅に作法しつつ辞去した。そのあと、客の帰った宴席で、范増ひとりが形相を変えて立っていた。やがて剣を抜き、贈られた玉斗を叩き割り、「小僧(項羽)」と、すでに席にいない項羽を罵った。




                      ―次週へ続く―