外国人追放令は韓、魏,斉,楚、燕、趙、宋、衛より来た者。宰相呂不韋も故国は衛である。 |  今中基のブログ

 秦国はかねてより壮大な規模の水利プロジェクトを進行させていた。それは大用水路を建造することであった。その用水路は中山からスタートし、 北山を突き抜けて巡り、真っ直ぐに離日に至る、三百余里も長々と続いて絶えない塗河の水を引いて 東は洛水に注ぎ、その水で千敵(約二三万ヘクタール)の荒地を灌漑するというものであった。工事は すでに十年の長きにわたって進行しており、資金の消費額は巨大であったが、ようやく工事は完成しそうなところまできた。宰相呂不韋は百官を代表して奏上し、秦王が都合のよい時に、大用水路を視察して、そのために命名していただきたいと願い出た。
 呂不韋は長らく朝廷で立っておらず、加えて年が老いてきたので、立っていくらも経たないうちに、 すぐ両腿がだるくなってきた。すこし早く退出し、帰って休みたかったのだが意外にも、秦王はこの項目の水利プロジェクトに対してすこぶる興味を持ち、面倒がらずに、しきりに細部にいたるまで質問してきた。

 「この用水路は、最初なにびとが建造することを提案したのか?」 「技師の鄭国でございます。」呂不韋は答えて言った。「その後、先王に報告しご同意を経て、小臣が 批准し、全国の重点プロジェクトに並べました。」 秦王はそれを聞いて、何も言わず、また尋ねた。 「この用水路は何人が設計したのか?」 「やはり鄭国でございます。設計から施工まで、みな彼一人が責任を負っております。十数年来、工事現場で生活し、一日の休日さえも休んだことはありません。」呂不韋は答えた。

 秦王はしばらく深く考えて、また尋ねた。 「それでは、この鄭国はいずこの人物か?」 「大王に申し上げます。」 呂不韋は雰囲気が少し好くないと感じたが、それでも辛抱し釈明して言った。 「鄭国は元は韓国の水利専門家でありまして、十年前、先王の徳政の感化を受けて、韓国の高給出世の好待遇を放棄して、毅然として秦に来て、我々のために力を尽くしております。長年来、彼はひたすら用水路プロジェクトに専念し、誠心誠意、刻苦勉励し、苦しみに耐えて、怨みも悔いもせず、技師のモデルということができましょう。老臣は昨日すでに鄭国を現場から呼び寄せておりまして、大王にご下問いただく用意をしております。鄭国は今宮殿の外で命令を待っております:。」 「宰相は間違っておるぞ!」秦王の顔色はいきなり陰鬱になって、大声で呂不韋の話を打ち切った。
「ここには陰謀があるぞ!」     
 呂不韋は心中びっくりして、秦王が激怒する理由が一瞬瞬分からなかった。
秦王は立ち上がって玉座の前を興奮して行ったり来たりし嗄れ声で激しく詰責して言った。 「宰相はまさか見破れなかったのではあるまいな?これは韓国の、秦を疲弊させる計略なのである。 用水路を建造する名目をもって、我をして国民に苦労をかけ国民の財物を傷めさせ、国力を使い尽く させ、経済を破綻させることで、我が六国を征伐し、天下を統一する基本戦略を破壊することを主旨としている。この鄭国は、朕の見るところによれば、必ずや韓国が派遣してきたスパイである。おーい誰か !彼を朕の所へ連れてこい!」
 ほどなく、二人の尉官がまさしく一羽のひよこを引っ張り出すように、インテリ風の人物を引っ張ってきて御殿に上げた。その人物は身体がひょろひょろに痩せていて、着物の重さにさえ耐えられないかと思うくらいに弱々しく、容貌は暗黒色で栄養不良のようであった。いくらよく見ても壮大な水利プロジェクトを指揮する技師のようでもなく、また厳格な訓練を受けた課報員のようでもなかった。

 秦王は冷ややかな目で、この鄭国と呼ばれる人物をじろじろと見て、また話もせず、すぐ命令して 言った。 「引っ張っていって、取り調べろ!」 宰相呂不韋はかたわらでこのすべてをよくよく見ながら、いたしかたなしという様子であった。 しばらくして、尉官が戻ってきて報告した。 「鄭国は、用水路の工期が多少遅れており計画が行き届かず、督促が弱い責任は認めました。しかし自分が韓国のスパイであることを認めることは承知しません。」
 「刑を加えて、もう一度取り調べよ!」 またしばらく経って尉官が再び戻ってきて報告した。 「鄭国はすべて白状しました自分は韓国が派遣したスパイであり一味であると。用水路の建造は秦を疲弊させる計略であることを認めました。彼は大王に拝謁し少し話したいことがあると求めております。」秦王は考えてみて言った。「彼を連れてこい。」 数人の尉官がすぐ血だるまになった人物を引きずってきた。あの本来はやせ細った鄭国が殴られて 頭はふくれ顔は腫れて太って見え、容貌はまったく一変していた。彼は全身が血で汚れ、地面に伏してしびれて動かずしばらく喘いでいたが、ようやくなんとか身を支えて、秦王に向かって話した。 

 「小臣は申し上げねばならぬことがあります。」鄭国はその痩せて弱々しい身体から出せるような声で、途切れ途切れではあったが、一言ごとに高らかではっきりと、「小臣は他でもなく、韓国より派遣されて、秦を疲弊させる計略を実行するスパイであるということになると思います。しかし用水路の建造は、今の時代に役立ち、功績は千秋に残る事業であります。建造が完成した後は、良田万畝に水を流し込むことができ、利益を受けるのは秦国の国民大衆です。用水路はまもなく完工しますので、絶対に中途で止めてはなりません。さもなければ千古に恨みを遺します。用水路が竣工さえすれば、私鄭国は死すとも恨みに思うことはありません。大王が熟慮されることを望みます!」
 秦王はこれを聞いて、また何も言わずに人を呼んで鄭国を連れて行き監禁しておくよう命じた。その時、鄭国はすでに気が遠くなり死んでいた。
 「諸子は警戒せねばならないぞ。」秦王は玉座に戻って坐り、階下にいる百官に対して教え導く話をし たが、目は前列に巫っている宰相呂不韋を見ていた。「各国からきて秦に仕える者は、だいたい各諸侯が派遣してきたスパイである。名目は秦国に力を尽くすためではあるが、実際は他でもなくそれぞれ の主君のために、仲を裂く活動に従事している。咲は客を追い出すことを決定し、外国からきた一切 の人員すべてを秦国から追い出す。宰相はいかが考えるかな?」


 呂不韋はこのときすでに疲れて両足がくたになっていた。だが腹の虫が治まらずむかついて、何か発言しようとしたがやはり辛抱し、秦王の下問に対してこう言っただけであった。  「大王はご明察であります。」

  数日後、秦王の<外国人追放令>が正式に発表され、公告もまた街中いたるところに貼り付けられた。呂不韋は官邸の中の近習を呼んで一部捜してこさせ、通告文を一字一句斟酌しだした。彼は「各国の来客で秦に尽くす者は、たいていその主君のため思うままに秦を離間するのみである。即日より、 一律に追放するべきこと。その来歴が韓、魏,斉,楚より、さらに燕、趙、宋、衛より来た者を問わない。」の数句を読み至った時、心中緊張し、事態がそんなに簡単ではないことを知った。なぜならその通告文は明らかに、彼の故国衛国を指摘する意図が隠されていたからである。
 突然、彼は疑いを持ち始めた。この邯鄲の子供は帰するところ自分の種であったのかどうか? 半月後、秦王は語令を下し、呂不韋の宰相の職を解いた。そして重ねて語ったことには、先王に仕えた功績は大であるとして、領国洛陽に帰ることを許すということであった。