「劉貴」、を矢倉から蹴落したものはたれか」
占領後、玄徳がただすと、
「――武陽の人張翼、字は伯恭《はっきょう》というものです」
と、侍側から申達した。すなわち謁を与えて、玄徳は、張翼を重く賞した。 雒城の市街は、平静にかえった。避難した民も城下へぞくぞく帰ってきて、
「やれやれ、ありがたいお布令が出ている」
と、高札を囲んで、新しい政道を謳歌した。
孔明は、微行して、一巡城下の空気を視察してもどると、
「ご威徳はよく下まで行き渡ったようです。この上は、成都の攻略あるのみですが、功を急いで、足もとを浮かしてはなりません。まず隹城を中心として、附近の州郡にある敵性を馴ずけ、悠々成都に迫るもおそくないでしょう」と、玄徳へいった。
「いかにも」
と、玄徳も同じ気もちであったとみえ、すなわち隊を分って、各地方へ宣撫におもむかせた。
すなわち、厳顔、卓膺には張飛をつけて、巴西から徳陽地方へ。
また張翼、呉懿には、趙雲を添えて、定江《ていこう》から特為《けんい》地方へやった。それらの諸隊が、地方宣撫の効をあげている間に、孔明は、降参の一将を招いて、成都への攻進を工夫していた。
「この雒城から成都までのあいだに、どういう要害があるかね」
降参の将がいう。
「まず、要害といっては、綿竹関が第一の所でしょう。そのほかは、往来を検《あらた》める関所の程度で、取るに足りません」
そこへ、法正が来た。法正も早くから内応して、玄徳の帷幕に参じている者なので、蜀の事情には精通している。
「いずれ後には、成都の人民はご政下につくものです。その民を驚かし、苛烈な戦禍におびえさせることは好ましくありません。まず、四方に仁政を示し、徐々恩徳をもって、民心を得ることを先とすべきでしょう。 一方それがしから書簡をもって、よく成都の劉璋を説きます。劉璋も、民の離れるのをさとれば、自然に来て降るにちがいありません」
「貴下の言は大いによい」
孔明は法正の考えを、非常に賞揚し、その方針によることにきめた。 一方、成都のうちは、いまにも玄徳が攻めてくるかと、人心は動揺してやまず、府城の内でも恟々と対策に沸騰していた。
太守劉璋を中心に、
「いかに、防ぐか」の問題が、今日も軍議され、その席上で従事鄭度は、熱弁をふるって演説した。
「国家の急なるときは、自然、防禦の力も数倍してくる。官民一致難に当るの決意をもてば、長途遠来の荊州軍など何の怖れるほどのことがあろう。いかにここまでは、彼の侵略が功を奏してきたにしても、占領下の蜀の民は、まだ心から玄徳に服しているのではない。今、巴西《はせい》地方からすべての農民を追って、ことごとく、涪水以西の地方へ移してしまい、それらの部落には鶏一羽のこすことなく、米穀は焼きすて、田畑は刈り、水には毒を投じ、以て彼らがこれに何を求むるも、一飯の糧《かて》もないようにしておけば、おそらく彼らは百日のうちに飢餓困憊をさまようしか道を知らないであろう。――そして成都、綿竹関の二関をかため、夜となく昼となく、奇策奇襲をもって、彼を苦しめぬけば、おそらくこの冬の到来とともに、玄徳以下の大軍は絶滅を遂げるにちがいないと考える。いやそう信じる。諸公のお考え如何あるか」
たれも黙っていた。すると、太守・劉璋が、
「むかしから、国王は、国をふせいで民を安んずるということは聞いておるが、まだ、民を流離させて敵を防ぐということは聞いたことがない。それはすでに敗戦の策だ。おもしろくない」
と、いつもに似げない名言を吐いて、鄭度の策を否決した。
するとそこへ、法正から正式の書簡が来た。書中には、大勢を説いて、いまのうちに玄徳と講和するの利を弁じ、また、そうして、家名の存続を保つことの賢明なことをすすめてあった。
「国を売って敵へ走った忘恩の徒が、何の面目あって、わしにこの醜墨《しゅうぼく》をみずから示すか」
劉璋は怒って、法正の使いを斬ってしまった。
直ちに、綿竹関の防禦へ、増軍を決行し、同時に、家臣董和《とうか》のすすめをいれて、漢中の張魯へ、急使を派遣した。背に腹はかえられぬと、ついに、危険なる思想的侵略主義の国へ泣訴《きゅうそ》して、その援助を乞うという苦しまぎれの下策に出たのであった。
忽然と、蒙古高原にあらわれて、胡夷《えびす》の猛兵をしたがえ、隴西《ろうせい》(甘粛省)の州郡をたちまち伐り奪って、日に日に旗を増している一軍があった。 建安十八年の秋八月である。この蒙古軍の大将は、さきに曹操に破られて、どこへか落ちて行った馬騰将軍の子馬超だった。
「父の仇、曹操を亡くさぬうちは」と、馬超はあれ以来、蒙古族の部落にふかくかくれて、臥薪嘗胆、今日の再興に励んできたのであった。
「何度でも再起する。曹操の首を見るまでは、倒るるもやまじ」
とする意気があるので、征《ゆ》くところ草を薙《な》ぐように、敵を風靡し、この軍団は、強大になった。ところが、ここに冀県の城一つだけが、よく支えて、容易に抜けない。
城の大将は韋康という者だった。韋康は、長安の夏侯淵へ使いをとばし、その援軍を待っていたが、
「中央の曹丞相のおゆるしを待たずには、兵をうごかし難い」
という夏侯淵の返書に、韋康は落胆して、
「それではとうてい、この小勢でこの城は保ち難い。見ごろしに見ている味方をたのむよりは」
と、ついに降伏を思った。同僚に参軍の楊阜という将校がある。楊阜は反対して、極力諫めた。けれど韋康はついに門をひらいて、寄手の馬超へ膝を屈してしまった。
「よしっ」
馬超は、降を容れて、城中へなだれこむとともに、韋康以下、その一類四十余人を搦《から》め捕って、数珠つなぎにその首を刎ねて、
「この時になって、降伏するなどという人間は、義において欠けるし、味方に加えても、どうせ使いものにはならんやつらだ」
と、悔いも惜しみもしなかった。
侍臣が、図に乗って云った。
「楊阜はお斬りにならないのですか。彼は韋康を諫めて、降参に反対した曲者ですが」
「それが義だ。弓矢の道だ。楊阜は斬らん」
馬超は、かえって、楊阜を助けたばかりか、用いて参事となし、冀城の守りをあずけた。
楊阜は心のうちに深く期すものがあるので、表面は従っていたが、ある時、馬超に告げて、数日の休暇を願った。
「わたくしの妻は、もうふた月も前に、故郷の臨兆で死にましたが、このたびの戦乱で、まだその葬いにも行っておりません。郷土の縁者や朋友のてまえ、一度は行ってこなければ悪いのですが」
馬超は即座に、
「よしよし。行ってこい」
楊阜は、帰郷した。しかし目的は歴城の叔母を訪ねることにあった。この叔母は、近国までも、
「貞賢の名婦」と、聞えているひとだった。
「――面目もありませぬ」
叔母なる人に会うと、楊阜は床に伏して拝哭《はいこく》した。
「残念です。いま私は、甘んじて敵に飼われています。 けれど心まで馬超にゆるしてはいません。今日、これへ来たのは、ほかに心外なことがあるからでした」
「楊阜、なぜそんなに女々しく哭くのかえ。人間は最後に真をあらわせばいいのです。生きているうちの毀誉褒貶など心におかけでない」
「有難うぞんじます。――が、私が哭いたのは、自分の辱《はじ》をめそめそしたわけではありません。あなたの息子たる者のために、憤慨にたえないのです」
「おや。どうしてだえ?」
「この歴城にありながら、乱賊馬超の蹂躙にまかせ、一州の士大夫《したいふ》ことごとく辱をうけている今日をよそに、何を安閑としているのでしょう。あの若さで。……私はそれを憤りに参ったのです。あれでも貞賢な叔母上の息子かと疑って」
「……たれかいませんか。姜叙《きょうじょ》をお呼び、姜叙を」
彼女が、侍女の部屋へ、こう告げると、一方の帳を払って、
「母上。姜叙はこれにおります。お起ちには及びません」
と、ひとりの青年が入ってきた。これなん歴城の撫夷《ぶい》将軍姜叙だった。
いうまでもなく姜叙と楊阜とは従兄弟の間がらになるし、また、姜叙と韋康とは、主従の関係にある。
当然、歴城の兵をひきいて、韋康を赴援《ふえん》すべきであったが、その滅亡の早かったため、兵をととのえて馳けつけるに間に合わなかったものである。
「さきほどから帳の蔭でおはなしを伺っていると、阜兄はこの姜叙が安閑としているのを、ひどくご憤慨のようですが、そういうあなたこそ、一戦にも及ばず馬超に降伏して、冀城《きじょう》を渡してしまったではありませんか。それをいまとなって、世上のことは何も知らぬ私の母などへ、私の怠慢か卑怯みたいに誹《そし》られるのは、自分のことを棚へ上げて、人のあらをさがす下司の根性というものではありませんか」
若い姜叙は、母の前もわすれて、客の従兄弟を罵倒した。
すると楊阜はかえってその意気を歓び、自分の降伏は、一時の辱《はじ》をしのんで、主君の仇を打たんがためであると説明し、
「もし叙君が、郷党の兵をひきいて、冀城へ攻めてこられるなら、自分は城中から内応しよう。何をかくそう、郷里の妻の葬《とむら》いと偽って、馬超から暇をもらい、これへ君を訪ねて来たのは、そのためにほかならないのだ」と、いった。
姜叙、もとより多感な青年である。義のためには一身を亡ぼすも惜しみはないと、ここに義盟を結び、ひそかに兵備にかかった。 歴城のうちに、姜叙が信頼している二名の士官がいる。統兵校尉の尹奉と趙昂とであった。趙昂の子の趙月は、冀城落城このかた、馬超のそば近くに小姓として仕えている。趙昂は家に帰ると、妻へ嘆いた。
「きょう姜叙の君から命をうけて、馬超を討つ兵備をせよと命じられたが、いかにせん、わが子は敵の城に在る。もしその父が姜叙に味方していると知れたら、たちまち、趙月は殺されてしまうだろう。いったいどうしたらよいか。そなたに何か名案はないか」
趙昂の妻は、聞くと涙をうかべたがその涙をみずから叱るように、声を励まして、良人へいった。
「ひとりの子を顧みて、主命を過ち、郷党を裏切りなどしたらあなたの武士が立たないのみか、ご先祖をけがし、子孫に生き恥をさらさせるものではありませんか。何を迷っていらっしゃるのですか。もしあなたが大義をすてて不義へ走るようなことがあったら、わたくしとて生きてはおりません」
多年連れ添ってきた妻ながら、彼女の良人は、自分の妻の立派なことばに今さらの如く驚いた。
「よし。もう惑わぬ」
姜叙、楊阜は歴城に屯《たむろ》し、尹奉と趙昂は、郷党の兵をひきいて、祁山《きざん》へ進出した。すると、趙昂の妻は衣服や髪飾りを、のこらず売り払って、祁山の陣へ行き、
「門出の心祝いです。どうかこれを収めて、士卒のはしにいたるまで、1盞《さん》ずつわけてあげて下さい」
と、途中、酒賈《さかや》から購《あがな》ってきた酒壺《しゅこ》をたくさんに陣中へ運ばせた。
「これは、昂校尉《こうこうい》の奥さんが髪かざりや衣服を売り払って、われわれの餞別に持ってきて下すったお酒だぞ」
そういい聞かされて、兵隊たちへ酒を分かつと、みな感激して涙とともに飲み、士気は慨然とふるい昂った。一方、このことはすぐ冀城に聞えたので、馬超の怒りはいうまでもない。
「趙昂の子趙月の首を刎ねて、血まつりにしろ」一令、全軍を血奮い立たせた。(304話)



