三国志(228) 群英の会 |  今中基のブログ

 曹操「蔡瑁を呼べ。副都督の張允も呼んでこい」と大喝、 何が降るかと、召し呼ばれた二人のみか、侍側の諸将もはらはらしていた。 敗戦の責任を問われるものと察して、蔡瑁、張允の二人は、はや顔色もなかった。
 恟々として、曹操の前へすすみ、かつ百拝して、このたびの不覚を陳謝した。
 曹操は、厳として云った。
 「過ぎ去った愚痴を聞いたり、また過去の不覚を咎めようとて、其方たちを呼んだのではない。――要は、将来にある。かさねて敗北の恥辱を招いたら、その時こそ、きっと、軍法に正してゆるさんが、この度だけはしばらく免じておく」
 意外にも、寛大な云い渡しに、蔡瑁は感泣してこういった。
 「もとより、味方敗軍の責めは、われらの指揮の至らないためにもありますが、もっとも大きな欠陥は、荊州の船手の勢が総じて調練の不足なのに比して、呉の船手は、久しく鄱陽湖を中心に、充分、錬成の実をあげていたところにあります。――加うるにお味方の北国兵は、水上の進退に馴れず、呉兵はことごとく幼少から水に馴れた者どもばかりですから、江上の戦においても、さながら平地と異ならず、ここにも多分な弱点が見出されます」
 それは曹操も感じていることだった。しかし、この問題は、兵の素質と、長日月の訓練にあることなので、急場には如何ともすることができないのである。

 「では、どうするか」との問いに、蔡瑁は次のような献策をもって答えた。
 「攻撃を止めて、守備の態をとることです。渡口を固め、要害を擁し、水中には遠くにわたって水寨を構え、一大要塞としておもむろに、敵を誘い、敵の虚を突き、そして彼の疲れを待って、一挙に、下江を図られては如何でしょう」
 「ムム、よかろう。其方両名には、すでに水軍の大都督を命じてあるのだ。よしと信じることならいちいち計るには及ばん、迅速にとり行え」
 こういうことばの裏には、曹操自身にも、水上戦には深い自信のないことがうかがえるのである。両都督の責めを間わず、罪をゆるして励ましたのも、一面、それに代るべき水軍の智嚢がなかったからであるといえないこともない。
 いずれにせよ蔡瑁、張允のふたりは、ほっとして、軍の再整備にかかった。まず北岸の要地に、あらゆる要塞設備を施し、水上には四十二座の水門と、蜿蜒たる寨柵を結いまわし、小船はすべて内において交通、連絡の便りとし、大船は寨外に船列を布かせて、一大船陣を常備に張った。
 その規模の大なることは、さすがに魏の現勢力を遺憾なく誇示するものだったが、夜に入ればなおさら壮観であった。約三百余里にわたる要塞の水陸には篝、煙火、幾万幾千燈が燃えかがやいて、一天の星斗を焦がし、ここに兵糧軍需を運送する車馬の響きも絡繹と絶えなかった。
 「近頃、上流にあたる北方の天が、夜な夜な真赤に見えるが、あれは抑、何のせいか」
 南岸の陣にある呉の周瑜は、怪しんで或る時、魯粛にたずねた。
 「あれは、曹操が急に構築させた北岸の要塞で、毎夜、旺に焚いている篝や燈火が雲に映じているのでしょう」
 魯粛が、さらに、くわしく説明すると、周瑜はこのところ甘寧の大捷に甘んじて、曹軍怖るるに足らずと、大いに驕っていたところであったが急に不安を抱いて、いちど要塞の規模を自身探ってみようと云いだした。
 「敵を知るは、戦に勝つ第一要諦だ」
 と称して、一夜、周瑜はひそかに一船に乗りこみ、魯粛、黄蓋など八名の大将をつれて、曹軍の本拠を偵察に行った。

 もちろん危険な敵地へ入るわけなので、船楼には、二十張の弩弓を張って、それぞれ弩弓手を配しておき、姿は、幔幕をめぐらしておおい隠し、周瑜や魯粛などの大将たちは、わざと鼓楽を奏して、敵の眼をくらましながら、徐々、北岸の水寨へ近づいて行った。
 星は暗く、夜は更けている。
 船は、石の碇をおろし、ひそかに魏の要塞を、偵察していた。
 水軍の法にくわしい周瑜も、四十二座の水門から寨柵、大小の船列、くまなく見わたして、
 「いったい、こんな構想と布陣は、誰が考察したのか」         
 と、舌を巻いて驚いた。
 魯粛は、その迂遠を嘲って、
 「もちろん荊州降参の大将、蔡瑁、張允の二人です。彼らの智嚢は、決して見くびったものではありません」と、いった。
 周瑜は、舌打ちして、
 「不覚不覚。今日まで、曹操のほうには、水軍の妙に通じた者はないと思っていたが、これはおれの誤認だった。蔡瑁、張允を殺してしまわないうちは、水上の戦いだからといって、滅多に安心はできないぞ」
 語りながら、なお船楼の幕の内で酒を酌み、また碇を移し、彼方此方、夜明けまではと探っていた。
 ――と、早くも、魏の監視船から、このことは、曹操の耳に急達されていた。何の猶予やあらんである。それ捕擒にせよとばかり、水寨の内から一陣の船手が追いかけてきた。
 けれど、周瑜の船は、いち早く逃げてしまった。水流にまかせて下るので船脚はいちじるしく早い。遂に、取逃がしたと聞いて、翌朝、曹操はひどく鋭気を削がれていた。

 「敵に、陣中を見すかされては、またこの構想を一変せねばならん。こんな虚があるようなことで、いつの日か、呉を破ることができるものぞ」
 すると、侍列の中から、
 「丞相、嗟嘆には及びません。てまえが周瑜を説いて、お味方に加えてみせます」と、
 言った者がある。
人々はその大言に驚いて誰かとみると、帳下の幕賓、蒋幹、字は子翼という者だった。(228話)
 
                 ―次週へ続く―