こんにには、三女です。
今日は世界的にも地理学者として有名で、政治家・政治評論家・ジャーナリストとしても活躍し,多くの著書を残した人。
そして世尊寺を作った人でもある「志賀重昴(しがしげたか)」先生についてお話しようと思います。
ほら、住職の奥にかかったている写真が志賀重昂先生の写真です。
皆さんこんな有名人が岡崎出身だと知っていましたか?
この人の名前、確か中学校の社会の教科書でちらっと見てるんですよ。
ただあまり授業では触れられない。。。
こういう身近な人にスポットをあてるような授業をしてくれていたら、社会嫌いも克服できていたかもしれませんね。
私も名前くらいは聞いていたんだけど、ぶっちゃけまぁ興味がなかったんでしょうね。
そのくせしょっちゅう東公園内にある志賀重昴先生のお墓に行っては、墓石を磨いたり、お花を変えたりというのが自分のお仕事でもありました。
墓所は、遺言により東京の宗源寺と、出生地岡崎市のこちらに分骨されています。
志賀重昴先生は1863年に岡崎の康生町に生まれ、1874年に上京し、英語・数学・航海・天文・測量等の専門 塾「攻玉社」に入学したんですって。
その後、クラーク博士の志を受け継ぐ「札幌農学校」へ入学しました。
その後ダーウィンに憧れ、世界中を調査し、人生で合計42万km、地球十周にものぼる大旅行を行っているんです!
旅行好きの私にとっては羨ましい!
その中でも晩年の60歳で巡ったインドやビルマなどで巡り会ったのが、世尊寺のご本尊、こちらのお釈迦様だったのです。
この計画は岡崎市と共に進められましたが、半ば昭和2年、享年65才で逝去されます。。。
そこで一時中断となりました。
しかし、生前から親交の深かった人々の努力と、岡崎佛教会の新たな参画により資金の目処も立ち、昭和4年4月20日仮堂が完成し、今日に至っています。
あっ、世尊寺の誕生日って今現職の住職と同じ誕生日だっ!
また、そのお釈迦様が入っている厨子は、なんと当時インド式建築でも有名な建築家、伊東忠太の作ったものなんです!
築地本願寺がその代表作でもありますね。
この写真ではなかなか伝わらないのが残念ですが、とても珍しい形をしています。
是非お越しの際には近寄って、いろんな角度から見てみてください。
だから世尊寺は宗派にこだわった○○宗世尊寺ではなく、「釈迦堂 東天竺山世尊寺」というわけなんです。
私はそれもとてもpeacefulで気に入っています。
また日本の伝統美 (山水) を自然科学によって解明した「日本風景論」は,日清戦争の勝利と三国干渉という時期に刊行されてベストセラーとなりました。
そのころの日本は,文明開化によ り,欧米のものがもてはやされる傾向にありましたが、重昂先生は,古典文学からの豊富な引用と,地理学の術語を駆使し,日本の風土がいかに欧米に比べて優れているか を情熱的な文章で綴っています。