差別と偏見は無知から生まれる。 | セセデブログ

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 慶です。先月の話になってしまいますが、琉球・沖縄シンポジウム 第7弾「日本国憲法制定過程から排除された沖縄 今も続く平和的生存権侵害」に行ってきました。そこで衝撃的な発言を聞いたので、今日はそのお話をします。

 

 シンポは、講演と3人の会場発言を経て質疑応答が行なわれました。その質疑応答ではある方が発言しました。そのある方は、自称「世界平和を目指すための会」を運営しているみたいなのですが、「沖縄に米軍基地が集中しているのは日本の沖縄差別によるものだと思う。しかし、「運動」の現状を見ると、米軍基地の県外移設をめぐる『反基地「運動」』の参加者たちが、道路に座り込んで一般車両の通行を妨害したり、サイレンを鳴らす救急車の通行を防いだり、機動隊員らに突進して胸ぐらを掴んだり拳をあげている。しかし、暴力では平和は訪れないと思う。『運動』家らはやり方が過激だ。実際にニュースを見ると、そういう場面が映っている。」と発言しました。

 直後、当然場内からすさまじい反論がありました。ここでは慶の考えをまとめます。

 そもそも「暴力では平和は訪れない」ことは紛れもないことだと思います。しかし、その方が言う「暴力では平和は訪れない」とは、沖縄が歩んできた歴史と「反基地『運動』」の経緯、日米による二重の植民支配構造を無視して放っているものです。

 慶は逆にその方に質問したいです。「では、イスラエルとパレスチナの『暴力』は同格ですか?」と。また加えて言いますが、沖縄での「反基地『運動』」は決して「暴力闘争」ではありませんし、その闘争の起因は日米国家による「暴力的統治」なのです。そもそも反基地運動家の闘いは、いわゆる「非暴力直接行動」であります。国家の暴力を受けながらも、非暴力の形態で支持を得て規模を拡大させながら、運動を展開しているのです。非暴力だからと言って決して無抵抗ではありません。これも立派な抵抗運動だと言えると思います。

 また日米は、沖縄の民意を無視して抵抗する者は警察と軍隊=武力を用いて弾圧してきました。歴史的に見ても琉球王国時代は薩摩と明治日本による暴力統治(侵略および植民地統治)、米軍の「銃剣とブルドーザ」による民有地の強制接収、民意を無視して米軍基地の温存(「日米安保体制」の下)を前提とした沖縄「返還」、独断で決めた米軍問題で最大の障害物である日米地位協定、沖縄人に対する差別発言や反対運動に参加する方らと強制的に(警察による暴力によって)排除する現在……このように沖縄は、近世から現在進行形で国家暴力に振るわれているのです。「暴力では平和は訪れない」と発言された方は、国家権力による「上からの暴力」を無視して話しているのです。また捏造されている事実の表面だけを切り抜いて、それがいかにも真実でありすべてのように話すのは間違っていると思います。そもそも分析をしないで、偏向報道に出ているニュースをうのみにしているのです。

 加えて、同時に認識すべきことがあると思います。沖縄は長い間、植民者による暴力を受けてきたというネガティブな側面だけが強調されがちですが、決して見落としてならないのは、国家暴力に対する抵抗主体が存在したことです。どんな社会でも、暴力と抑圧がある社会では必ず抵抗が起こるのです。現在、歴史学では沖縄の学者らによって抵抗主体の発掘作業および研究が急ピッチで進められています。私たちはそういった反植民地主義を掲げ、平和と地域の安定を実現するため権力(統治者)に抗した沖縄の姿(ポジティブな活動)があったこと(あること)を知らなければならないと思います。