絞る力。人生は絞る力です。
何かを見たり聞いたりしとき、そこからどれくらいの情報を得ることができるかはひとそれぞれ、能力次第だと思います。
1を見て10を知ることができる人もいるし、10を見ても1しか知ることができない人がいる……。
ぞうきんの水だって力がなければ絞ることができない……。
取材対象からどれだけのエッセンスを絞ることができるのか……。
記者にとってなくてはならない力……。
そうそれが、絞る力……。
自分で考えました。
絞る力。
うーん、ちょっと響きにエモさ、いやエモみが足りないですね。
あ、はじめまして。
この春から新しく朝鮮青年社で活動しています、海です。
洗濯の合間に書かせてもらってます。
1ヵ月間の記者生活で一番大変だったのは、
肩がこることです。
はい、ということで今日は私が調べたベストオブ肩こり解消体操をご紹介いたします。
ちょっと怒られそうなのでやっぱり私が記者として活動することになったいきさつについて語ろうと思います。
気が変わらないうちに、親への感謝とか、述べてしまおうと思います。
あ、そんなこんなしてるうちに洗濯が終わったみたいなのでちょっと干してきます。
干してきました。
干しているうちに書きたいことを思い出したのでそっちを書こうと思います。
4月27日のお話です。
正直ちょっと時期逃した感は否めませんが、感じたことがあったので書かせてください。(そりゃありますよね)
私はあの瞬間をパブリックビューイングで目撃しました。目撃です。
そしてそこで私は、妙な感動と、一種の落胆というか、悲しさを感じました。
パブリックビューイングでは、南側からの報道映像をみんなで見ていたのですが、あの歴史的瞬間が訪れる何分か前、共和国側の建物の窓から何人かの女性がそわそわとこちらを覗いている様子が南側のカメラ(私が見ている映像を撮っているカメラです)にばっちり収められていました。ズームです。
そのとき私はなにか恥ずかしい気持ちというか、
ちょっと、姉さんたちめっちゃ見られてるよ、気づいてよ、もう(笑)
みたいな気持ちですね、言うならば完全に彼女たちを身内として見ていたのです。
日本の地にいながら、南から見える北側の人々を、身内だと感じていたのです。
何か自分の存在する場を再認識したというか、その瞬間はなかなかうれしかったんですよね。あー、俺ちゃんとこっち側にいるんだーって。
でもすぐに気づいてしまいました。こっち側ってなんなんだ。
本当なら北も南も自分側なのに。
自分の認識さえもやはり分断による境界線をしっかり引いてしまっていました。
それは私の考え方が間違っていた、というだけの話ではなく、そう認識させてしまう現実があるということなのだと思います。
その現実をこれから変えていかなければ。
新しい歴史の出発点、それは板門店という場所を指すのではないんじゃないでしょうか。
それは場所ではなく、私たちが生きている今日という時間なのです。私たちが平和に向かって、統一に向かってまた歩き出す今日という日が、新しい歴史の出発点なのではないでしょうか。
(真面目感出せたかな)
今日はここらへんでセーブして寝ます。
次回の海のブログは、
仕事場にある謎に包まれたコーヒーメーカー(まずい)、
と、
海の生い立ち
の2本立てでお送りいたします。
ぜひご期待せずにお待ち下さい。
おやすみなさい。
緊急事態。
家にwi-fiつながってなかったです。
さてどうしたものか……。