翌朝、ネットカフェを出てバスでバスセンタ-へ鍵と寝袋を受け取る。
ここ万代シティは今から30年前ダイエー、新潟交通本社、郊外線バス乗り場、紀伊国屋書店、ホテル、ポーリング場、YAMAHA等当時新潟市で初の若者の集まる文化の発信地であった。
 
その後伊勢丹の進出、ビルボードプレイスもOPENし今や全国的にも有名なイタリアンのみかづきが2Fにあり、ケンタ・マクド・ミスド・スタバのあるALTA前交差点は今でも若者でにぎわう場所である。

ダイエー撤退後どうなることかと思ったがLavela万代として再オープン地下食品売り場にイオンが入り近くに急増中のマンションの住人にとって唯一の食品スーパーでもあり便利で高級感のある店舗だ

当時TBS ザ・ベストテン世良公則&ツイストの中継で1万人以上?のファンを集めた伝説の場所でもあり、東京在住の高校時代からの友人(日本工学院 放送芸術科→現TBSの放送技術職)らと高校の帰り、毎日のように立ち寄っていた。

私は彼の影響で日大芸術学部放送学科を目指し浪人、併願の写真学科1次試験合格までであきらめ、立正大学文学部社会学科に日経新聞奨学生として入学することになる。そこで社会学科の先輩の影響で新聞社のアルバイト、大学院進学を考えた。私の職業選択はこの2人の影響である
やっと自宅に戻り、ほっと一息したいと思っていた。高速バスに乗ってはっと思い出した。そうだ。出発時私は新潟の高速バスチケット売り場に寝袋とともに家の鍵を忘れていたのです。しかたないまたマン喫だ。家から3キロは歩かなければならない、疲れた体にこれはこたえる。
まあやれるだけの事はやったし、面接官にも建築デザインに対する熱意は伝わったかと思う、最後にパーキンソン病のことや私の病状、訓練生活上の留意点等話を聞いてもらえた。PDの訓練生はこれまであまり実績が無いようだが、年齢や職業評価の結果は確かにデザイン系では障害者枠での求人は少なく就職は難しいが十分に時間をかけて検討し結論を出しますと言われこれまでよりは少しは希望が見えてきた。
新潟に戻り平穏な暮らしに戻った。明日やっと鍵を受け取ることになる。引越しはまだ先だから部屋には何もない。とりあえず泊まれるがテレビもパソコンも無い生活は久しぶりだ。

ふとん代わりにシュラフ(寝袋)を持って出たのに高速バスチッケット売り場に置き忘れてしまう。翌日電話して見たら届いていた、しかも自宅の鍵まで入っていた。ホッとした

午後今日は国リハの職業評価が早く終わり、新居に向かう。トイレ・バス別なのが嬉しい。

入浴したいので東京ガスに電話して来てもらう。給湯も自動湯張り、適温で保温できる。大変便利だ。

友の会に入ってから、いろんな人に出会った。ネットや電話は顔が見えない。これまで自分を理解してほしくて相手の気持ちに配慮せず何でも聞いてしまい人を傷つけてしまう、

静けさの中そんな自分を見つめていた。気分転換に入浴しストレッチ、疲れがたまっていたのか、いつのまにかそのままフローリングの上でにねてしまった。

携帯電話が鳴リはっと目が覚めた。話をするだけて癒され、頭痛も消えすっきりした。明日への活力元気をもらった。それにしても以心伝心絶妙のタイミイングだった。

いよいよ明日は最終日。作文、最終面接。これで合否が決まる。何とか体調を整え万全の状態で望みたい