今日私は清瀬市役所の障害福祉課に電話し、難病患者患者援護金の支給されることがわかった、役所はこちらから言わないと何もしてくれない。介護保険の認定も受けられるよう自宅に調査に来てもらう日程も決めた。障害者手帳の等級も上げて貰えるよう病院に書類を出してきた。

若年掲示板の闘争も止める事にした。書き込みを出来る様にしただけで、未だに管理人から誠意ある回答、謝罪がない。無責任な管理体制である。

自分の弱点を言われると攻撃性が増す。社会経験が無くアゴニストを長年飲み続けた副作用を実証している。ある意味薬害の被害者ではある。

、難病で一番患者数が多いにも拘らず、若年性発症で精神的障害の出てきていない大多数の初期の患者にとって就職を目指していたり、リストラの危機を迎えている情報の公開は誤解をうむかもしれない。

今回の私の行動の意図したのは若年性掲示板から個人の中傷を排除するための荒療治です。その後は患者同士自分を見つめ直して欲しいからです。
私は41才と中途半端な年齢で発症し、高校生の頃からアルバイトで郵便局を始め、新聞奨学生で予備校に入り上京、二浪で立正大学4年で卒業後大学院受験し、英語が苦手で不合格、東洋大学3年次編入で、大学院受験と就職浪人の為7年も大学に7年いて学歴も変わっていて、

 新聞社で内勤のアルバイトをして長いモラトリアム期間を経て、スタジオのアルバイト舞台テレビの照明技術会社に入社した為、専門学校卒の年下の先輩の下で働いていた為、反発も多く人間関係で苦労しました。

早朝6時に世田谷区砧スタジオ、TVK、テレビ埼玉出勤と。駅から遠い場所の最初の仕事で遅刻したり、芸能界でよくある話ですが、仕事との前に挨拶に行かなかったり、最初で印象が悪く思われてしまい、会社で自分の失敗を守ってくれる上司が人事異動でいなくなると、反発をもつ人から密告をされ、退職を繰り返してきました。

自分自身の気持ちをうまく表現できない精神的弱点があることは自覚していて、これまで相談できずにいて、両親の介護や死という時期にパーキンソン病に発症し

自分に無い人に好かれる術を持っていたTさんに出会い、自分の人間関係の未熟さをきつい言葉で指摘され、克服ができたのです。

彼女の過去のブログを見て、同じ悩みを抱えていた事から文章で気落ちを伝えたくて彼女に固執していました。最近村田美穂医師に主治医が変わりストレスから脱却できるよう心療内科を受診することにしました。
私は高校での成績は、クラス最下位に近くほとんど自宅で、勉強したことがない、中学までクラスで7位くらいでした。友人の家に勉強に行っても遊んでしまう。その友人は放送委員で文化祭で、舞台照明をやった。後に照明技術の仕事についたのは彼の影響である彼は専修学校卒で、今はTBSで技術職についた、

私は高円寺の予備校中央ゼミナールへ高校の友人と入り、友人は、関東学院大学から社会福祉職へ、私は日大芸術学部放送学科2次試験で敗退し、立正大学文学部社会学科へ入学。

社会学を専攻、マスコミュニケーション論、社会心理学、社会病理学、情報化社会論、卒業後東洋大学社会学部社会学科へ3年次編入で都市社会学を中心に学びました。そこで出会った人間関係が、今の人生行動の原点になります。

私が言論・表現の自由にこだわるのは、昭和の時代ベトナム戦争、浅間山荘事件をテレビで見てきたこと、同大学同学科、新聞店で社会科学研究会の先輩から学生運動の挫折の歴史市民運動に興味を持ち小田実、保坂展人氏の著作を読んで影響を受けています。

栗本慎一郎氏とはフジテレビ(ディベート』の仕事でお会いして著作物を読み、自分は異端者と自覚し生きています。

 私の恩師、美ノ谷助教授(50歳代でがんで死去)情報社会学、20年以上前に、現在のインターネット社会の技術の進歩で、情報リテラシー(膨大な情報を取捨選択する能力)格差が商取引、若者のコミュケーションの形態が、大きく変わり人格形成に大きく影響を与えるだろうと、予測していました。

私の研究テーマは若者文化、若者の世代のコミュニケ-ションの中心は深夜放送,特 に人気のあったのは、松山千春、中島みゆき、所ジョージ、タモリ、北野武、とんねるず(敬称略)1番人気は土曜の笑福亭鶴光でHネタが人気でした。

携帯電話、ゲーム機の普及で直接話をしないような関係の浅い付き合いの友達が増えていく若年時に、こうした環境にある若年期の発症の皆さんが抱える精神的問題は就労経験がないと精神的に未熟であることは、生育環境や性格にもよる攻撃性の高さに影響する。

。私は性格的に暗いと言われるのが、一番いやでそういうことを平気で言う人は許せなかった。それでも、私は両親をなくし一人で生きていくために、私に声をかけてくれたTさんに出会えうれっかった半面人格が豹変するのに翻弄された。

 彼女から私は人との付き合い方を多くの失敗を重ね克服してきた。そんな時私は彼女に失恋し、頚性斜頸という首さがりにかかり苦しんでます。