不登校は母の私の学びがたくさんでした
娘の不登校は4年にわたりました。
小学6年生の1年間と中学校3年の
丸4年全く出席無し!
保健室登校すらしなかったし
フルースクールだって行ってない。
自治体の不登校支援の適応指導教室
も全部無視!
かなりの徹底ぶりでしょう~
でも、今は元気に現役女子高生
登校前に1時間かけてメイクしています
いつか機会があれば、
そんなわが家の体験記を
発信してみたいとずっと思っていました。
過去形で『不登校が終わりました』と
書けるようになった今、
魔女修行(フラワーエッセンス)のかたわらで
少しずつ綴っていきますので
よかったら時々のぞきに来てくださいね
終わってみて思うことたくさんあります。
不登校がやってきて
最初に思ったのは『どうして??』でした。
原因探しに一生懸命になったのを覚えています。
原因を見つけて、解決したら
登校できるようになると思ったから。
でも、後から理解出来ましたが
直接的なきっかけとして現れた出来事って、
見つけきれない原因の一つにしか過ぎない。
それはほんの氷山の一角で、
本人にだって自覚できていないものも
たくさん、たくさん・・・
それでも原因探しに一生懸命になってしまったのは
社会の集合意識=常識でもある
『こどもは学校に行くのが当たり前』
がなかなか手放せなくて、
何としても学校に行かせねばならぬ!
という思いがあったから
それだけじゃなく
「こうあるべき!」
「こうでないと!」
「こうしなくちゃ!」
という私の『思考』『観念』=私の常識
もあるからもうがんじがらめで苦しいのなんの
「娘にこうさせなくちゃ!」
という『思考』『観念』も
それはもうたくさんありました
でも、その『思考』『観念』を適用し続けようとすると
ずっと苦しいまま。
状況も何も変わらない。
スピリチュアルの世界や、俗にいう、
『私が変われば世界も変わる』
そこに氣付けるまでどれくらいかかったでしょう。
嫌々でしたが
私の『思考』『観念』=私の常識
を少しずつ手放すことで、
状況も少しずつ変わり
その変化が積み重なって
終わりを迎えることができたと思っています。
今だから思うのは
私の『思考』『観念』=私の常識
をもっと早く手放せていたら
終わるまで4年かからなかったかもしれないな
ということ。
その4年間の日々の質ですら
ネガティブ減らして、
親子ケンカも減らして
楽しい時間に置き換えることが
できただろうにということ。
でも、全てはわが家にとって
最高最善だったと思うので、
必要な時間と経験だったんだと思っています
それでもあえて、
今だからこその
過去の自分に言いたいこと
・休みたいだけ休ませてあげて⇒不登校になった時点でもう限界。疲れ切って死にそうになってますから~
・学校の先生やお友達が訪問してきても、本人が望まなければ無理に会わせないで⇒せっかく来てくれたお友達や先生に申し訳ないという、自分の『思考』『観念』に服従させないで~
・昼夜逆転になったっていいでしょ⇒それじゃあいつまでたっても学校に行けない=行かせねば!という自分の『思考』『観念』早く手放そう~
・不登校になった原因探しはやめてあげて⇒本人を疲労さるだけだよぅ
・寝たいだけ寝させてあげて⇒人生に疲れ切って死にそうになってるんだから休息第一
・ゲームを制限しないであげて
・無理に勉強させようとしないで⇒人生に疲れ切って死にそうになってるのに勉強無理ですから~
・好きなだけ引きこもらせてあげて
・平日の日中だろうと、カラオケに行ったり、お買い物に行ったりランチしたり、もっと一緒に楽しむ時間を増やしてみて~
・不登校は悪いことじゃないってどーんと支えてあげて
最終的には全部クリアできるのですが、
不登校始まりの段階でできていたら
もっと早く親子で楽になれただろうな~と思うことばかり。
終わった今、娘とは
『必要な4年だったね
あの4年があったからこそ今があるね』
って笑って話し合えています
その最中にいる時は
しんどくて、しんどくて、
いつ終わりが来るんだろうと
先が見えなくて、絶望的な氣持ちになってばかりでしたけどね
今、最中にいて
終わりが見えないように思えても
少しも早くなく、
少しも遅くなく、
それぞれにベストなタイミングで
終わりは必ずやってきます
(氣付いたら早いけど)
大丈夫、大丈夫