不眠で悩む人は少なくないようですね。

いろいろ言えることはあると思いますが、

抜粋して書いてみます。



1.)対処法1:朝起きたら日光を浴びる

ご存知の方も多いでしょうが、朝日光を浴びることで体内時計がリセットされます。

また、日光を浴びてから14~16時間後にメラトニンが出て眠りやすくなります。

そういった意味でも、できるだけ日光を浴びる習慣を身につけましょう。

理想は、朝日の時間帯に窓から日光が入り込み、その光で目が覚めることですね。

できれば体にも日光を浴びていきましょう。

とはいえ、人によっては軽くにしておかないと紫外線で肌トラブルが起きる可能性が高まります。





2.)対処法2:運動をする

昼間運動をすることによって、夜眠る頃に体温が下がります。

体温が下がると寝付きがよくなりやすいです。

また、疲れてる方が熟睡しますね。

ただ、不眠の場合疲れてても寝られない場合がありますが。

いずれにしても、運動不足の方は運動を意識してみましょう。

入浴も、寝る1時間ぐらい前に出れば体温が下がって眠りやすくなるようです。

ただ、半身浴など暖まりやすい入り方をすると、体温が下がるのに時間がかかる場合があります。

半身浴をしている場合、眠り方には注意が必要かもしれません。




3.)対処法3:砂糖を控える


個人的な体感の部分も結構あるのですが、どうも砂糖は不眠になる気がかなりします。

糖質は腸に負担がかかるんですかね。

消化器に負担がかかると、睡眠の質もあまりよくならないのでしょうか。

いずれにしても、砂糖の取り過ぎは不眠の原因になる可能性が高いと思います。

心当たりのある人は、ちょっと控えてみるといいかもしれません。

ちなみに砂糖を摂ると、夕方ぐらいに眠くなりやすいようです。





4.)対処法4:夜12時より前に寝る

不眠対策ではありませんが、体内時計が正常で朝早く起きているのであれば、

夜12時より早く寝た方が寝付きはいいと思います。

不眠症の対処法というよりは、夜12時前に寝ると体に良いという話ですが。

夜11時半に寝るのと、夜12時半に寝るのでは分泌されるホルモンにも違いが出てきます。

夜10時~2時の時間帯寝られるよう、できれば夜12時前に寝られると肌にもいいですし、

疲れもとれやすいです。

不眠の困る点の1つは、疲れがとれにくいところですからね。




5.)対処法5:カフェインを控える

カフェインを毎日摂取すると蓄積して、睡眠に障害が出てくるようです。

いかんせん私も、カフェインをほぼ毎日摂取しているので、

これもかなり影響してそうだなと思います。

実際、ほぼ完全にカフェインをやめると、

よく眠られるようになったという声も聞きます。

ただ、カフェインは水溶性なので、

蓄積されないという見方もあるかもしれません。

いずれにしても、やめたほうがいいとは思いますが。





6.)対処法6:薬を使う


いわゆる睡眠薬がありますが、個人的には漢方の方をおすすめします。

あとサプリ系ならグリシンですかね。チロシンも熟睡を実感できました。

睡眠薬は、あまりおすすめはしません。

最後の手段って感じですね。






以上、こんな感じですかね。

できることからやっていきましょう!

突然ですが、例えばあるAさんが「起業する」と言い出したとしましょう。
(知り合いの誰かを想定してみてください)

「どう思う?」

と聞かれたら、皆さんはどうしますか。

「きっと成功します。頑張ってください」

「きっと失敗します。やめたほうがいいです」

どちらかしか選べないとしたら、どっちを言いますか?


ちなみに、どちらを選ぶかは全く重要ではありません(笑)

選んだ後に、こう言われたどうでしょうか。

「きっと成功しますって言ったのに、失敗したじゃないか。責任をとってくれ」

「きっと失敗しますって言ったのに、成功したじゃないか。責任をとってくれ」


もちろん、このAさんはダメな人でしょう。

しかし、世の中では発言に責任を持てという風潮があります。

きっと成功するよっていうと、無責任と言われる可能性があります。

しかし、これは失敗するよも一緒ですよね。

無責任であることにかわりはありません。


このように考えると、そもそも発言に責任を求めることはナンセンスですね。

起業をするのも、失敗するのも成功するのも本人の責任です。

契約をしているのであれば話は別ですが。

ただのアドバイスでは責任なんて負えませんね。

コンサルタントなら契約するでしょうが。

また、法的に認められるケースも話は別になってきますね。





責任というものは、反比例の存在です。

二者間なら相手に責任があればあるほど、自分には責任がなくなっていきます。

逆も然りですね。

今回のAさんの起業の話でいくと、起業の全責任はAさんにあります。当然ですね。

よって、本当に責任をもって行動する人は他人の発言に責任なんか求めないんです

これは、他人の発言自分の行動(今回は起業)独立していることが前提だからです。

「先生が飛び降りろって言ったら飛び降りるのか?」

なんて叱ってた先生がいましたが、まさにこれですね。

他人がこうしろって言ったからこうしたといっても、基本的に行為の責任は行為者にあります。



ではなぜ人は、発言者に責任を求めるのでしょうか。

答えは実にシンプルです。

それはなぜかというと、依存しているからです。

相手に依存するから、相手に責任を求めるのです。


ですから、依存的な人というのはできるだけ避けた方がいいですね。

相手が依存してくるということは、ほぼ確実に責任を求められます。


もしAさんが全責任をもって起業したのであれば、

他人がなんと言おうと起業しているでしょう。

いや、あるいは起業をやっぱりやめるかもしれません。

しかし、どんな行動にせよ他人に責任は求めません。

自分の責任において行動しています。



もちろん、仕事というのは相手に依存するものです。

できるだけリスクヘッジをするのは当然ですが。

なので、相手に責任をとってもらうという契約をしているわけですよね。

このとき、自分の責任は小さくなるわけです。まぁ相手の仕事ですからね。

ただ、その相手に責任をとってもらうという契約をすること自体は、全て自分の責任にあるということですね。

相手は相手で全責任があります。


そしてこれをもっと拡大化します。

抽象化します。

そうすると、人生全体に対する責任になります。

部分に対して責任をもっているとき、それは全体に対して責任を持っていない可能性がありますね。


人生全体に自分で全責任を負っているとき、初めて自分の人生に責任を持っていると言えると思うんですね。

人生に全責任を負っているからと言って、他人を責めないわけではありませんよ。

ただ、「相手に責任がある」と責任をもって責めます。

この辺がちょっと違いますね。

社会のせいにする人なんかは、まさに責任を持ってない状態ですね。


相手の挑発に乗ってしまうのも、相手に依存しているからこそ感情が動いた結果です。

自分が全責任を負っているとき、相手の挑発に乗ることは滅多にないでしょう。

もちろん乗ったとしても、責任を持った上で行動します。




ふと最近、人生全体に責任をもつ意識が全然なかったなぁと気づいたので、

もっと真剣にならないとと思いました。
無意識が意識よりも先行しているので、人間に自由意思はないという話を昔耳にしました。

これは子供の頃といってもいいぐらいの時期だったのですが、

まさにこの頃からそれなりに考えてきた人間の自由意思について、

書いていきたいと思います。


「ラーメン食べたい」


と思ったとしましょう。

多くの人はついつい思ってしまうでしょう。

さて、これは意識で思っていますよね。

ということは、それよりも前に無意識でラーメンを食べたいと思う準備をしていたことになります。


で、意識ではなく無意識によるものだから、自由意思によって「ラーメンを食べたい」と思ったわけじゃないということになるわけですね。

正直言ってこの考えは、自由意思がないことを全く説明できていないのではないでしょうか。

そもそもこの考え方をするのであれば、自由意思という概念そのものがナンセンスになります。


なぜラーメンを食べたいと思った人がラーメンを食べて、自由意思ではないのでしょうか。

これが自由意思でないなら、本当の自由意思とは悟りのことを意味することになります。

「ラーメンを食べたい」ということを無視して、圧倒的に自由なことができる状態です。

ラーメンにこだわることなく、何を食べても幸せだと思えるのであれば、

確かにそれは真の自由意思といえるかもしれません。


でも、今回はそういった話ではありませんよね。

無意識によって「ラーメンを食べたいこと」が意識に伝わったというのであれば、

無意識も自分なのだから結局自分の意思ということになります。

非常にナンセンスですね。


これを自由意思ではないというのであれば、自由意思という概念自体が存在しないと言わざるを得ません。


もし神が、「ラーメンを食べたい」と思わせたというのであれば、確かに自由意思はないでしょう。

しかし少なくとも、無意識が思わせたのであれば、自由意思はないということには全くなりませんね。

重要なのは、では無意識は何によって「ラーメンを食べたい」と思うようになったのかという点です。


とはいえ、結論自体は同感なんですけどね。

自由意思というものは、実際ないと思います。

ただそれは、結局自我が幻想に過ぎないという前提によるものです。


無意識が自分じゃないからということではないです。

自我が幻想なんだから、自由意思も幻想って感じですね。


やはり多くの人は、結婚をしたいと思うものでしょうか?

あるアンケートでは、86%がしたいと思ってるという結果が得られたようです。


そんな中ネット上でふと目にとまったんですが、

「35歳以上になっても独身でいる人はどこかしら欠陥がある」


といったようなことが書かれていました。


どうもキャッチコピー的な感じでもあるようですけどね。

というわけで、キャッチーかなと思うタイトルにしてみたのですが(笑)

しかし、これは正直言ってちょっとおかしいと思うんですよ。


有名な話ではありますが、毎年の離婚数って結構あるんですよね。

一時期30万組、ここ近年は25万組ぐらいが離婚しています。

ちなみに婚姻数は、近年では65万~70万組ぐらいですね。


そう考えると、離婚する夫婦は結構多いですね。

毎年25万組が離婚し、一方で新たな夫婦が65万組誕生しているわけです。

つまり、うまくいかない夫婦が少なくとも毎年25万組存在しているわけです。

家庭内離婚や別居なども入れれば、もっと多いでしょうね。


子供のために離婚を我慢することも結構ありそうです。

実際、結婚はかなり大変なことでしょう。

そういった背景を考えると、35歳以上で独身の人だけに欠陥があるとは到底思えません。


むしろ独身のほうが、現実をしっかりと見て安易な結婚をしていない、まともな人に見える気すらしてきます。

なぜか結婚をしていると、社会的信用が上がるみたいです。

正直言って完全に謎ですが・・・。


論理性が皆無です。

ただの感情論なわけですが、そもそも全然合ってないように思えます。

もし本当にそうなら、不幸な家庭なんて存在しませんからね。


こういったレッテルとか、分類とかは全くその人間と関係ありません。

結婚をしている人がまともなのではなく、まともな人が結婚をしただけです。

なので、まともな人が結婚をしていないことも当然あります。


独身だから欠陥があるのではなく、欠陥がある人が独身なだけです。

無関係ですね。

欠陥がある人で結婚をしている人も当然いるでしょう。


もっとも、そもそも欠陥がない人なんて全くといっていいほどいないでしょうけど・・・。

なので、タイトルのようなことは本当にナンセンスだなぁと思います。
「1回しかない人生だから悔いのないように頑張ろう」

といったことをしばしば聞きます。


これについては、子供の頃から疑問でした。

1回しかないことが、なぜ頑張るという根拠になるのか理解できなかったからです。

正直言って今でも、意味不明に思うんですよね。


「1回しかないのだから楽にいこう(‐^▽^‐)」

だったらわかるんですけど(笑)



1回しかないのであればニートしようが、

仕事しながらボランティアして生活費以外はすべて寄付しようが、

どちらも変わりません。

どちらの人生も、死んだら何も違いはありません。



経済用語を借りれば、どちらの人生も無差別です。

死んだら終わりなんですよね。

人の記憶に残ってようが、何らかの業績を残していようが、

死んだら無関係です。

どんな人生をおくっていたとしても、です。

にも関わらず、頑張ろうっていうのはおかしいですよね。


しかし、この考え方はある考え方に基づくとすんなり理解できました。

そもそも、1回しかないという前提は、頑張るという結論を導くことは現状では難しいです。



でもある前提があると、頑張るという結論を導くことができます。


それはなにかというと、


「人生は1回しかないから頑張ろう」


という文言に、「この」をつけることです。


すなわち、


「この人生は1回しかないから頑張ろう」



になります。




これなら理解できるんですよ。

すなわち前提とは、「生まれ変わりの法則」です。

この法則があれば、1回しかない人生は頑張る理由になります。


人生1回しかないから頑張ろうというのは、

多くは感情論でしょう。

そこまで考えてないでしょうし、ただ感情的に頑張ろうって気になってるだけとは思います。


しかし、これは論理的に考えればおかしなことです。

少なくとも、1回しかないから頑張ろうということを、

論理的なことのつもりで言っている人はいないと思います。

でも1回しかなくても、他の人生に影響するなら頑張るはずです。

そういった部分の論理が必要なんですよね。



悪いことをしたらいつか必ずしっぺ返しがくるというのも、

実際には生まれ変わりの法則を前提とせざるを得ません。


日本は「生まれ変わりの法則」を否定しながらも、

なぜかその法則を前提とした行動や思想が多いように思います。

少なくとも、人生は1回しかないということと論理的には結びつかない行動や思想ですね。

わびさび、礼儀、謙虚などが挙げられます。

論理的にはおかしなことです。


ただ、個人的にはその行動は間違っていないと思っています。

論理よりも体感覚のほうが正しいことも少なくありません。

論理なんていくらでも変わりますからね。



いずれにしても、論理的および科学的には完全に生まれ変わりの法則は否定されていません。

よって、法則が存在していてもしていなくてもオッケーな感じで生きていくことが、

リスクヘッジになると思います。


もちろん、どちらかに断定して生きていくリスキーな、

投資をしたような人生もいいですけどね。


ちなみに、現状の科学的な本来の意味での、

「人生は1回しかないから頑張ろう」

という考え方でも、意味を見出すことはできます。

どんな人生をおくっても無意味ということは、

どんな人生をおくっても自由ということです。


人生に好き勝手に意味づけをして、

人生には意味があるとすることも問題ないわけです。


ただ気をつけるべきなのは、「人生に意味づけをして意味があるとすること」自体が、無意味であるという点ですね。


結局再帰的には、無意味ということになってしまうので、

結論もやっぱり無意味となります。

どんな人生おくっても自由なので、「人生に意味はある!」として気づかないフリをするのも自由ですが。


あと一応、人生に意味があるかないかは別なんですよね。

あくまで今回の話は、「人生が1回しかない」という前提の論理です。

そういった枠組みの話ですね。

見方によっていくらでも変わるので、1つの話に過ぎません。

この話ならいくらでも記事を書けそうです(笑)



更に言えば、生まれ変わりでたくさん人生があっても、そこに意味があるのかはまた別の話です。