前回の記事では、恐怖は日常の生活にたくさん存在することを言いました。
クビを飛ばされる恐怖、受験に失敗する恐怖、人に嫌われる恐怖などたくさんありますね。
社会的な恐怖もありますし、個人的な恐怖もあります。
こういったたくさんの恐怖の大半は、条件付けされたものです。
目の前に恐竜がいれば、誰もが怖いでしょう。
本能的な恐怖です。
しかし、目の前にいる恐竜が草食で人間には危害を加えないということを知ったらどうでしょうか。
恐怖はほぼ消えるのではないでしょうか。
まさに恐怖とは、理性的なもの、定性的なものによって生じたり消えたりするわけです。
人の顔に見えて恐怖が生じても、パッと見てみたらただの模様だったりして恐怖が消えます。
恐怖を消す方法の1つは、こういった思考や理性によって消す方法です。
しかし、これらはメカニズムなどがわかると消えるものに限ります。
もし目の前に肉食の恐竜がいたら、理性で消すのは不可能です。
理性で恐怖が消えたように思えても、それはただ恐怖の感情をごまかしているだけです。
そもそも受験失敗などの理性的な恐怖はどうして生じるのでしょうか。
なんと言っても、たくさんの恐怖のほとんどを生じさせているのは、
死に対する恐怖です。
死の恐怖があると、死に関わることすべてに恐怖が生じうるわけです。
受験成功→就職成功→収入が安定→生きていける
という構図を思い描くと、どこかのプロセスで失敗することに恐怖を覚えます。
それは、死ぬかもしれないと思っているからですね。無意識的に。
問題は、多くのこと同士が恐怖に条件付けられていることですね。
仕事でミスして怒られること1つとっても、
出世できない→惨めに思われるかも
といった死ではない別の恐怖に結びついたり、
将来クビになる可能性が上がるという死に近い恐怖に結びつくこともあります。
いずれにしても、社会的か個人的に関連づけをしているわけです。
そしてさらに条件付けられると、怒られることそのものに恐怖を覚えるようになります。
とはいえここまでいくと、感覚が麻痺してくることもありますが。
いずれにしても、このように様々なことが条件付けられた恐怖となっていきます。
1つ目の恐怖の克服法は、要するに条件付けや関連づけの変更です。
理想は全てを解放することですが、それをしても恐怖そのものは消えません。
肉食恐竜には打ち克てません。
そこで、もう1つの方法です。
1.)2つ目の方法
2つ目の方法については、ある海外ドラマの話がわかりやすいのでそれを紹介します。
私はプリズンブレイクという海外ドラマが好きなんですが、その中で主人公がこんな話をしていました。
「子どもの頃、夜眠れなかった。クローゼットにモンスターがいると思ってて。
兄貴に言われたよ。クローゼットに潜んでるのは恐怖だけだって。恐怖は実在しない。
それは何者でもないただの…空気。いや、空気ですらない。だから向き合うだけでいい。
思い切って扉を開ければ、モンスターは消える、と。」
この話、ある意味では恐怖の本質を突いていると思うのです。
恐怖を消す方法とは、この話のモンスターを恐怖に置き換えることです。
すなわち、自分の中にある恐怖という感情をじっくり見てやるのです。
心の中に閉じこもっているから、恐怖は恐いんです。
その扉を開けて、恐怖っていうのを見てやるんです。
感じるんです。
私は今恐怖を感じている。
どんな恐怖だろうか。
それは暗いだろうか。色がついているだろうか。
なぜ恐怖を感じるのだろう。
何が恐いのだろう。
こうしてじっくり感じてやると、恐怖は一気に薄らぎます。
例えばこの話以外にも、
「恐怖を消すにはどうすればいいか?さっさと実行してしまうことだ」
といったことが言われます。
恐怖を感じていても、いざ実際に行動してみると恐怖はかなり薄らいでいくわけです。
さっさとやるに限るわけですね。
もし、クローゼットの中にモンスターがいて、
そいつは強くて残酷で扉を開いた途端咬み殺してくるといったように更に恐怖する想像をしてしまうと、
ますます恐怖に手をつけられなくなります。
同じように恐怖っていうものをしっかり見ないと、恐怖はどんどん大きくなるばかりです。
今感じている恐怖は、どんぐらいの恐怖かっていうのをしっかり確認しておきます。
大抵、想像しているより小さくて、そして大抵消えてしまいます。
この世界において、どんなに頑張っても死のリスクを0にすることはできません。
例え健康に気を遣っても、事故にあうかもしれません。
天災にあうかもしれません。
恐怖を感じない人生というものは、ありえないのです。
死も恐怖も、あっさり受け入れた方がいいですね。
明日死んだっておかしくないことを、受け入れることが大事です。
明日死ぬかもしれないという恐怖を、しっかり見つめることが大事です。
真実を探求するには、自分の心から逃げないようにしないといけないと思うのです。
クビを飛ばされる恐怖、受験に失敗する恐怖、人に嫌われる恐怖などたくさんありますね。
社会的な恐怖もありますし、個人的な恐怖もあります。
こういったたくさんの恐怖の大半は、条件付けされたものです。
目の前に恐竜がいれば、誰もが怖いでしょう。
本能的な恐怖です。
しかし、目の前にいる恐竜が草食で人間には危害を加えないということを知ったらどうでしょうか。
恐怖はほぼ消えるのではないでしょうか。
まさに恐怖とは、理性的なもの、定性的なものによって生じたり消えたりするわけです。
人の顔に見えて恐怖が生じても、パッと見てみたらただの模様だったりして恐怖が消えます。
恐怖を消す方法の1つは、こういった思考や理性によって消す方法です。
しかし、これらはメカニズムなどがわかると消えるものに限ります。
もし目の前に肉食の恐竜がいたら、理性で消すのは不可能です。
理性で恐怖が消えたように思えても、それはただ恐怖の感情をごまかしているだけです。
そもそも受験失敗などの理性的な恐怖はどうして生じるのでしょうか。
なんと言っても、たくさんの恐怖のほとんどを生じさせているのは、
死に対する恐怖です。
死の恐怖があると、死に関わることすべてに恐怖が生じうるわけです。
受験成功→就職成功→収入が安定→生きていける
という構図を思い描くと、どこかのプロセスで失敗することに恐怖を覚えます。
それは、死ぬかもしれないと思っているからですね。無意識的に。
問題は、多くのこと同士が恐怖に条件付けられていることですね。
仕事でミスして怒られること1つとっても、
出世できない→惨めに思われるかも
といった死ではない別の恐怖に結びついたり、
将来クビになる可能性が上がるという死に近い恐怖に結びつくこともあります。
いずれにしても、社会的か個人的に関連づけをしているわけです。
そしてさらに条件付けられると、怒られることそのものに恐怖を覚えるようになります。
とはいえここまでいくと、感覚が麻痺してくることもありますが。
いずれにしても、このように様々なことが条件付けられた恐怖となっていきます。
1つ目の恐怖の克服法は、要するに条件付けや関連づけの変更です。
理想は全てを解放することですが、それをしても恐怖そのものは消えません。
肉食恐竜には打ち克てません。
そこで、もう1つの方法です。
1.)2つ目の方法
2つ目の方法については、ある海外ドラマの話がわかりやすいのでそれを紹介します。
私はプリズンブレイクという海外ドラマが好きなんですが、その中で主人公がこんな話をしていました。
「子どもの頃、夜眠れなかった。クローゼットにモンスターがいると思ってて。
兄貴に言われたよ。クローゼットに潜んでるのは恐怖だけだって。恐怖は実在しない。
それは何者でもないただの…空気。いや、空気ですらない。だから向き合うだけでいい。
思い切って扉を開ければ、モンスターは消える、と。」
この話、ある意味では恐怖の本質を突いていると思うのです。
恐怖を消す方法とは、この話のモンスターを恐怖に置き換えることです。
すなわち、自分の中にある恐怖という感情をじっくり見てやるのです。
心の中に閉じこもっているから、恐怖は恐いんです。
その扉を開けて、恐怖っていうのを見てやるんです。
感じるんです。
私は今恐怖を感じている。
どんな恐怖だろうか。
それは暗いだろうか。色がついているだろうか。
なぜ恐怖を感じるのだろう。
何が恐いのだろう。
こうしてじっくり感じてやると、恐怖は一気に薄らぎます。
例えばこの話以外にも、
「恐怖を消すにはどうすればいいか?さっさと実行してしまうことだ」
といったことが言われます。
恐怖を感じていても、いざ実際に行動してみると恐怖はかなり薄らいでいくわけです。
さっさとやるに限るわけですね。
もし、クローゼットの中にモンスターがいて、
そいつは強くて残酷で扉を開いた途端咬み殺してくるといったように更に恐怖する想像をしてしまうと、
ますます恐怖に手をつけられなくなります。
同じように恐怖っていうものをしっかり見ないと、恐怖はどんどん大きくなるばかりです。
今感じている恐怖は、どんぐらいの恐怖かっていうのをしっかり確認しておきます。
大抵、想像しているより小さくて、そして大抵消えてしまいます。
この世界において、どんなに頑張っても死のリスクを0にすることはできません。
例え健康に気を遣っても、事故にあうかもしれません。
天災にあうかもしれません。
恐怖を感じない人生というものは、ありえないのです。
死も恐怖も、あっさり受け入れた方がいいですね。
明日死んだっておかしくないことを、受け入れることが大事です。
明日死ぬかもしれないという恐怖を、しっかり見つめることが大事です。
真実を探求するには、自分の心から逃げないようにしないといけないと思うのです。