昨日のブログにも書きましたが、最近、私は「リアルタイム生成物語」の序章を書いています。
そして今日も、ほぼ一日かけてその物語と向き合っていたのですが、書いている途中で、ふと気づいたことがありました。
それは、「私は、説明の文章をあまり書いていない」ということです。
気がついてみれば、人物の外見や年齢、世界観の細かい仕組みなども、冒頭からほとんど説明しないまま物語を進めていました。
それは無意識にやっていたことなのですが、いわゆる小説で「必要」とされがちな説明を、かなり省いていることに、後になって気づいたのです。
でもそれは、「書けない」からではなく、「書かない」ことを無意識に選んでいたからだと思いました。
というのも、私は条件さえそろえば、背景描写や心理描写を含めた、より緻密な文章を書くこともできると思っているからです。
それは、私に特別な文才があるからというわけではなく、今の世の中にはChatGPTのような優秀なAIがあり、自分が表現したい内容を伝えることで、かなり密度の高い文章を書くことができると知っているからです。
それでも私が、あえてそれをしてこなかったのは、能力の問題ではなく、私の物語に対するスタンスの問題なのかもしれないと思いました。
というのも、私はもともと、本を読むのがあまり得意な人間ではないからです。
本を読もうとすると、冒頭の長い説明や人物像の説明、世界観や専門用語の説明の段階で、どうしても思考が止まってしまいますし、登場人物が多かったり、名前や設定が複雑になるほど頭に入らなくなるため、私はいつの頃からか、本を読むこと自体を避けるようになっていました。
ですが、自分が書く物語であれば、必要最小限のキャラクターに絞れますし、難しい名前や設定にする必要もありません。
そのため、今回私があえて説明を減らし、キャラクターの少ない会話中心の物語を書いているのも、読み手としての自分の苦手要素を無意識に省きたかったからだと思いました。
また今回は、
・設定を過度に語らない
・人物像を固定しすぎない
・年齢や立場をはっきり決めすぎない
といった余白を残しながら書いているのですが、それも読者に想像を委ねたいからなのだと思いました。
そのため、この物語には、あえて挿絵を入れることもしないつもりでいます。
というのも、挿絵があることで、イラストの好みから物語を避けてしまう可能性があると思ったからです。
アニメや漫画のような映像表現や、挿絵といった視覚化された情報は、一つ一つのコマ割りや絵の中で、多くの情報を一度に伝えられます。
ですがその反面、イメージが固定されやすく、想像の幅を狭めてしまうこともあるのではないかと感じています。
その点、文字情報だと、読者に想像を委ねることができるため、それが大きなメリットになると思っています。
ですが、その分、映像的な情報を一度に伝えようとすると、どうしても文字数が増えてしまいます。
そうなると説明が多くなり、結果として離脱される可能性も高くなるため、私はあえて説明をできるだけ省き、行間や余白から読者に委ねるような書き方を選んでいるのだと思いました。
また、文章で物語を書くことが私に向いていると思ったのは、後からいくらでも修正や調整ができるという点です。
まずは物語の骨組みを作り、物語を進めてみて、必要だと感じた部分があれば、後から過去に遡って書き足すこともできるからです。
そうした柔軟さを持たせられる点も、文字による物語表現の大きな魅力だと思いました。
私の物語の書き方は、一般的ではないかもしれませんし、人によっては稚拙で、どこかで読んだような話だと感じるかもしれません。
それでも私は、頭の中でしゃべっているキャラクターの声を形にして、いつか作品として出してみたいと思っています。
まだ、頭の中からあふれてくるキャラクターのエピソードや言葉を、すべて形にしきれているわけではありませんが、今はそれを大切にしながら、少しずつ形にできるよう進めていこうと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。