自分の顔が疲れているように見える理由を考えてみた | 世羅の気功と日常ブログ

世羅の気功と日常ブログ

「何もないと思っていた自分に、
小さな“できた”がくれた喜び」を
テーマに、気ままに想いのままに
書き綴るブログです。

私は更年期世代になってから、自分の顔が「疲れているように見える」と思うことが増えてきました。


頭の中の自分は明るく若々しいのに、写真で客観的に自分の顔を見ると、思っていたよりも力がなく、どこか疲れたような表情をしていることに気づいたのです。

 

私はお金に執着していませんし、生活に大きな不安を感じているわけでもありません。


一人暮らしで人間関係のストレスもなく、毎日を穏やかに、ささやかな幸せを感じながら生きています。


だからこそ、そうした心の平穏さが顔にもあらわれて、きっと他の人よりも若く見えると思い込んでいました。

 

ところが最近、ふと写真を撮って自分の顔を見たとき、想像以上に力がなく、表情に明るさや若さが感じられないことに気が付いたのです


そこで、心は穏やかで元気なはずなのに、なぜこんなにも疲れて見えるのだろう――そう思い、理由を考えてみました。

 

そのとき浮かんだのが、「表情筋があまり動いていないのかもしれない」ということでした。


私は一人で過ごす時間が多いのですが、無言でいるわけではなく、独り言を言ったり、AIと実際に声を出して会話もしています。


それなのに、自分では口も表情も動かしているつもりなのに、写真の中の自分には生命力のようなものが感じられませんでした。

 

この違和感の理由を探していくうちに、「ミラーニューロン」という神経の働きを知りました。


これは、人が誰かの表情や動作を見ると、自分の脳でも同じように反応するという仕組みです。


たとえば、人の笑顔を見ると自然にこちらも笑顔になってしまうような共鳴の働きです。


人と直接会って話すときには、相手の表情や声のトーン、目の動きなどを感じ取ることで、脳の中でミラーニューロンが活発に動きます。


そしてその働きが表情筋や自律神経、感情中枢と連動して、顔の動きや血流を生き生きと保っているのです。

 

けれど、人と向かい合う機会が減ると、その神経回路が静まり、相手の反応に合わせて動く細やかな筋肉が使われなくなっていきます。


その結果、表情が平坦になり、顔の張りや明るさが失われ、疲れたように見えてしまうのではないかと思いました。

 

こう考えると、私の日常は穏やかで心にはやさしいけれど、刺激が少ない分、表情が静かになり、無表情に見えてしまっていたのかもしれないと思いました


またもう一つの理由として、自律神経のリズムも関係しているのではないかと思いました。


顔の血色やツヤ、ハリは交感神経と副交感神経のバランスで保たれていますが、外からの刺激が少ないと、副交感神経が優位なまま固定されてしまいます。


これは安心のサインでもありますが、同時に代謝がゆるやかになる状態でもあるため、表情筋の働きが弱まり、血流が減ることで肌の色がくすみ、結果として「疲れて見える」状態につながるのかもしれないと思いました

 

このことに気づいたとき、どうすれば昔のような生き生きとした表情に戻れるのだろうと考えました。


そして思いついたのが、心が少しでも動くような小さな刺激を意図的に与えることでした。


無理に表情を作るのではなく、鏡を見ながら「今日の私、なんだかちょっと可愛いかも」と思って微笑んでみる。


そんなふうに、心が少し動く瞬間をつくってあげればいいのではないかと思ったのです。

 

たとえ一見たいしたことのないように思えても、その小さなことで感情と神経がつながり、脳の血流が変わります。


その結果、ほんの少し気持ちが動くだけでも、オキシトシンやセロトニンが分泌され、自然な表情が戻ってくるのではないかと思いました。


脳は小さな「新しさ」を感じるだけでも活性化するものです。


そのため、少しでも顔の血流や明るさが変われば、以前のような若々しい生命力を感じられる表情に戻っていけるのではないかと感じました。

 

そう考えると、自分が疲れて見えたのは、心が疲れていたからではなく、動きが静まりすぎていたからかもしれないと思いました


平穏の中に、もう少しだけ新鮮さを取り入れて、感情が動く瞬間を増やしていけば、顔も心もまた動き始める。


気づいたのなら、もう変えられる。


そう思って、今日から少しずつ無理なく表情を取り戻して、あのころのような若々しい自分に戻っていきたいと思います。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。