私は会話をすることが苦手です。
気さくに、どんなことでも話せて受け止めてくれる人に対しては緊張せずに話せるのですが、そうでない方に対しては、言葉を発する時にとても慎重になってしまいます。
というのも、会話は一度放てば取り戻せないため、相手に誤解を与えたり、傷つけたりするかもしれないと考えると、緊張してなかなか話せないからです。
だからこそ私は、会話よりも文字で伝えることを好んでいます。
文字なら何度でも修正や加筆ができ、自分の気持ちを整理しながら、誤解や批判を避けて慎重に伝えられるからです。
しかし、どんなに気をつけて書いても、意図せぬことに反応されて思わぬ誤解を招いてしまうことがあると、ある出来事で痛感しました。
というのも、あるSNSのグループ場で、当事者ではない一人の人が、私の意図とは異なる受け取り方をし、そのことで思いもよらない誤解が生まれ、場の雰囲気が一気に悪化してしまったからです。
その後、当事者の方々は、その人を責めずに場を収めようとして、本来必要のなかった謝罪を私にされたのですが、逆に私はそのことで皆さんに対して申し訳ない気持ちになり、その後、何も発言できなくなってしまいました。
また、私が書き込みをしないことで沈黙が続き、グループ全体が重たい空気に包まれてしまいました。
そんな中、誤解をされた方が無理やり明るく前向きな言葉で場を収めようとされたのですが、今の私にはとてもその前向きな言葉に同調することができず、さらに無言を続けるしかありませんでした。
その結果、他の参加者も発言しづらくなり、再び沈黙が生まれました。
それでも、その方は何とか雰囲気を変えようと、さらに明るくなりそうな投稿をされましたが、それにも誰も反応ができず、また場の空気が悪くなりかけていました。
私自身も、何とかしたいという気持ちはありましたが、どんな文章を書いてもまた誤解されてしまうのではないかという恐れから、言葉を発することができなくなっていました。
この件があってから、私はグループの書き込みを見るたびに発作のような症状が出るようになってしまい、しばらくは書き込みを読まないようにしていました。
しかし、通知が来るだけでも体が反応してしまうようになり、このままにしておくこともできず、精神安定剤を服用してから慎重に投稿を読むことにしました。
その頃には、他の方の気遣いもあって、少しずつ場の雰囲気は良くなっていましたが、それでも私は、問題が何も解決していないまま、いつのまにか話題がすり替えられてしまったように感じていて、このままではいけないと思い、思い切って書き込む決心をしました。
なぜなら、たった一人の誤解によって、皆さんに迷惑をかけたままになっていることが、どうしても気になっていたからです。
とはいえ、せっかく少し良くなってきていた雰囲気をまた私が壊してしまうのではないかという罪悪感もあり、葛藤が続いていました。
それでも、通知が来るたびにビクビクしてしまう状態が続くことが嫌で、この場を去る決意を固めました。
私は誤解を解くために、批判にも言い訳にもならないように、できるだけ誠実に、自分が投稿したときの状況や事情、そして関係する方々への配慮を忘れず、言葉を慎重に選んで文章を書きました。
そして、自分の気持ちと、誤解を招いてしまったことへの謝罪を伝えた上で、そのグループを退出しました。
私としては、自分が去ったことでまた新たな問題が生まれていたり、残された人たちに悪い影響が出ていないか心配ではあるのですが、それでも、自分の心と体を守るためにはこの選択しかなかったと思っています。
こうして改めて今回の件を振り返ってみると、どれだけ慎重に言葉を選んだとしても、受け取り手によっては、思わぬ誤解が生まれてしまうことがあるのだと痛感しました。
私にとってこのグループはとても居心地の良い場所だったので、去らなければならなかったのは本当につらいことでした。
それでも、今回の出来事は、私が自分のコンフォートゾーンを抜け出し、新たなゴールへと向かうために必要な出来事だったのかもしれないとも思っています。
この先、どんなことが待っているかはわかりませんが、すべては意味があって起きていると信じて、これからも前に進んでいきたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。