今日はあるワークをしました。
自己分析のために、過去のことを年代別に書き出して振り返るものなのですが、それを書いていくうちに、ふと感慨深い気持ちになりました。
ワークのために、どんな環境にいたのか(過去の状況)、具体的に何をしてきたのか(過程)、どんな結果を得たのか(定量的な数字や定性的な感情)、そしてそれらを振り返ってどう感じるか(価値観形成)を書き出すことで、いろいろと自分のことが客観的に見れた感じです。
さまざまな年代の出来事や状況を書き出していくうちに、「私にはこういう背景があったから、自己肯定感が下がってしまい、卑屈な人間になっていたんだな」と改めて思いました。
今では、ポジティブに自分を褒めることもできますし、自然と前向きな考え方ができるようになっています。
でも昔は、弟への強いコンプレックスや、人と比べては自己否定を繰り返す日々で、なんとも寂しい時間を過ごしていたのだなと感じます。
けれど今なら、それが悪かったとは思いません。
あの頃の自分がいたからこそ、今の自分を愛おしく思えますし、過去の自分にも「よく頑張ってきたね」「そんなふうに考えなくても大丈夫だよ」と伝えてあげたい気持ちになります。
過去の汚点や失敗も、今ならそんなに重く考えなくていいんだと思えるようになりましたし、むしろ、あの過去があったからこそ、今の自分が自分らしくいられているのだと思います。
当時の私は、自分がこんなふうに変われるなんて、まったく想像もできませんでした。
もしかしたら私は、大器晩成タイプなのか、遅咲きなのかもしれませんが、今になってようやく人生の味わい深さを少しずつ感じられるようになってきたように思います。
それもこれも、気功と出会い、自分と向き合う時間を持てたからかもしれません。
人から見たら、無職で独身で引きこもりの私は、つまらない人生を送っているようにしか見えないかもしれません。
でも、こうしてさまざまな学びを始めたり、人にヒーリングもできるようになったりしたことで、今ようやく自分が自分らしく生きていると感じています。
過去の経験は、何も悪くなかったんだな。
すべては自分の受け取り方次第なんだなと、改めて思いました。
こうして自分の歩みを振り返ることで、過去の自分も受け止められるようになっているのを実感しました。
すべては、自分の考え方や受け取り方しだい。
そんなふうに改めて感じた一日でした。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。