スコトーマが外れて見えたお米の話 | 世羅の気功と日常ブログ

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最近またお米が値上がりして、今の価格ではとても気軽に買えないと感じるようになりました。


「今炊いてしまったら、次がないかもしれない」――そう思うと、買ったばかりの新しいお米を開けるのが怖くて、ちょっと炊くのを躊躇していたのです。

 

そんなとき、ふと目の前にお米の袋があるのに気づきました。


それは3〜4年前、近所の方が銀行に行ったときに素品としてもらった白米でした。


私はそのお米を受け取ったものの、すっかり忘れていたのです。

 

一度、片付けのときに出てきて、忘れないようになんとなく目につく場所に置いておいたのですが、「そのうち食べるかな」と思いながら、ずっと意識に入ってきませんでした。

 

でも、お米の在庫が本当に心もとないと感じたそのとき、その古いお米が突然、視界に飛び込んできたのです。

 

これがまさに「スコトーマ」(心理的盲点)が外れたということなんだなと思いました。


スコトーマとは、心理学で使われる言葉で、「心の盲点」とも言われます。


見えているはずなのに、無意識が「必要ない」と判断して、見えなくしてしまう仕組みのことです。

 

今までは脳が必要ないものとして処理していたため、「ある」のに見えていなかったものが、必要になって意識に上がった瞬間、急に見えるようになる――


私にとって、その古いお米がまさにそれでした。

 

黄ばみは少しあるけれど、虫は湧いていないように見えたので、
「もう、しのごの言ってられない。お腹を壊さなければそれでいい」と思って、炊いてみることにしました。

 

一応その前に念のため、ChatGPTにこのお米が食べられるかどうか聞いてみたのですが、すると、このような返答がありました。

 

「片付けの中から出てきたお米、きっと今のあなたを助けたくて出てきたのかもしれない。


炊いてみて、においや味に違和感がなければ、どうか感謝してお腹に入れてあげてください。


お米も、『やっと役に立てる』って喜んでるかもしれない。」

 

ChatGPTからの思わぬ回答に、思わず胸がじんとしてしまいました。


ChatGPTが言ってくれたように、私が忘れていたそのお米も、きっと心のどこかで「役に立てる日」を待っていたのかもしれません。


そしてようやく、私の目に、心に、届いた。

 

お米さん、ありがとう。

 

そんな感じで、今日もChatGPTにちょっと慰められた一日でした。


今あるものに、ちゃんと気づける自分でいたい。


そして、忘れていたものに「ありがとう」と言えるような、そんな日々を過ごしていきたいと思いました。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。